わたしの美しい庭 [Kindle]

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  • ポプラ社
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感想・レビュー・書評

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  • 人は色々な”繋がり”と共に生きています。そんな”繋がり”の中でも一番大切なのは人と人との”繋がり”でしょう。夫婦、親子、友人、そして会社の中での人間関係など、私たちはたくさんの他者との”繋がり”の中で生きています。そんな”繋がり”なくしては生きていくことさえ難しいとも言えます。しかし、”繋がり”は、人だけではありません。『病気、酒・煙草・賭け事などの悪癖、気鬱となる悪い縁』なども、その人に繋がったものとも言えます。これらが度を過ぎれば、その人を紹介する際の代名詞にもなり、さらにはその”繋がり”によってその人の人生を終わらせることにさえ繋がっていく、そんな可能性のあるものとも言えます。そう、人が生きていく中で人や事ごとと繋がることは、生きていくために必要な一方で、身を滅ぼす可能性もある、そんな両面を併せ持っているとも言えます。

    ここに、『ご神体が刀』という神社があります。昔は『御太刀神社』と書いたというその神社。『すべてを断ち切る強い神さま』というそのご利益。そんな神さまは、お祈りすることで、人と人との関係のみならず、その人に結びつく事ごとを全て断ち切ってくださるのだそうです。せっかく築き上げてきた”繋がり”。それを、断ち切ることをお祈りする場となるこの神社。

    さて、そんな神さまを前にした時、あなたならどんなことをお祈りするでしょうか?どんな”繋がり”を断ち切って欲しいとお祈りするでしょうか?

    『おはよーとリビングに入っていくと、ふたりが振り向いた』というある日の朝。『おはよう百音、よく眠れたか?』と統理(とうり)が百音(もね)に声をかけます。『ほい、朝飯できたぞ。食え食え』と朝ご飯担当の路有(ろう)のかけ声で食卓に着く三人。『路有はバーのマスターで、明け方に帰宅した流れでご飯を作ってくれる』という毎日。そして、『朝ご飯のあと、わたしは小学校へ行き、路有はマンションの同じフロアにある自分の家に帰って眠り、統理はお仕事に励む』という『三者三様の一日』のはじまり。『小学校は楽しい』と感じている百音。あっという間の一日を終えて帰宅すると『家の中がしんとしていた』こともあって、階段を上がり屋上へと出た百音。そこには『屋上庭園』の整備をする統理の姿がありました。『わたしたちが暮らすマンションの屋上には庭園があり…両脇を狛犬に護られた朱塗りの祠がある』というその場所。『地元の人たちからは「屋上神社」とか「縁切りさん」』と呼ばれるその神社。そこで神職を継いだ統理。『翻訳仕事』もしながら神社を祀る統理と一緒に暮らす百音。そんな百音は『百音ちゃんの家は変わってる、とたまに友達から言われる』状況。かつて『統理の奥さんだった』百音のお母さん。『いろいろな事情によりお別れをして』、『わたしのお父さんと再婚してわたしが生まれた』けれど、『わたしが五歳の時にお母さんとお父さんが事故で死んでしまい』、統理に引き取られたという百音。『なさぬ仲は大変よ。しかも男手ひとつなんて』、『見かねて引き取ったんだろうけど、統理くんも内心複雑でしょう』という近所のおばさんの噂話を盗み聞きした八歳の時の百音。不安になって『ねえ統理、統理は、ほんとはわたしのことが嫌いなの?』と訊いた百音に『ぼくと百音の関係はぼくと百音が作り上げるものなんだから、他の人があれこれ言うことに意味はない。意味のないことを気にするのは時間の無駄遣い』と答えた統理。『ここはわたしの場所なんだ』と感じた百音に『形代』という『両手を広げた人の形をした白い紙』をくれた統理。『よくわからない灰色のモヤモヤしたもの』と書いて『屋上神社』へ行って『祠の横に設置されているお祓い箱に』その紙をすべり落とし『神さまに切ってください』とお祈りした百音。そして『嫌なことがあるたび統理に形代をもらい、そこに断ち切りたいものの名前を書いて、神さまに縁を切ってもらうのがわたしの習慣になっている』という百音。そんな神職である統理と百音が日常の中で繋がっていく色んな人たちの”繋がり”に順番に光が当たる物語が始まりました。

