はみだしの人類学 ともに生きる方法 NHK出版 学びのきほん [Kindle]
- NHK出版 (2020年3月25日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (99ページ)
感想・レビュー・書評
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電子書籍で299円まで降りてきたのでポチ。ずっと読みたい本だった。好きな分野ということもあるけど、2020年現在、著者は岡山大学文学部准教授なのだそうだ。どんな人なのか知っておきたい。
あゝとっても聡明でやさしくて、共感できる思考を持った人だった。講演会に呼びたい。
文化人類学専攻といっても、上橋菜穂子もそうだったけど、学生の最初のフィールドワークは日本国内である。お金ないのだから当然ですね。公民館に合宿して自炊しながら島根半島の村人の話を聞く中で、専門書の記述とは全然視点の違う生きた民俗が見えてくる。その体験は2週間以上の調査をしないと、なかなか実感できないものかもしれない。と、私的体験から思う。そして著者は次はエチオピアに行く。
「わたし」と思っている個人が、実はまざまな見方によって、さまざまに見えてくることを発見する。
文化人類学を突き詰めることで「わたしとは何か」「日本人とは何か」「人間とは何か」がいったん分解されて、再構成されて、それを表現することができるようになる、簡単に言えば、そんなことを松村さんは書いているように思う←要約し過ぎだろうか?では、もう少し具体的に述べる。
学生のとき、教養学部民俗学の講師に誘われて民俗学のサークルに入った。祭りの当人制が細々と続いているK村で、2週間合宿して村人から世間話に似た聴き取りをしていった。ふと「あの家は狐憑きの家でね‥‥」という言葉が出てきた時の驚きは忘れない。近代化された日本で、まだその「信仰?」が生きていたことに心底驚いた。人は、状況によってさまざまな「わたし」に分かれる。人と人とのつながりには、人と対立して「わたし」が際立つつながりもあれば、人と溶け合って「わたし」がわかり変わるつながりもある。それは、同時に所属していた新聞サークルでの取材行為でも同じような事を、(いま考えれば)感じていたのであった。
この簡単な入門書では、戦争を始めた「人類」の分析にまでは辿り着いてはないけど、考古学にせよ、民俗学にせよ、人類学にせよ、日本史学にせよ、近代日本思想史にせよ、わたしの関心は、いつも「未来の平和」に向かっている。いつかそれが、人類学のように立体的構造的に言葉にできる日は来るのだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私は出不精であまり人と交流することが少ないのですが、昨年はさまざまな人と会う中で揺さぶられる場面が多くありました。
視野の狭さを思い知らされたという意味でもあります。
この本はそんな自分にとってぴったりな内容でした。
どんなに本や展示、著名人のトークショーなどから知識を学んでも、日本でありながらもその文化ごとによって文脈は異なります。話し合いながら可能性を探るという作業はどんなにデザイン思考やワークショップが流行っていても知識では解決できない部分ではあります。
さまざまな本で、好例とされるプロジェクトが紹介されていますが、新しい試みをするにはそれぞれ
文化を理解する
誰もが間違っていないし、いい人ばかりなのだけど、どことなく気持ちの悪い部分がある。
新しい環境では揺さぶられることで、それまでの自分が一度バラバラになるような気持ち悪さがありつつも、その後再構築された
気持ちの逃げ場として、ビジネス書や心理学を探してみたところピンとこない中、文化人類学という分野に辿り着きました。
期待通り、人や文化に対するもやもや気持ちを解決のある内容となっている本でした。
少なからずいろんな環境に流されて生きているなか、個人の小さな合理性や理想を求めることの意味はあるのかということも考えさせられました。
結果として答えは出てないのですが、個人として何ができるのか、どう生きるのかを改めて考えさせられました。
文化人類学は人々と出会うフィールドワークから学びを得る
時代やコミュニティごとにさまざまな文化が存在している。
今ある時代は
自分の欠点として自分の頭の中で物事を考えがちなところがあります。
昨今、性格診断などが流行り、人によって考えが大きく違うことを知らされました。
違いを知ることで、逆に人に対する距離が遠のいてしまった面もあったように感じておりました。
解決策とまでは行きませんが、人々の違いを実践的に感じとることの面白さをこの本は教えてくれている気がします。
価値観が揺さぶられた気持ちの逃げ場を探すべく、文化人類学という分野に辿り着きました。
生活の中で必要な知識だけど、ビジネス書でもなく、
人という動物として社会で生きることを俯瞰できるような内容になっていました。
今のところ私が出会っている人は主に日本の人だけなので、今後海外の方と出会うことが増えたらもっと新しい感覚と出会えるんだろうなと、この本を通じてワクワクさせていただいた気がします。 -
めちゃくちゃ簡単な内容の文化人類学の入門書。
・効率的に生きることよりも、普段の小さな幸せ、生きる喜びを味わうために生きる
・他者と積極的に関わり、自分が変化していくことを楽しむ
この二つがめっちゃ大事なんだなって学びはあった。 -
NDC 389
「「わたし」と「あなた」のつながりをとらえ直す
そもそも人類学とは、どんな学問なのか。「わたし」を起点に考える「つながり方」とは何か? 「直線の生き方と曲線の生き方」「共感と共鳴のつながり」……。「違い」を乗りこえて生きやすくなるために。「人類学のきほん」をもとに編み出した、これからの時代にこそ必要な「知の技法」のすすめ。 第1章 「つながり」と「はみだし」 第2章 「わたし」がひらく 第3章 ほんとうの「わたし」とは? 第4章 差異とともに生きる」
松村 圭一郎 著
1975年、熊本県生まれ。京都大学総合人間学部卒。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。岡山大学文学部准教授。専門は文化人類学。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークを続け、富の所有と分配、貧困や発援助、海外出稼ぎなどについて研究。著書に『所有と分配の人類学』(世界思想社)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院)、『うしろめたさの人類学』(ミシマ社、毎日出版文化賞特別賞)、『これからの大学』(春秋社)、共編著に『文化人類学の思考法』(世界思想社)がある。 -
NHK出版 学びのきほん の「はみだしの人類学」松村 圭一郎著、読了。
文化人類学者である著者が、文化人類学という学問で得られた知見から、私たちが生きるための人とのつながりについていろいろな気づきを与えてくれる本でした。
文化人類学とは?
