ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言 [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 認知症の第一人者、長谷川先生の本は小説のように夢中になって読み進めてしまった。
    そのくらい魅力的な本でした。
    自分も患者さんと関わる時にどこかで「何も分からなくなってしまった人」と決めつけていたかもしれない。
    「その人中心のケア」の言葉、「認知症の本質は暮らしの障害」ということを常に頭に入れて関わりたいと思った。
    また認知症になっても先生の社会の役に立ちたいというバイタリティ溢れる言葉は素晴らしいと思いました。

  • 認知症専門医として実績のある著者によって、自身が認知症になって感じたことが綴られている。その道の専門家によるものだけあって個人的な思いだけではなく、認知症に関する基礎的な情報や歴史、著者が提唱した「長谷川スケール」をはじめとした業績の振り返りなども盛り込まれている。認知症となった方の感想としては、主に「第3章 認知症になってわかったこと」と最終の「第7章 日本人に伝えたい遺言」にまとめられている。ところどころに、共著者の猪熊氏による注釈文が文中に挿入され、認知症に関する情報や、ときには第三者から見た現役時代の著者の姿などを補足している。

    当事者として繰り返し強調するのは、認知症になっても一人の人間であることには何も変わりないということである。過去に比べればましになっているとはいえ、まだまだ一般に根強い認知症への「何もわからなくなった人」という思い込みと差別によって、認知症の人が孤独や悲しみに陥ってしまうことがよくわかる。また、認知症になったとしても日々の連続性は変わらず維持されること、一日のなかでも調子が変動すること(著者の場合は起床から昼頃までは良好)などからも、認知症に対する一面的な見方を牽制している。

    また、本書には半生の振り返りを兼ねる側面もあり、著者を全人的に表現する著作でもある。そのひとつの要素として、最終章を中心にキリスト教徒でもある著者の死生観が綴られることも特色で、キリスト教に限らず宗教による救いに肯定的な見解を示している。そのほか、アメリカでの勤務時代のアメリカ人に対する印象や、認知症ケア施設センター長時代の天皇・皇后両陛下の訪問など、端々にエッセイ的な要素も含む。

    総じては、認知症を知る本としての格段の目新しさはなかった。タイトルについても、認知症になってはじめて知り得た知見を示すような意味合いだが、読んだ限りは著者が医師として向き合った際に得たものを証明する結論になっていると思えた。あらかじめある程度の認知症の知識がある読者が新たな情報を期待すれば拍子抜けするかもしれない。その点を差し引いても、人として区別して扱うことが認知症の人を(認知症ではない私たちと同じく)深く傷つけてしまうという事実を繰り返し教えられたことは収穫だった。ただ、認知症におけるもうひとつの本質的な問題であろう、直接ケアする人のつらさについてはあまり触れられていないことは気にかかった。

  • 自ら認知症を患った認知症研究の第一人者が、自らの症状を客観的に報告し、また、認知症患者目線で周知の人の望ましい接し方やケアの仕方を語った書。

    「たとえばボクの場合、朝起きたときは調子がよいのだけれど、だんだん疲れてきて、夕方になると混乱がひどくなる。でも、一晩眠るとすっきりして、またフレッシュな新しい自分が甦ります」。この状況、自分にも想像できる。頭がクリアな時があると、かえって色々と考えてしまい、不安が募るかも知れない。周囲の心の支えがとても大切なんだな。

    「「今日は何をなさりたいですか」という聞き方をしてほしい。そして、できれば「今日は何をなさりたくないですか」といった聞き方もしてほしい。」「その人が話すまで待ち、何をいうかを注意深く聴いてほしい」。認知症患者の切実な声として、しっかりと心に留めておきたい。

  • 認知症の専門医として先進的にやってきた
    著者が実際に 認知症になって 感じた事などが書かれていました。

    でも結構キチンとした内容でしたので ちょっと意外と思いましたが
    共著の人がいたんですよね。

    認知症の人が デーサービスとか行っても
    楽しめる人、楽しめない人もいます。
    著者は行きたくないと思う時があったけれど
    奥様が 少しでも楽になればと 思い直して行かれたそうです。
    こういう 気持ちが皆さん残っていれば 介護している家族の負担も減るでしょうね。

    実際に認知症になった方が 発信していることが増えたので
    全部の能力がいっぺんにだめになるのではなく
    あちこち 時々 だめになったり 上手く動いたり
    という事だという事が わかるようになってきたので
    介護の人たちの 体制も段々整ってきましたね。