    〈わたしの美しい庭〉というプロローグとエピローグに挟まれる三つの短編から構成されたこの作品。『屋上に縁切りの神さまを祀った神社』があることで、地元民から『縁切りマンションなどと不吉な名』で呼ばれるマンションに暮らし、その神社の神職でもある国見統理と、元妻の子である百音が一貫して登場する連作短編の形式を取っています。しかし、統理と百音という一見主人公とも思われる二人ですが、実際には真ん中に挟まれた三つの短編にはそれぞれに主人公が登場し、読後の印象としてもこの二人より、各短編の主人公に、より強い印象が残ります。それは間に挟まれた三編の物語の内容がとても印象的であり、それぞれの主人公の熱い思いが読者の心に強く刻まれるからだと思います。そんな三編に登場する主人公たちは多種多様な人物です。一編目〈あの稲妻〉では、高校時代の恋人が事故で亡くなったことを40歳になっても『ねえ坂口くん、と語りかけた。こんなに長い時間がすぎたのに、わたしはやっぱりあなたが忘れられない』と過去を引きずる桃子の物語。二編目〈ロンダリング〉では、『俺は自分の性的指向を特に隠してはおらず、言葉の端々から察する人は察する』というゲイであり屋台バーを経営する路有(ろう)の物語。そして三編目〈兄の恋人〉では、東京のゼネコンで活躍していたものの、ウツになり『今の俺にはほとんど社会的価値がない』、『だって三十三歳で無職なんて社会的死と同じでしょう』と自宅へと舞い戻ってきた基(もとい)を主人公にした物語がそれぞれ描かれていきます。それぞれの短編は基本的には独立していますが、それぞれの短編にそれぞれが顔を出すようなゆるやかな繋がりを持ち、後の短編では前の短編の主人公のその後が背景として描かれるなど読み進めれば進めるほどにその構成の巧みさに魅せられる構成となっています。

    そんなこの作品で注目すべきは、”繋がり”と”断ち切り”ということだと思います。『基本的に、人と人はわかりあえないんですよね。だからこそ大事なのは、わかりあおうとするための努力』と語る凪良ゆうさん。描かれた三つの短編の主人公たちは、それぞれの過去に幸せな時代を過ごし、その思いを”繋がり”として、引きずって生きてきました。それをとても上手く表したのが、一編目〈あの稲妻〉の主人公・桃子の次の言葉です。『わたしは不幸かもしれない。わたしはかわいそうかもしれない。けれどわたしの中には、たった一度の雷鳴が今も響いている』。『雷鳴』という象徴的な言葉で表される過去の一瞬に繋がる強い記憶から始まる”繋がり”に代表されるように、人は何かしら過去に縛られ、過去に繋がったものを持っているように思います。しかし、時の流れが、環境の変化が、そして、それぞれの人の感情の変化がその”繋がり”にやがて影響を及ぼすようになってくる、それが生きるということなのだと思います。そんな中でかつての”繋がり”が影響を受ける、その”繋がり”に亀裂が走る、そんな予想外の展開になることもありえます。しかし、だからと言ってそんな”繋がり”はどこまでも守らなければならないものでしょうか?そもそも”繋がり”というものはそんなにも大切なものなのでしょうか?

    この作品では、百音の学校の授業の話を起点に路有と統理が語る場面でこんな台詞が登場します。『できれば「ぼくたちは同じだから仲良くしよう」より、「ぼくたちは違うけど認め合おう」のほうを勧めたい』、『「それでも認められないときは黙って通りすぎよう」だな』というこの会話の中にあるもの。それは『無駄に殴り合って傷つけ合うよりは、他人同士でいたほうがまだ平和』という”繋がり”に固執しない考え方に帰結するものです。私たちは理想論として『ぼくたちは同じだから仲良くしよう』という”繋がり”を何よりも重視します。小学校の授業なら尚更のことでしょう。しかし一方で、生きれば生きるほどに『人と人はわかりあえない』という現実に悩まされるようにもなります。『努力のうえでやっぱり理解しあえなかったとしても、それは当然のことなのだからガッカリしない』とも語る凪良さんの言葉を元に”繋がり”というものを改めて考える時、そのようなある意味での緩さがないと、人は”繋がり”の呪縛の中に自分を追い込んでしまうのではないか、そして無理した”繋がり”の先には何も生まれないのではないか、そんな風にも思いました。