Wikipediaによると、
「文化人類学は、人間の生活様式全体(生活や活動)の具体的なありかたを研究する人類学の一分野である。」
とのこと。本書では、
「文化人類学は、一九世紀末から二十世紀前半にかけてヨーロッパやアメリカで確立された学問です。
大航海時代を経て、西洋諸国がアジアなどを植民地にするようになった時代に生まれた。なぜ人類にはこれほど多様な文化があるのか? その差異はどのように生じたのか? 異なる他者とどういう関係を築けば良いのか? いずれもブローバル化が進む現代の世界で、今なお考えなければならない重要な問いばかりです。」
と書かれていました。
文化人類学の始まりは、西洋諸国(当時の覇権国)が、植民地や植民地化しようとしている土地の文化を研究する、というものであったと。
「文化を知ってその国を知ろう」というのは良いことのように見えるけれど、その考え方の中には「相手国は自国とは異質なものである」と、逆に「明確な境界線を引く」行為でもある。「相手国を知ろう」という行為を通じて「自国の特徴を強化する」行為でもある、と。
人間関係でも同じことが言えるのではないか、とこの本では考察を進めていました。
例えばとある女子大生がいたとして、その「わたし」という人間は、「日本人」でもあり、両親の「子」でもあり、「女」でもあり、「学生」でもあり、塾の「先生」でもあり、「アジア人」でもあり、「仏教徒」でもある。
確固たる「わたし」があるのではなく、他の人との関わりによって「わたし」は形作られている。親の前では「子」であり、教授の前では「生徒」であり、世界に出れば「アジア人」であり「日本人」である、と。
なるほど、確かに。「わたし」を「わたし」たらしめているのは、わたしの周りの環境なのだと。そして、その環境は変化するし、カテゴリーが増えれば形も変わる。
文化人類学は変化してきた。
最初は、「固定的な民族というカテゴリーに注目して、そこに固有の文化がある」と考える見方。そして、「民族は、無数にある人間関係のカテゴリーのひとつにすぎない」という考え方に変化してきた。
1つのカテゴリーだけの視点で見るからこそ「争い」が起きる。
複数のカテゴリーで見る視点を持てば、違うところもあり、同じところもあり、「はみだす」ことによって共鳴できるところはある。
2023年11月現在。世界はなんだかキナ臭い状況になっている。
1つのカテゴリでいがみあっている。本当はみんな同じ地球人なのに。
そんな簡単なことじゃないとは知りながらも、そんなことを考えながら読みました。
っと、何が言いたいのかわからなくなってきた。
NHK学びのきほんシリーズは、短くまとめられていて、さらっと読めるけれど、大抵深い深い話が書いてある。良い本でした。KindleUnlimitedで読んだけれど、これは何度でも読んで、頭を柔らかくしていくのに使いたい本でした。 -
異文化理解というものについてモヤモヤしてたことが少し見えてきました。
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文化人類学がどのようなもので、どのような手法を用いて行われているのか。特に、手法の話は面白かった。
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文化人類学めちゃくちゃ面白い!大学のときに専攻しておけばよかった!
インターネットやSNSの発達によって、誰とでも時間的・空間的制限なく簡単につながれるようになった現代。簡単につながれるようになったが故に起こっている分断、リアルでの人間関係の希薄化、コミュニケーション不全。そこにコロナがやってきて、さらに分断が深まったように思います。これら人間関係や人とのつながりに関する諸問題を解決する手段として、文化人類学が有効だと本書を読んで感じました。
これからの時代は、共生、共有、共助、つまり他者とのつながりがより重要になっていくと思います。1つの組織やコミュニティにずっと所属するのではなく、様々なコミュニティに属し、多様な他者とつながる、そういう時代が当たり前になっていくんじゃないかと思います。そこで重要になってくるのが、いかに他者とより良くつながれるか。この問題を考える上で、文化人類学の果たす役割は大きいなと思いました。これから、ますます注目される学問分野だと思います! -
文化人類学の考え方を学べた。
その民族には「その民族である理由」があるんだな。
と思った。
進化の方向も一つじゃなし、答えや正解は一つじゃない。 -
同じ人間にも複数のカテゴリがある。「日本人」「男」「A型」「会社員」「父親」などなど。どのカテゴリかで印象ががらりと変わる。生真面目なA型なら、A型だから、とA型のカテゴライズに使えるし、甘えっ子のA型なら末っ子だから、とカテゴライズすればよいく、別に嘘ではなく間違いでもないのだけれど、安易なカテゴライズは危険である。
そして深く知るほどに「○○の」とカテゴライズされたその人ではなく、個を見るようになる……というのはわかるのだけど、人類学ってカテゴライズして分類することに意義があるような気がするのだけど、違うのだろうか。
結局は、個でありそれぞれ、という普遍的に当たり前で正しいことを認めて、そこで停止したら学問にならない気がする。