ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論 [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • タイトルを見てとても興味を惹かれ手に取ったのですが、読み進めるにつれ「もしかして自分の仕事も『ブルシット・ジョブ』なのでは…?」と気がついた自分。単に「作業」として取り扱われることが多く実際はケア的な側面も多い仕事であるのに管理する側からするとそれはロボットなどの単純作業で置き換えの利く部署であるだろうと思われがちないわゆるサービス奉仕業。実際に機械に置き換わっている職場もある位置にある自分の仕事…
    そしてここ最近はコロナ禍で来客が減っているあおりでたいしてしなくてもいいような作業を色々見つけては時間をつぶすような日も多々あるというような勤務っぷり…はぁ。他人事では全くない気持ちで読み進めました。
    琴線に触れる箇所が随所にあり過ぎましたが、7章の道徳羨望についての説明にハッとしました。「あれは何だったのか」と若いころ感じていたことについての回答がここにありました。なるほどなぁ、と。
    同じ章の中で失業手当や年金を受給する手続きについて実に煩雑で困難である理由が明確に書かれていて「そういうことか!」とこれも膝を打ち。
    日本でいう「生活保護受給者たたき」の構造はこれだ、と思いました。ウッスラもやもやと感じていたことが明確に文章で提示されるというのはすかっっとするだけでなくきちんと認識する意味で重要なことなのだと今更のように感じました。
    あとがきにあるように確かに本書は「だれでも知っているが、だれにもいわれていないがゆえに、だれもいわない」ことを、明確に表現した著作だと思います。
    著者にはまだまだ書きたいことや訴えたいこと、言い尽くせないことがたくさんあったでしょうね。

  • 20世紀初めにはテクノロジーの進化で「21世紀には人類は週15時間働けば良いようになる」と言われた。しかし歴史はその選択をせず、現代の我々はより多くの時間を仕事につぎ込み、4割ちかくの労働者は「自分の仕事は無意味」と思う事態になった。
    ロビイスト、広報調査員、保険数理師、テレマーケター、コンサルタント、マネージャー、などのブルシットジョブ(無くなっても問題の無い仕事/無意味/有害ですらある仕事)はなぜ存在するのか。これを解決出来る方法はあるのか。を考察するのが本書。
    2020年に新型コロナによって死亡した著者は、過激な反資本主義者として知られ、「アナーキスト経済学者」と他称されていた(本人はこのニックネームを大変嫌っていた。誤解が多いため)。しかし本書の内容はそれほど過激なものとは思えず、むしろ現代社会の病理を的確に分析した未来への指針と言えるものだ。
    そして最終章で最後に少し触れられた方法は「労働と生活を分離する」ためのベーシックインカム導入だった。彼の予測では、導入によって人々が働かなくなる、あるいは働く意欲を無くすことはないという。理由は、人々はそもそも人のため、人類のために活動したいという根本的な欲望が備わっているため。仮に仕事をせず一日中部屋でテレビを視る人間が現れたとしても、その影響は現在のブルシット経済の弊害よりもはるかに少ない。

    看護師、消防士、農家、大工、道路清掃、医者、ジャーナリスト、仕立屋、保安検査員、ミュージシャン、光津指導員でブルシットジョブと感じる人はほぼゼロ。ショップ店員、レストランなどの下級サービス業でもほとんどいない23

    ブルシットジョブとシットジョブは違う。ブルシットは実入りがよく、極めて優良な労働条件、ただ仕事に意味がない。シットは大抵しっかり社会を益する仕事だが、報酬や処遇がぞんざい32

    シベリアの「桶の水を他の桶に移し、また逆を延々にやる仕事(刑)」はブルシットジョブに似ている。あるいはブルシットジョブとシットジョブの最悪部分を組み合わせたもの34

    ブルシットジョブの典型は公務員だと思われるが違う。公務のスリム化をしたことてこれらは民間企業に広まり、しかも増大した36

    ソ連は国家予算で無意味なダミーのプロレタリア仕事(パンを買うのに3人の人間を通すなど)を作ったが、資本主義社会の企業は企業利益で無意味なダミーのホワイトカラー仕事を作った36