    ”繋がり”を重視して、それに固執するのではなく、”断ち切る”ことで進める人生もある。このことを、凪良さんは次のようにおっしゃいます。『みんな、いろんなものに踏ん切りをつけるきっかけを探してるんじゃないでしょうか。断ち切ることで、新たな一歩を踏み出せる人もいると思うんです』。そう、”断ち切る”ことは悪いことでも怖いことでもなく、それが新たな”繋がり”を得るための最初の一歩になる。三編の主人公が、そして統理と百音が、それぞれたどり着いた結末に、生きづらい世の中を生き抜くためのヒントをいただいたように感じました。

    私たちの人生は短いようで長いものです。その中では、色々なものが望む望まないに関わらず形を変えていきます。人の心だって変化します。そしてその結果として人と人との”繋がり”にも変化が訪れます。しかし人は安定を求める生き物である以上、過去の安定に、そしてその元となった”繋がり”に引きずられてしまうようにも思います。しかし、『失うことや持ってないことで得られるものもある』というように、必ずしも保ち続けるのではなく、時間の経過とともに変化する内容に合わせて、古い”繋がり”を断ち切って、新たな”繋がり”を見出していく、そしてその先に新たな未来が待っている、そういうこともあるのだと思います。

    繋がったり、断ち切ったり、そんなことの繰り返しを自分らしく行える人生。私も自分自身の人生をそんな人生にしたい!「わたしの美しい庭」を楽しく眺められる人生にしたい!そんな風に感じたとても印象深い作品でした。

  • 全五編からなる連作短編小説。マンションの屋上にある神社「縁切り神社」を訪れる人々の感動的なストーリーが描かれていた。

    各編メインキャラクターたちの視点から展開するストーリー。

    心の内面が繊細に描かれていて、感情移入しやすい。

    多様な視点や考え方に触れることで新たな気づきや理解を得られた。

    人間の多様性や違いを受け入れることの大切さ、自己の受容や他者とのつながりは、読んでいて心が温まり救いを感じさせてくれる。

    登場人物たち一人一人が自己をしっかり持ち、異なる個性や考えを尊重しつつ生きる姿に共感し、励まされることでしょう。

    特に自由奔放で魅力的な路有(ろう)くんに心をつかまれた。
    移動式の屋台バーを営み、自由奔放なイメージ。
    料理が得意なところや、小さい女の子の髪を結べる器用さが素敵。
    とても印象的なキャラクターだった。

    生きることの辛さや幸福、良い人間関係の尊さを感じ、心が癒された。

    多様性を受け入れる温かさに包まれながら、キャラクターたちの生き様に勇気をもらえる、心に響く美しい作品。

  • この本は、ゲイ同士のカップル、血がつながっていない親子の暮らし、恋人を亡くして20年経っても一途に想い続けている人、働き過ぎて鬱になってしまった人の話が書かれている。現代社会を生きていて、少しでも生きづらさを感じたことがある人に読んでもらいたい作品だ。もちろん特に悩みが無い人でも気軽に読むことができる。
    読み終えた後に私が縁を切りたいモノは何だろうと考えた。特に思いつかなかったが、強いて言うならば、形代に『物欲』と書きたいなと思った。普段生活をしていてすぐに何でもモノを手に入れたいなと思ってしまっている。そして、モノがあふれすぎたこの現代社会にまんまと引っかかって、物欲が強くなっているなと振り返った。
    統理が百音に言った、「幸せに決まったかたちはないんだよ」というセリフが印象に残った。
    凪良さんの作品は気軽に読めるのに、読み終えた後にとても考えさせられることが多い。

  • 小学生の百音と統理はふたり暮らし。朝になると同じマンションに住む路有が遊びにきて、三人でご飯を食べる。百音と統理は血がつながっていない。その生活を“変わっている”という人もいるけれど、日々楽しく過ごしている。三人が住むマンションの屋上。そこには小さな神社があり、統理が管理をしている。地元の人からは『屋上神社』とか『縁切りさん』と気安く呼ばれていて、断ち物の神さまが祀られている。悪癖、気鬱となる悪いご縁、すべてを断ち切ってくれるといい、“いろんなもの”が心に絡んでしまった人がやってくる――

