ファシズムの教室: なぜ集団は暴走するのか [Kindle]

著者 :
  • 大月書店
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感想・レビュー・書評

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  • 「ハイル、タノ!」
    独裁は、絶対的な権力者だけでは成り立たず、実は国民が自発的に従属することで、相互に責任を放棄する状態になっていると分析される。
    本書は、甲南大学で行われていた、田野教授(総統)によるファシズムの「魅力」(危険性)を体感する体験学習の方法と背景にある考え方がまとめられている。
    全員で拍手をして、独裁者の選定を民主的に承認した形にする、制服、ロゴマークを揃える、私語をした生徒を皆の前に引っ張り出させる(仕込み)など、本格的だ。
    そして、敵を大学構内でイチャイチャするカップル(リア充)を250人で取り囲み、「リア充爆発しろ!」と糾弾する。
    この敵の選択も、学生が正義にのめり込み過ぎない絶妙なところである。最初は喫煙所外で喫煙してる人にしていたが、それでは明らかに「悪」なので、敵をリア充とすることでネタっぽい、あくまで演技であることを意識させる工夫がなされている。ネタでやっていても学生が没入していくところが恐ろしい。

  • SNSでも大きく話題になった甲南大学の田野先生による「ファシズムの体験学習」の解説本である。体験学習自体は学外での注目が大きくなりすぎてしまったことでやめざるをえなくなったが、その経験も踏まえて「何を考えて授業を行ったか」「どう授業するか」が詳細に描かれている。

    ファシズムの根本とは何だろうか。強い指導者と、それを支える民衆である。今日ではナチスがある種の合意独裁であったとの見方が強く、「合意」はどこから来るかという理解を体験によって促す取り組みはユニークである。

    制服を着る、同じ動きを、大声で合わせながらやる。そういった単純なことで人間の気分は高揚する。権威に服従すれば、責任を放棄することで却って解放感を生む。監獄実験やミルグラム実験を知識と知っていても、実際に自分が他者に容易に危害を加える人間になってしまうという経験は得がたいものだ。

    こういった脆弱性は人間であれば避けがたいものだ。だからこそ、予防接種のようにやっておく価値があるという点に同意できる人もいるだろう。

    しかし、否定的な価値を学ぶ体験学習は世間との軋轢を生みやすいのが現実だ。1960年代のアメリカでも、生徒を青い目と茶色い目に分けて差別の体験学習を行ったエリオットは批判を受けて教壇を去ったという。「寝た子を起こすな」という考えから、否定的価値そのものに触れさせない教育は今も昔も根強い。

    研究者らしく落ち着いた筆致であるが、その無念さは行間から滲み出ている。それゆえに、授業の解説は明らかに「実際に指導に取り入れたい先生」向けに書かれている。自分は教員ではないので役に立つかどうかはわからないが、一般向けにこういった本を出す編集者や出版社の気概を感じた。

  • ナチス式のファシズムを教室で再現することで、なぜ集団が暴走するのかを体験できるという希有な授業の記録。ファシズムの本質とは、〈集団行動がもたらす独特の快楽、参加者がそこに見いだす「魅力」にある〉のだという。〈その熱狂が思想やイデオロギーにかかわりなく、集団的動物としての人間の本能に直接訴える力をもっている〉からこそ、恐ろしいのだと。〈全員で一緒の動作や発生をくり返すだけで、人間の感情はおのずと高揚し、集団への帰属感や連帯感、外部への敵意が強まる。この単純だが普遍的な感情の動員のメカニズム、それを通じた共同体統合の仕組みを、本書ではファシズムと呼びたい〉。一読して戻れば、もう「はじめに」の文章だけで、なんちゅーことやとゾクゾクする。学問のおもしろさ、おそろしさを味わえる。

  • ファシズムの要点をつかめる良書.
    序盤に理論を説明, 中盤に体験授業による理論の検証, 後半に検証も踏まえて議論, というふうに読めて楽しい.
    あとがきの, 授業に圧力がかかっていく部分も生々しい.

  • ファシズムの集団的熱狂を大学の授業で再現し、「集団」の持つ危険性を若い人たちに学ばせようとする取り組みについてまとめられた本。
    『THE WAVE ウェイヴ』というドイツの映画を見たことをきっかけに、著者は大学での授業で「ファシズム体験授業」を10年間に渡り行ってきた。独裁政治の重要なキーワードである「指導者の存在」「共同体の力」「制服やロゴマークの役割」を軸に据えつつ、全員での敬礼や足踏み、さらには外に出てカップル(仕込みの人)に対して「リア充は爆発しろ」と糾弾するといった行動を体験させ、学生たちにはその集団行動を体験させつつも、その過程において行動していく自身の内面がどのように変化していくのかを観察させた。
    中学・高校ではなかなかやれないなぁと思いつつ、受講生たちの事後レポートの報告などを見ると、集団に押され、責任感が麻痺し、また自らの規範の感覚が揺らいでいく様子を自分自身で観察できている様子が見てとれ、その教育的効果は大きいのだなぁと実感できる。集団が持つ力の恐ろしさを理解させ、知らず知らずのうちに自分たちがその集団に巻き込まれていかないためにも、意義のある授業なのだろうと思う。