    ブルシットジョブを産み出した根本は「時間労働」。産業革命とほぼ同時に懐中時計や腕時計が普及した。経営者は「お前の時間は俺が買ったもの」と労働者を監視する。
    また「労働者が働いていないのは悪」というキリスト教的(ピューリタン的)道徳観が経営者の支配動機になっている129

    ブルシットジョブが人に与える傷は「恋愛物語による文化的モデルの欠落」に似ている。片思い失恋をした者のほとんどは、その後その事がトラウマになどならない。が、「片思いされた側」はその事の罪悪感と混乱が後々まで傷を残す。これは「片思いされた側」についての物語が存在しないので解決策が文化的に無いからだ。ブルシットはこれと同様でその「無意味と厚待遇」が傷を残すが、その解決策(納得する/そのような事態を倫理化する)モデルが無い156

    ウェブサイトのバナー広告の設計はブルシットジョブである。バナー広告はほとんど無意味で、ウェブユーザーはまずクリックしない。広告クライアントの自己満足のためだけに存在している。これはデータによりはっきりしている。しかしバナー広告代理店は、偽りの効果実績をでっち上げて仕事を取る。設計者はその無意味な行為(それどころか詐欺の加担)のために時間をさく161

    スノーフレイク世代-ミレニアム世代(2000年)の蔑称。スノーフレイク-「自分は特別だ」と思い込んでいるが、その自信は脆い人(スノーフレイクは雪の結晶)177

    ブルシットジョブに就いている人(就いていた人)はその解毒剤として様々なレジスタンス活動を併用してきた。特に多く使われた活動解毒剤は、政治とアートだ185

    ブルシットの解毒剤を最も有効に服薬できる注射器はソーシャルメディアの可能性がある。無意味な仕事に取り組んでいるように見せかけつつも、隙間の時間に柔軟にオンオフができるSNS。ソーシャルメディアがこれだけ発展した理由の一つがこれの可能性がある。187

    20世紀末から現在の産業構造は一次二次産業が縮小して第三次産業(サービス業)が増大したと言われてきたが、サービス業は増えておらず、実は第四の産業である情報産業(行政官、コンサル、事務員、会計スタッフ、IT専門家)が増えたのでは?そしてこの産業こそブルシットジョブが年々増えている要因だと考える。
    情報産業はウォール街の利潤追求システムから産まれた、またはそのものだ。彼らは政府と結託して負債をどんどん増やして、そこから利潤を得るある種のトリックを使った錬金術師である。言ってみればほとんど詐欺師である。200

    「ボラントールド」会社や組織から命令されて、イヤイヤやるボランティア225

    近年「管理職を管理する管理職」や「経営者と労働者の間で無駄に方針を調整する役職」などの無意味な職業が蔓延った(これらに奉仕する部下はまさにブルシットジョブ)。ハリウッドやアートの世界も同じようにような職業が幅を利かせ始めた。アート界ではそれをキュレーターと呼ばれる。この職業は、今やアートそれ自体と同等の価値と重要性があるとしばしばみなされている240

    世界で最も効果のある地球温暖化防止作は労働時間の短縮だ254

    自らの報酬に対する社会的コストを想定して社会的便益率を計算すると、金融業、広告業、税理士など高額報酬の職業は軒並みマイナス便益率になる。この事は「報酬の高い職業ほど社会的便益がなく、社会的便益が高い職業(清掃員・保育士など)ほど報酬が少ない」という仮説を強く想像させる。
    そのなかで医師は例外的だと考えられるが、実際には違う。人類の健康と長寿に貢献したのは、高度な医療技術てはなく、圧倒的に栄養学の発展と公衆衛生の向上だからだ。したがって医師よりも看護師と病院清掃員のほうがより多くの貢献をしている。277