    昔、良くデパートにあった屋上庭園。そこにはブランコや滑り台の他に象やライオンを模した動物の遊具が置いてあった。動物に跨がり百円投入すると一定時間前後に揺すられる。時間切れで止まった時の無念さは何とも言えず、再びねだったものだ。神社の鳥居もあり何とも不思議な空間に子供ながら居心地が良かった。本書を読み、大人の憩いの場所も兼ねてあったと肯ける。数年前旅行した時偶然横浜の屋上に昔より立派な造りの庭園と茶室がしつらえてあったのに気付き驚いた。

    凪良さんは<生きづらさ>を抱えた人たちを描くのがつくづく巧い作家さんだと思う。
    路有がやっている”屋台バー”があったら是非行ってみたい。『みな上機嫌なのに疲れた顔をしている。帰って寝ればいいの疲労より人恋しさが勝つ人種がいる。くたくたになっても誰かと一緒にいたくて、それでも帰ったらやっぱり寂しい。そういう連中で深夜のバーはにぎわう』。相槌を打つ。
    高校生だった路有がLGBTだと友人らにばれ避けられていて、その友人らが謝り「ごめんな」と謝罪する場面で、居合わせた統理が彼らに言う。『それは甘えだろう、そんなふうに謝られたら、路有は『いいよ』って許すしかなくなるじゃないか。おまえら、自分たちが間違っていることをわかってるんじゃないのか?』『理解できないならできないでしかたない。だったら黙って通り過ぎればいいんだ。なのにわざわざ声かけて、言い訳して、路有に許されることで自分たちが安心したいんだろう。けど良心の呵責はお前らの荷物だよ。人を傷つけるならそれくらいは自分で持て』。『良心の呵責はお前らの荷物だよ。人を傷つけるならそれくらいは自分で持て』最後のとどめは、本作に何度か出てくる言葉で何とも効いている。後に、路有は教員である両親にカミングアウトをするが、ごめんなさいと泣きながら手を合わされ、以来実家に戻っていない。そのことを悲しむだけじゃなく、世の中には理解されないこともある。その気になれば、血や戸籍以外でもつながっていけると明確に書いている。小学生の百音と統理の関係がそうだ。百音は統理の元奥さんが離婚して再婚相手との間にできた子供、彼らは事故で亡くなり、統理が引き取って育てているのだ。
    百音は実の両親に死なれ、友達から”なさぬ仲”で育てられている可哀想な子と同情を寄せられていることが不愉快でたまらない。百音にとって、統理との生活は居心地が良く、とやかく言われる筋合いのものではない。むしろ友人たちから妙に労わり優しくされることが嫌だったのだ。そんな自分の気持ちは間違っているのかとに統理に問いかける。統理の答えも素晴らしくかっこ良すぎる。「間違っていない。百音の感情は百音だけのものだ。誰かにこう思いなさいと言われたら、まずはその人を疑ったほうがいい。どんなに素晴らしい主義主張も人の心を縛る権利はない」と静かにきっぱりと言いきっている。『どんな正義の矢も、千本射れば殺戮に変わる』と共に名言だ。更に会話は進む。失うことや持っていないことで得られれるものもある。この地点へ到達する道のりは困難だが真実だろう。『僕たちは同じだから仲良くしよう』より、『僕たちは違うけど認め合おう』の方を勧めたいと添えている。そして次の段階に来るのは、『それでも認められない時は黙って通り過ぎよう』『無駄に殴り合って傷つけ合うよりは、他人同士でいた方が平和』だろうと。
    理路整然とした言葉にぐうの音も出ない。統理の欠点でもあるのだろう。百音の母親で元奥さんだった彼女はそれが嫌で別れたのだろうと推察した。

