- Amazon.co.jp ・電子書籍 (291ページ)
感想・レビュー・書評
-
河内源氏の嫡男から流人の「佐殿(すけどの)」を経て、武家政権を樹立した頼朝の評伝です。『吾妻鏡』『玉葉』等の記述も「結果から訴求するのでなく、その時の妥当な判断」を検証して語っています。『荘園(伊藤俊一)』を踏まえると〈寿永二年十月宣旨〉時点で王権に復帰したことが分かります。令外の官的に公認された「敵方所領の没収」と「新恩給与」で勢力を拡大、戦いの基本は「敵を分断、内紛を煽る」やり方で、武家政権を樹立します。内部粛清を進めますが、平時体制への移行完遂前に亡くなり、その後が大波乱となりました(2019年)
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大河ドラマを楽しむために再読。『頼朝の武士団』読んだ後だったので、めっちゃ理解出来おもしろかった。ほんと奇跡のような人生。せっかく拾った命なので、薄氷を踏むような思いでなんとか生き延びようと智恵を絞ったんだろうな。やはり偉人だと思う。これで大河もっと楽しめるわ♪
-
12世紀末に鎌倉幕府を開いた、源頼朝。
それまでの貴族中心の社会から、武士が統治する世の中への転換。
京都から遠く離れた、東国の鎌倉での体制づくり。
それまでの日本には参考になるモデルが無い中で、なぜこれらのことを成し遂げることができたのか。
戦国時代や幕末と比べると関連書籍が少ないこともあって、これまであまり、この人物のことを学ばないまま過ごしてしまいました。
書店巡りをしていたら、そのものズバリの題名の新書を見かけたので縁を感じ、読んでみることにしました。
本書は10章で構成されており、源頼朝の生涯を、年代順に読み進める形になっています。
その生涯で特長的なことは、「敗者の側の人間」だったこと。
平治の乱に至る経緯、そして斬首されるべき境遇の頼朝が、冒頭部分で説明されていきます。
そしてどにような経緯で彼が挙兵したのか、その後の戦いがどのように展開し、京都の政権に認められるようになったのかを、当時の中央政権の状況とあわせて解説しています。
東国では平氏の圧政への反感が強かったこと、源平の争いは天皇家の覇権争いと関連づけて考えるべきこと、頼朝個人の人柄が貴族社会である京都の中枢の人々に受け入れられやすかったこと、などをこの部分で学びました。
後半部分では、宿願の平氏打倒を成し遂げながら、その第一の功労者、義経と対立した理由を検証しています。
北条政権の正統性を示すために書かれた『吾妻鏡』や脚色された『平家物語』などの記述は、史実と区別して読むべきなのだと、理解しました。
終盤で書かれている鎌倉幕府成立後の頼朝の行動は、戦時から平時へと情勢が移行する中で、自らが構築した新しい体制と、旧来の体制を融合させようとした、彼の考えと苦労がうかがえる内容でした。
敵として戦った相手を受け入れるいっぽう、大きな功績を挙げた部下を静粛することもあった、頼朝。
一面的に評価できないことも、源頼朝という人の輪郭が見えにくい要因になっているのだなあと、理解しました。
この時代についての興味が高まったので、関連する本を探して、勉強していきたいと思います。