    「もっと仕事をよこせ!」とデモをする左翼も、「デモの暇があったら仕事しろ!」という右翼も表裏一体だ。どちらも「仕事を多くする」ことに価値を置いている。これは現代が「労働の美徳」を倫理的だと、より考える社会になったことに関係している。その根拠がある。①1930年代の困窮者は、プレイボーイの億万長者が冒険する映画を娯楽として観ていたが、現代では殺人的スケジュールをこなす英雄的CEOの物語が人気。②現代では有閑階級は批判されない。それはその階級が居なくなったからではなく、「遊んで暮らす」ことが評価の対象じゃ無くなったから。③その影響はイギリス王室まで及んでいる。最近の王室は膨大な儀式、儀礼をスケジュールさるて、彼らにはプライベートの時間もない281

    不毛なブルシットジョブが無くならないのは、従事するほうもそれを望んでいるからかもしれない。それは「苦行」としてのブルシットがなければ、自分自身の存在意義がわからなくなるから。316

    ブルシットが無くならないのは、価値があり楽しめる仕事は、怨嗟の対象になるから。その仕事の人は大抵低賃金。そして高報酬の雇われ仕事はブルシット
    車業界の人員整理が批判されなかったのは、他の職業の労働者から怨嗟の思いで見られていたから。曰く「あいつらには車を作っているという事実だけで充分だ(とてもクリエイティブで楽しい仕事が出来ているだけで充分満ち足りているはずだ)。それ以外必要ない。なのにやつらときたら歯科保険をつけろだとか、子供とヨーロッパに旅に出たいから二週間有給をとらせろとかでストライキをちらつかせやがって。ふざけてんのか?」と、他の労働者から揶揄された326

    様々な職業がロボット、ITによって取って替わられるというが、資本家が取って替わられるという話は聞いたことが無い333

    ブルシットが増えた理由は、数量化しえないものを数量化しようとする欲望の直接的な帰結。自動化は特定の作業をより効率化するが、同時に別の作業の効率を下げる。ケアリングをコンピューターにやらせようと思うと膨大な人間労働を必要とするから。(「切符切り」を自動化しても効率化した良い仕組みは生まれない。なぜなら駅員は「切符切り」ではなく、迷子や酔っぱらいに声をかけることが実は大切な仕事だから)337

    ベーシックインカム導入でブルシットは解消される。その主旨は「労働と生活を分離する」だ359

    ブルシットジョブの最終的な実用的定義=ブルシットジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇の用形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。409

    なにが無駄で無意味な仕事なのかは、経済を停めてみて観察すればよいが、そんな実験はできない。が、このパンデミックでその不可能な実験の機会が現れた。滅多にない好機だった(訳者酒井)418

    デヴィッドグレーバーが「新進気鋭の、世界的によく知られた公共的知識人」と呼ばれる所以は、
    現在の数多の経済学者、マルクス研究者が、資本主義システムや「経済」という理論を「大前提」にしてしか語れないのに対し、彼はその前提すら疑い、人々の生活の中でなにが起きているのかを発見、定義する(「ブルシットジョブ」という概念)ことができる凄い人物だから(訳者酒井)425

  • タイトルだけ印象的で読めていなかった本をオーディブルで。
    「クソどうでもいい仕事」、働く本人が価値を認めていない、社会に価値を提供しない、それでいてとても重要な仕事だと取り繕わないといけないような仕事のこと。
    例えば見栄のためだけに雇われた受付嬢とか、意味をなさない書類手続きだけの仕事とか、改善する気のない苦情受付係とか。
    資本主義の不合理さというか、各自が利潤追求するだけでは合理化されない問題が浮き彫りになる。

    正直なところ、後半の労働価値説のあたりはやや難解で理解し切れた気はあまりしていない。
    仮名で登場する「自分の仕事がいかにブルシットか」を語る人々の仕事を見るだけでも面白かった。

  • 概念や理論展開についてはまがりなりにも理解できるのですが、不必要に長くなってる気がしてしまう本でした。とても興味深い内容なのですが、理論展開自体も少し荒い気がしてしまい、決して難しいことは言ってないのに読み進めるのが少し辛いという不思議体験をしました。
    個別のインタビューでそれぞれが自分の仕事に対する気持ちは見ていて興味深かったです。