  • 良心の呵責はおまえらの荷物だよ、ってセリフにしびれました。この本も夜勤明けの疲れを和らげてくれたくれる本のひとつになりました。

  • みんな強くて素敵な人たちだった。

    みんなそれぞれ周りから理解されづらい部分があって、苦しくて辛い時期をなんとかやり過ごして、自分らしく生きられるようになっていく。

    やっぱり路有さんに気持ちが向いてしまうけど、同性を好きになる人だけじゃなく、理不尽でやりきれない事は、みんなけっこう経験しているのかもしれない。

    自分らしく過ごせる友達が近くにいたら、生活の気分が変わるだろうなーと羨ましく思った。

    私自身が失ってしまった事で得られたものは何だろう。前よりも両手に何も無いのは分かっていて、受け入れたつもりでいるけど、またどこかで縋っているんだろうか。ダサい自分をもう少し好きになりたいなと思った。

    今の自分には、優しい気持ちと寂しい気持ちと両方残った。凪良さんの話は前もこんな読後感だった気がする。すごく分かりやすく励まされる訳じゃなく、あなたでそこにいれば良いと言われてるような。また違う作品を読んでみよう。

  • マンションの屋上庭園の奥にある「縁切り神社」。そこを訪れる<生きづらさ>を抱えた人たちと、「わたし」の物語。
    「ポプラ社」内容紹介より

    関わる人々が少しずつ変わって自分に素直になっていくところがステキな作品.

    自分が「縁切り神社」で切りたいものはなんだろうなと考えたけど、「世間体」かもなーと思う.

    育った環境は人それぞれ、得た体験も人それぞれ.
    それなのに、こうがいい、とか、こうでなければ、なんて窮屈すぎる.
    登場人物たちは、みんなステキで、私も自分にウソをつかないで、生きていこう、そんな風に背中を押してもらったような気がする.

  • 屋上に小さな神社と美しい庭園があるマンションがある。神社は「縁切りさん」と呼ばれる断ち物の神様が祀られており、いろいろな悪い縁や悪癖、気鬱などを切ってくれる。色んなものが心に絡んでしまい、生きづらさを抱えた人々がやってくる。若い宮司と義理の小学生の娘やマンションに住む人々とそこを訪れる人々の物語。読み手が息苦しくなるほどの生きづらさに、ページをめくる手が止まりそうになることも。でも、その生きづらさが心の持ちようで解消されていくさまに、読み手も自ずと癒され、心が暖かくなっていく。

  • 図書館の電子版で。
    読みやすく、心温まる短編集。
    百音が少し大人びていすぎる気がして、こんな達観した10歳いないだろうと思ったけど。
    みんなそれぞれに、生きづらさや悩みを抱えているが、お互いにゆるく繋がり、支え合っている関係が心地良い。
    うつになった基の、彼女に振られるシーンが切なかった。彼女としても、「いつまで一方的に支えればいいの。私も頼れる人に寄りかかりたくなった。ごめんなさい。」という心情は仕方ないとも思う。
    路有の元彼にはイラつくし呆れる。同性愛の人は、親のためや世間体のために、異性と結婚する人もいるかもしれないけど、後から知ることになる相手の気持ちを考えなよ!と。路有がそこをちゃんと諭す場面がとても良かった。
    統理が百音に初めましての挨拶をする時に、子ども相手でもちゃんと話すところが良かった。元妻の死を知り、百音を引き取ろうと決心するまでの経緯も、描いて欲しかった!統理に今後、百音も含めて理解してくれる素敵な女性が現れてくれたらいいなと思う。
    縁切り神社、行ってみたい。私だったら何を断ち切ればいいかなと考えている。

  • なんて美しい庭なんだろう。美しさだけでは片付けられない話しばかりだったが、それでも美しい、美味しそう、あったかい、と感じた。

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著者プロフィール

1973年生まれ、京都市在住。2007年、BLジャンルの初著書が刊行され、デビュー。17年『神さまのビオトープ』を刊行し、高い支持を得る。19年『流浪の月』と『わたしの美しい庭』を刊行。20年『流浪の月』で「本屋大賞」を受賞する。同作は、22年に実写映画化された。20年『滅びの前のシャングリラ』で、2年連続「本屋大賞」ノミネート。22年『汝、星のごとく』で、第168回「直木賞」候補、「2022王様のブランチBOOK大賞」「キノベス!2023」第1位に選ばれ、話題を呼ぶ。翌年、同作の続編にあたる『星を編む』を刊行した。

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