    まだまだわからない認知症ですが
    心は 元のママの時もあるので
    いじわるされたり 笑われたりというのは
    わかるので 介護する人たちは
    何もできない人と思う事なく
    サポートできると いいですね。

    認知症の人の声を聴いて欲しい。
    聴くことは 待つ事。
    その人に自分の時間をささげるという事。
    これをやって欲しいと 書かれていました。

    介護の現場では 時間に追われる事が多いけど 
    じっくり待つ時間を持って対応できたら良いですね。

  • オーディブルで。
    親が、そして自分達もいずれ、そんなふうに話題となることが多い認知症。認知症の人からみた景色、そしてどう対処してもらえると嬉しいのか、そういったことを知ることができたのは良かったし、過度に恐れすぎずいることの大切さを感じた。

    聞くことは相手に時間をさしあげること。
    ある日突然認知症になるわけではなく、地続きの毎日の中でのことであること。
    感情は最後まで残るし、相手を尊重するなどの気持ちは伝わること。
    認知症は、生活障害であり、そこをサポートしてあげられることが必要なこと。

  • 未開の地を開拓していく、新しい指標を作っていくことが、おそろしいと思うのか、それとも、おもしろいとか必要とかと思うのか。
    強さがまぶしい。

  • オーディブルで読んだ本

    認知症患者の人が書いた本、という触れ込みだけで聴き始めたが、著者はあの長谷川式を作った方なのか……!!!!と知ってびっくりした。認知症のテストと言えば長谷川式、その長谷川式を作った人が認知症患者となり、認知症患者からの視点で話す、というのがめちゃくちゃすごい、こういう貴重な話を見聞きできるから本はほんまにすごい。
    読んでいて印象に残ったのは、
    認知症になったからといってその人が変わるわけではない、地続きの人生がある、認知症は生活の障害、老いは自分との戦い(頭で命令しても身体が言うことを聞かない、もう一人の自分と戦っているようだ)、傾聴とは待つこと、その人に合った方法で対応する
    原文ママでなく、ぼんやり印象に残った話やから正確かはわからんが、上記が印象に残った
    認知症になったからといって「この人は認知症だからダメだ」ではないし、認知症ではない人だって間違うことはあるし見当違いなことだって言う、というのは本当にその通りやと思う。
    ご家族が認知症になり、その方から「あなたたちは誰ですか?」と聞かれたとき、自分たちのことを忘れられたことにショックを受け、なんて答えようか悩んでいたときに、小さかった娘さんが「おじいちゃん、おじいちゃんは私たちのことがわからないかもしれないけど、私たちはおじいちゃんのことをよく知ってるよ。だから心配しなくて大丈夫だよ」と言ったことで、おじいちゃんが安心したように笑顔になった、という話も印象に残った。
    それを言われたら自分ならどうするだろうと一緒に考えたけど、「家族だよ?わからないの?」とか、咄嗟に言うてしまいそう。でもそういうことを言うたら、わからなくてパニックになってる相手にとったらさらにパニックになるよな……。やから娘さんの言葉を聞いて、うわーすごい、思いつかんかったと思うた。相手の視点に立って物事を考える、というのは認知症の方への対応に限らず全ての人に対してそうやし、コミュニケーションの基本やと思う。認知症になったからといってそれが変わることはない、というのは気づきやった

  • 聴くということは待つということ。
    待つということは、その人に時間を差し上げること。
    勉強になった

  • 高齢者の多くがなる可能性のある認知症(厚生労働省によると2025年には高齢者の5人に1人)になったからといって、昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいるのであり、昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいるのであり、突然人が変わるわけではない。仮に自分の身近な人がなったとしても認知症だからといって軽視するのではなく人として扱うこと(こちらからやることを提案するのではなく、やりたいことを聞く。そして返答がきちんと帰ってくるまで待ってあげる)の大切さを学んだ。

  • 印象に残ったのは、「認知症になったからといって、突然、人が変わるわけではない。昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいる」という言葉。この感覚を忘れずにいることで、相手のこれまでの人生も、大切に考えられるようになる気がする。

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著者プロフィール

1929年愛知県生まれ。53年、東京慈恵会医科大学卒業。74年、「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表(改訂版は91年公表)。89年、日本で初の国際老年精神医学会を開催。2004年、「痴呆」から「認知症」に用語を変更した厚生労働省の検討会の委員。「パーソン・センタード・ケア」を普及し、ケアの第一人者としても知られる。現在、認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医大名誉教授。認知症を描いた絵本『だいじょうぶだよ――ぼくのおばあちゃん――』(ぱーそん書房)の作者でもある。

「2019年 『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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