  • 薄々気付いていたことを明文化された感じ。よくブルーカラーとホワイトカラーみたいな対比をするけれど、実はホワイトの方が手に職がついておらず霞を食っているような状態で、=ブルシットであるということ。コロナ禍のような状況に陥るとよくわかりました。

  • 今年の3冊目。
    少し自分には難しく、読みづらかった。

  • 人類学の面目躍如。まぁ,中小零細にはブルシット・ジョブを抱え込む余裕なんてないとは思いますが,大企業や行政・各種団体・NPO等にはいっぱいありそうな気もする。AIによって代替可能という議論以前にそもそも不要な仕事な訳で,効率化とか生産性とは関係のない仕事が残る限り,AIによる働き方改革は労働全体としてみればさほど大きな影響を及ぼさないのかもしれないと思わせる

  • この本を知った時、クソみたいな仕事とはタスクの事だと思っていたが、読んでみるとジョブの事が書かれていて自分のまわりとは違うかなと思った。
    日本においては中小企業が大部分を占めていて慢性的に人手不足なので、無意味な仕事というのはそれほどなく、大企業や官公庁ならあり得るなという感覚だからあまりピンとはこないのが正直なところ。
    『君たちはどう生きるか』を読むと経済規模が大きくなって、自分のやっている仕事が直接に価値となっているのかがわかりにくくなっていると書かれている。これは現代だとさらに大きく複雑化しているのだろう。
    この本で書かれている事は上記とは違い、仕事の為の仕事となってしまっていて、やってる本人が疑問に思うほど無意味な仕事のようだ。
    そしてそれを生活の為だから言って仕方なくやっているというのが今の世界の人々なのだ。余暇の為に辛い思いをしている。これは日本でもそうだ。
    富が1%集中にしてしまった世界でせめて自分だけは無意味な仕事には就かないようにし、無意味とは言わないまでも買う意義を感じない物にはお金を出さないようにしたいと思った。
    でも本当は人類って働かなくても世界を回せるはずだよね...

  • - 市場改革はゴテゴテした官僚組織を民間にまで拡大させた
    - 無駄な浪費とブルシット・ジョブは似ている
    - 性労働はブルシットジョブ?
    - サービスの提供者と受給者の相互の軽蔑がマックス
    - ブルシットジョブ特徴(共通点:意味がないと分かりつつ、意味がある風にしなくてはいけない)
    - 飾り立て。賑やかし。ゴマスリ。
    - やってる風、すごい風を見せる
    - 調整、ケツ拭き(本来発生しなくていい場合)
    - 押し売り。騙し売り。pretend。
    - 必要のないマネジメント

  • これまでのキャリアで感じてきたモヤモヤが言語化されていた。てっきり自分の周りだけかと思っていたら、くそどうでもいい仕事をしているひとは世の中に大勢いるのか… それはそれでとてもおそろしい… 文章構成があまりよくないのか、こちらの読解力が低いのか、何が言いたいのかわからないところが多いのが残念。

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著者プロフィール

1961年ニューヨーク生まれ。ニューヨーク州立大学パーチェス校卒業。シカゴ大学大学院人類学研究科博士課程(1984-1996)修了、PhD(人類学)。イェール大学助教授、ロンドン大学ゴールドスミス校講師を経て、2013年からロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授。2020年死去。
訳書に、『アナーキスト人類学のための断章』(2006 年)、『負債論──貨幣と暴力の5000 年』(2016 年)、『官僚制のユートピア』(2017年、共に以文社)、『ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論』(2020年、岩波書店)ほか。
日本語のみで出版されたインタビュー集として『資本主義後の世界のために──新しいアナーキズムの視座』(以文社、2009 年)がある。
著書に、Lost People: Magic and the Legacy of Slavery in Madagascar (Indiana University Press, 2007), Direct Action: An Ethnography (AK Press, 2007). ほか多数。
マーシャル・サーリンズとの共著に、On Kings (HAU, 2017, 以文社より刊行予定)、またグレーバーの遺作となったデヴィッド・ウェングロウの共著に、The Dawn of Everything(Farrar Straus & Giroux, 2021)がある。

「2022年 『価値論 人類学からの総合的視座の構築』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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