    後日追加:
    本書の著者と小野寺拓也氏が共著で出した『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波ブックレット1080)もぜひ手にとってみてください(岩波ブックレットから入った人の方が多いかもしれませんが)。

  •  本書は甲南大学教授の著者が2010年から10年間にわたって実施した「ファシズムの体験学習」を紹介しながら、人々がファシズムに飲み込まれていく心理について解説している。

     独裁政治の代名詞となっているヒトラーとナチ党による支配は暴力で国民が服従させられていたように思われがちだが、近年の研究では国民が熱狂的に彼らを支持していたとわかってきている。それは、ファシズムにはある種の「魅力」があるからだ。

     体験学習は、学生に模擬的な「帝国」を作らせ、ナチ的な行動を取る中で自分の心理状態を観察させることによって、ファシズムの本質と恐ろしさを学ばせるという趣旨である。残念ながら様々な事情で現在はなくなってしまったようだが、非常に意義のある取り組みだと思う。

     本書でも紹介されているミルグラムの服従実験において、多くの被験者が権威者からの命令に従って残酷な行為をしてしまったが、中には拒否した人もいた。その中でも最も早い段階で拒否したのは、ナチ支配下のベルリンで暮らした経験を持つドイツからの移民女性だったという。実体験は、それだけ強い効果を持つのだと思う。

     学生を対象としたこのような実習には、本当にファシズムに傾倒してしまうといったリスクもあり、細心の注意を払いながら実施する必要がある。本書では実施時の注意事項にも多くの紙面を割いて詳述している。これを参考に、どこかでまた実施されるといいと思う。

  • 本書でのファシズムの定義:全員で一緒の動作をして感情を高揚させるなど、普遍的な感情の動員のメカニズムを通じた共同体統合の仕組み。

    【本書の概要】
    ファシズムとは独裁者による強権的な支配ではない。ナチス政権下のドイツ人はヒトラーに服従していたわけではなく、むしろ積極的に支持していた。人々は集団の一部になることで自分の力が大きくなったように感じ、自分の行動に責任を感じなくなっていく。ファシズムとは強力な指導者のもとに集団行動を展開し、人々の抑圧された欲求を敵に対して解放するプロセスであったのだ。
    ファシズムやヘイトスピーチのような扇動的な暴力行為に流されないためにも、若い世代に適切な形で集団行動の危険にふれさせ、対処する方法を教えることが重要である。

    【詳細】

    ①「集団の一員」になることで起こる心理の変化
    ナチス政権下で起こったファシズムは、独裁者による強権的な支配ではなかった。
    ヒトラー政権下においては、ユダヤ人への差別と暴力が、ナチスとその権力に迎合する市民たちによって日常的に行われていた。
    市民が何故暴力的な行動に走ったのかというと、彼ら自身が抑圧された人間であったからだ。ドイツは第一次世界大戦で敗戦を喫し、多額の賠償金とハイパーインフレによる生活苦に喘いでいた。そこに現れたのがナチスであり、経済を回復させ、魅力的な余暇や耐久消費財の提供を行っていた。同時に、ナチスは自分達の苦しい現状をユダヤ人の責任にし、彼らへの迫害とドイツ民族共同体への参加を呼び掛けた。そこには「自分が今苦しいのはあいつのせいである」という人々の怒りを、上手く開放するためのロジックが組み込まれていた。ファシズムの力の源泉は、市民の現状に対する鬱屈した不満であったのだ。
    ナチスという公権力からお墨付きを得たドイツ人は、ユダヤ人の排斥に手を貸した。上からの命令なので、行動の責任は問われずに自らの攻撃衝動を発散することが許されていた。彼らがナチスを支持していた理由は、権威への服従という状況において、自分の欲求を充足できる自由を享受していたからである。

    ②ファシズム体験授業の内容とその目的
    甲南大学で実施されたファシズム授業の内容は次のとおりである。
    ・指導者による一致団結した集団(田野教授が指導者の役割を担う)
    ・敬礼(ハイル、タノ!)や行進などの集団行動
    ・制服(全員が白シャツにジーパンを履いた)やロゴマークの着用
    ・集団を扇動し、全員でベンチにいるカップルに「リア充爆発しろ!」と糾弾(カップルはサクラ)

    この授業を通して、受講生は集団行動にのめり込んでいった。
    受講生には「ファシズム授業を体験してどのような感覚を得たか?」というアンケートに答えてもらった。彼らの回答は主に次のようなパターンに分けられる。

