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感想・レビュー・書評
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亡くなった父親との関係を基調に自身のルーツを辿っていく随想記。初出の月刊文藝春秋掲載時に読み、先月香櫨園界隈を散歩したら、あらためて読みたくなって…。
話は、著者が小学生の頃に暮らしていた西宮 夙川からほど近い香櫨園浜に父と猫を棄てに行った思い出から始まる。帰宅してみれば、棄てたはずの猫がなぜか先に家に戻っていた。父は〈呆然とした顔〉から〈感心した表情〉になり〈いくらかほっとした顔〉になった。それは忘れ難いものとなった…。余談だけど、北野武の場合は犬だけど、これによく似たエピソードを語っている。
ファンタジーめいた、微笑ましいエピソードの下りには穏やかな空気が立ち昇るも、父親の人生を大きく揺さぶり、以降の人生と精神を激変させた戦争体験の話に至ると、途端に筆致は変わる。
村上春樹の父 千秋氏は1917年(大正6年)京都 浄土宗の寺の次男として誕生。二十歳で召集され、中国へ渡る。著者は、自身が小学生の低学年の頃、『所属した部隊で、中国人捕虜を処刑した』と父親から打ち明けられる。
《中国兵は、自分が殺されるとわかっていても騒ぎもせず、恐がりもせず、ただじっと目を閉じて静かにそこに座っていた。そして斬首された。実に見上げた態度だった、と父は言った。彼は斬殺されたその中国兵に対する敬意を―おそらくは死ぬときまで―深く抱き続けていたようだった。》
こんな話を聞けば、幼くても、軍刀で人の首がはねられるという残忍な光景は眼前に浮かぶ。心的外傷を与えかねない強い衝撃と、戦争に対する恐怖やエグさが心に深く刻まれる。
結果として、父から継承を受けた『戦争の擬似体験』を作家となった息子は幾度となく戦争体験を作中人物に語らせるシーンを登場させる。『ねじまき鳥クロニクル』では、1934年の中国とモンゴル国境のノモンハンで、モンゴル軍と衝突したノモンハン事変、『騎士団長殺し』では、1937年の旧日本軍の占領下で起きたとされる『南京事件』を。
さて著者と父親の関係は、作家となり、関係は次第に疎遠になっていく。父は二度の召集により勉学を中断せざるを得なくなり、方や息子は勉強より好きな事に熱心になり、父を落胆させたことを後ろめたく思うようになる。以降20年余、顔を合わせることはなく、2008年に父親が亡くなる少し前にようやく和解。
そこから、自身のルーツを辿る格好で、父親の軍歴も詳細に調べ、父親の生涯を縦軸にノンフィクションタッチで話は展開する。
一般に『歴史』というと、時代の移り変わりと
いった大きな時間の流れを指しているような思うが、個人や家族の内側にも歴史は存在する。教科書で習う第二次世界大戦も、父親の戦争体験を知ることで、それはたちまちにして、身近で現実性を帯びる。ただ、自分の中にある痛切な記憶は、概して口は重くなりがちではありますが…。
本書は、父のオーラルヒストリーを端緒に、小説家 村上春樹の小説家という肩書を下ろし、村上千秋の息子 春樹として『顔』が随所に見られた稀有な随想記である。
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村上春樹さんがお父様について語った本として話題になりました。
お父様について少し、京都のお寺の6人兄弟(男ばかり)の次男として生まれ、お坊さんの学校を出た後京都帝国大学の文学部で学ばれ、俳句同好会で句を詠んだり、もちろん勉学にもいそしまれ、とにかくまじめなで優秀な方だったらしいです。
その間に徴兵されて(対中戦争)中国戦線に送り込まれる。
実は村上さんが長らくお父様について触れられなかったのは、この戦争体験が大いに関係していたのでした。
村上さんはある疑惑を持っていて、その事実を知ることを避けてこられたのです。
しかしお父様がお亡くなりになりはっきりさせたくて、関係者の方々の話や、残された手記などから、お父様はその事件に関わっていなかったという確信をされ、肩の荷を下ろされたということですね?
そしてやっとお父様ときちんと向き合って、冷静に過去を振り返ることができたということですね?
20年以上疎遠で亡くなられる少し前に再開し、和解のようなことをしたとあります。
お父様にはお父様の思い、村上さんには村上さんの思い、お互いわかっていても譲れないものがあるし、親子なので頑なな性格も似ているだろうし、そういうことですよね?村上さん?
文芸春秋の単行本を読みました。 -
あまり身内について多くを語ることのない村上氏が珍しく父親について買いたエッセイ。
自らのバックボーン、そして長いこと疎遠であまり付き合いがなかったという肉親について、その死後にかなり深く掘り下げて書いている。
ご自分でもおっしゃるように、割と頑固な性格、言うなれば偏屈とも思えるような性格は、あるいはお父さん譲りなのかなあ、とも。
それだけに、若い頃のすれ違いが、なんと30年以上もの長い間の関係性を生み出しちゃうんだからひどい。 -
村上春樹氏が初めて語った父親のこと。両親が共に国語の教師だったこと、祖父が住職で今でもお寺があること。色々と春樹氏のルーツがわかって良かった。京都の青龍山安養寺に行ってみたくなった。
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「僕は今でも、この今に至っても、自分が父を落胆させてきた・期待を裏切ってきた」という気持ちを抱き続けている。十代の僕にとっては心地の良い環境ではなかった。
春樹氏が思う父のことについての本。私もここまでではないが、父や家族と暮らすのが嫌で and 一人暮らしがしたくて家から通える大学は受けなかった。
父について思いを整理することは難しい。ここには記載しないが、自分のノートに父との記憶を書き出してみた。よいきっかけにしてくれたという意味では感謝の1冊。
本の中身としては特に面白くもない。 -
著者の父親の思い出というよりも戦争を挟んだ時代に確実に存在していたことを息子の視点から確認した叙述。
いつものメタファーにあふれた世界でもなく、軽快なエッセイとも異なるタッチ。
等身大の著者が垣間見える作品。 -
猫を棄てるなんて、ねじれるような下痢に襲われろ!と思ったら自分で戻ってくるとは。
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村上春樹さんの父親の思い出。
私の祖父もそうだったけれど、戦争が個人に落とした影は大きい。
戦争の描写は読むのにとても心の体力が必要。
やわらかい、まだ形のできていない子どもの心に大人は跡をつける。
悪意がなくてもそれは傷になることもある。
この本の中では村上春樹さんがお父さんと没交渉になり、死ぬ前にまた付き合いが復活しているその細かい機微については書かれていない。
その部分を読んでみたい気もしたけれど、きっとそれは本にすることではないだろうなとも思う。 -
父親って情報量少ないからか、文字数ページが少なく、その分イラストが上手く表現されていて本としては良いかも。肝は猫。
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春樹さんのお父さんの話
やはり優秀な家系
ただお父様と疎遠だったとは
親の期待に応えられなかったことについて、今も夢に出てくるっていうのは、よく分かった
私もだから
なんだかその言葉が自分にとって救われた