    1 集団の力の実感
    →自分の存在が大きくなったように感じ、集団に所属することの誇りや連帯感が生まれた。制服を着用することで集団に溶け込むことができ、気が大きくなって思い切った行動が取れた。
    2 責任感の麻痺
    →上からの命令に従い、他のメンバーに同調して行動しているうちに、自分の行動に責任を感じなくなった。
    3 規範の変化
    最初は集団行動に恥ずかしさやためらいを感じていても、それに参加しているうちに命令を遂行するのが当たり前になり、これを自分たちの義務のように感じ始めた。

    受講生は、最初こそ恥ずかしさや気後れを感じるものの、集団行動に参加しているうちにいつの間にか「個」ではなく「集団の一員」という感覚を抱くようになり、集団に所属することへの誇りや他のメンバーとの連帯感、非メンバーに対する優越感を抱くようになったのだ。

    そうした高揚感は、実は私達が運動会の入場行進やサッカーの試合の応援などで身近に感じているものに他ならない。これが危険なファシズムへと変貌するのは、集団を統率する権威と結びついたときである。

    世界中で排外主義やポピュリズム、ヘイトスピーチの嵐が吹き荒れている。ヘイトスピーチの加害者たちにとって重要なのは、政治的正しさによる抑圧に抗して、自らの感情を存分に表明することであり、これを妨げる敵対者に攻撃衝動をぶつけながら、そのカタルシスに陶酔することである。存分に自分の欲求を満たしながら、堂々と正義の執行者を演じるのだ。
    こうした動向に流されず異を唱える力を育むためには、臭いものに蓋をするような生半可な教育をするのではなく、若い世代に適切な形で集団行動の危険にふれさせ、それに対する対処の仕方を教えるのが重要である。

  •  ヒトラーのユダヤ人大虐殺を招いたファシズム。既に戦後75年、ほとんどの人は、ファシズムの恐ろしさは、「アンネの日記」などの書物や映画でしか、知ることはできず、ファシズムは身近のものとしてうけとめることができない。しかし、歴史に学ぶと、「ファシズムは、独裁者が作り出すものではない」「ファシズムの力の源泉は、市民の現状に対する鬱屈した不満」であることを知ることができる。現状に対する鬱屈した不満は、今そこここにある。そこに世論を巧みにリードするカリスマが現れると、人々は責任感から解放され、行動が促され、エネルギーの発露の場をえる。「権威への服従が人々の責任感を麻痺させ、残虐な行動に走らせる」。指導者の指示にさえ従っていれば、自分の行動に責任を負わずに済む。その解放感に流されて、思慮なく過激な行動に走ってしまう。表向きは上からの命令にしたがっているように見えるが、実際は自分の要求を満たすことが動機となっている。
     「私は君たちのなかに存在する」。ヒトラーを生み出したのは、ドイツ人が心の底で抱く黒い不満。人々が言いたくても言えなかった本音、胸のうちに抑圧してきた憎悪に表現の機会を与えるところに、ヒトラー、そしてファシズムの危険な魅力がある。ファシズムを生む基盤は既に社会にある。今もガスもれはそこここで発生している。ちょっとした火が大きな爆発を招く。その時、リベラルな価値観を押し付ける「政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)」は、ファシズムの危機の前にはあまりにも無力。ポピュリストたちにとって、メディアがふりかざす正義や良識など、自分たちの感情を抑圧するだけの空虚なご高説にすぎない。だから、そういう兆候が高まる前に、そういう危険を知らせ、防いでいかねばならない。
     本書は、甲南大学で実施されてきた「ファシズムの体験学習」を紹介しながら、ファシズムのしくみと成り立ちを集団行動の観点から社会学的に解説したもの。スペイン風邪の後に、ヒトラーやムッソリーニが登場したのは、決して偶然ではないはず。欧米の状況や、新型コロナ下の世界の諸状況を見ても、ファシズムの危機が、眼の前まで近づいてきている。

  • 歴史社会学でファシズム研究を専門にしている筆者の教育実践である。 
     大学での授業でこうした実践が行われたが、本来は道徳の授業でこうした実践が行われるべきものである。こうした理論に基づく教育実践の手引きが学校教育のために出版されることを望む。

  • 大学で10年間行われた「ファシズムの体験教室」を指導した教官自身が手法とその背景にある考えとともに解説。
    野球観戦での応援時の一体感を思い起こすと、自分も簡単に加害する側に回ってしまいそうで、ちょっと怖かった。

    最近のコロナ禍での自粛警察や、感染者やその所属組織に対する攻撃を見ると、「普通の日本人」は簡単に「一体感」に陶酔し「責任を負わない自由」を味わいそうな気がする(自分も含めて)。

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著者プロフィール

1970年生まれ。甲南大学文学部教授。専攻は歴史社会学。著書に、『愛と欲望のナチズム』(講談社選書メチエ)、『魅惑する帝国――政治の美学化とナチズム』(名古屋大学出版会)ほか。
個人ウェブサイト:http://www.eonet.ne.jp/~dtano/dTANo.Mac/purofiru.html
Twitter:@tanosensei

「2020年 『ファシズムの教室』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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