百花 (文春文庫) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 記憶が失われていくとは、どのような感覚なのだろう? 誰にでも老いは訪れ、程度の差こそあれ若年あるいは壮年の頃と比べると記憶は低下するだろう。この小説に登場する母・百合子のように認知症になって、記憶が失われ、混乱することもある。
    百合子は愛する息子に支えられ、少しずつ記憶が失われゆくことを自覚しつつも、それでも息子との時間を楽しく生きている。息子・泉は、結婚しまもなく生まれる我が子との生活と日々の多忙な仕事をこなしつつ、母を支える生活の中で彼女が失いつつある記憶をその分取り戻すかのように自分の中に蘇らせてゆく。やがて母は、息子の名前さえ忘却する。息子からすれば、自身が懸命に寄り添い、支えている、我が最愛の母におのが名を忘れられゆくことへの葛藤は想像するにすさまじい。

    泉は過去に一度母を「失った」。認知症などということにはかかわりなく、泉には失われた一年があった。認知症の母との生活で、百合子と泉が共有していたはずの過去の記憶はすこしずつ取り戻されてゆく。だが、失われた一年の記憶はそもそも共有されていないのである。
    泉の記憶には、「あの一年」、自分は母を失っていたということのみ。失われた一年の母の記憶は、いったいどのようにして共有されるのか? ここもまた本作の読みどころである。

    ところで『百花』は、つい先ごろ映画化されている。私も観た。小説と同様、静謐な映画だった。物語と違わず、泉は母に寄り添い、母は薄れゆく記憶の中で、それでも(名前が記憶から消し去られても)目の前にいるのが我が子であることは忘れない。
    アルツハイマー性認知症――これが百合子の症状への医師の見立てである。百合子の記憶は、時に混濁し、時に残滓となった記憶が脈絡なく混じりあい、そして純化されてゆく。記号化された情報である名前は忘れてしまっても、最愛の我が子と観た「半分の花火」の記憶は最後まで鮮明に残っている。記憶の残滓は、さらに濾過され、天命を全うするまで失われることのない記憶だけが百合子に残されるのだろう。そして、失われたはずの記憶は、息子に引き継がれ、彼の中で生き続ける。同時に、彼の中では失われた一年の記憶もつなぎ合わされ、再び彼の中で純化されて、彼と妻との間に生まれた我が子へと引き継がれる。

    日本が高齢化社会と呼ばれて久しい。この言葉に親和性を覚えるようになってからも、さらに高齢化は進み、それを裏返すかのように少子化という言葉も叫ばれてきた。高齢化社会の到来は、社会的にもさまざまな葛藤や不都合をもたらすが、引き継がれるべき記憶の受け皿が少なくなっていくという意味で問題の根は深い。
    最近では、まるで遺書を書くかのように自伝を遺すことが流行してきているらしい。偉人と呼ばれるような人物でもない限り、記録として伝承されることは少なかったのではないだろうか。その記録にしても、後年、さまざまな人の記憶を寄せ集めて記録となったものであり、自身で記録を書くという例は些少だったと思う。
    おのが手で自分の記憶を記録化するための自伝。それがビジネスとなる日本。そのことに何ら有効な手立てを施せない日本という国家。かつては世界から絶賛されていたこともあったはずのこの国には、今、これほどに根深い宿痾が横たわる。自伝にでも遺さない限り、命とともに、伝承されなかった記憶はたちまち昇華し、霧散してしまう。

    こうした時代に『百花』は間違いなく読まれるべき作品であるように思う。無論、映画を見るのでもよい。だが、しかし物語を読むことでこそ、書かれた文章の行間からにじみ出る母と息子の愛、そして愛ゆえに必死に記憶を手繰り寄せようとする息子の姿といった情感はより得られることだろう。さまざまなことを考えさせられるテーマの物語であるが、考えるより母と子の愛や情に身を委ねて、ただただ物語を「感じる」ことがこの物語への正攻法なのかもしれない。

  • 消えていく、記憶と想い出。
    蘇っていく、記憶と想い出。

    母子家庭で育った息子が、認知症になった母を看取る。

    母親は、たったひとりの家族である息子の名前も分からなくなり、大切な記憶さえもどんどんと失われていく。

    それを目の当たりにしながら、息子は母とのいい想い出も、消しさりたい記憶も、すっかり忘れてしまっていた記憶も鮮明に思い出していく。

    ピアノ講師だった母、毎日花を欠かさなかった母。
    そんな母親でも、生きていれば綺麗な話だけではない。
    ”育児を放棄した空白の1週間”と贖罪のその後がある。
    どこかで根に持ちながらも、総合的には感謝もしつつ、気持ちを折り合わせてる様子が、切なかった。

    打ち上げられる花火のように、感動したはずの景色も、終わった瞬間に忘れてしまう。
    「でも、色や形を忘れても、誰と一緒に見て、どんな気持ちになったのかは思い出として残る。」
    その大切な記憶は絶対に忘れない。

    私の亡き祖母は、認知症で私の存在は最初から認識されなかった。
    孫である私だけでなく、腹を痛めて産んで育てた子供の存在すら忘れてしまっていることに、私は恐怖を感じた。
    その頃から、私は忘れないように、記憶が消えないように、書き留めるくせがついている。
    それでも、半世紀近く生きていると、身に起きた沢山の記憶が消えていくし、記憶の捏造もされる。
    私にとっての「半分の花火」、最後の最後まで忘れたくない記憶は、なんだろう。
    「母性」の記憶かな。

  • 「私」が失われていく病気、認知症。家族からは「母」や「妻」を奪っていく。最後に残る「私らしさ」とは、なにか。そして、その人の中に最後まで残る「あなた」はなにか。病棟にも認知症の患者さんがいて。夫の名前は一度も呼んだことがない。いつも、「お母さんは?」と母親を探している。その人のいう「お母さん」が、実際の母親なのか、なにか「お母さん」に代表される温かい感情なのかはわからない。私が認知症になった時、最後まで覚えているのはなんだろう。私の母のなかに最後まで残る私は何だろう、と思った。

  • 今回初めて、アルツハイマーになる家族が話の本を読みました

    自分とイズミの境遇は違えど、今はしっかりしている母がアルツハイマーになったら、母といつかこういう会話して、同じ様なことで母に苛立ちを覚え、同じことで最後後悔し、泣いてしまう気がした

    母の愛情は本当に尊いと思った

  • 映画の公開のCMを観て気になったので手に取りました。
    川村さんの作品は「世界から猫が消えたなら」を読んでからの2冊目です。

    母子家庭で育った泉。もう少しで子供が生まれて父親となるという時に母親の記憶が徐々に失われていく。
    そんな二人には忘れることのできない事件があった。
    現代に新たな光を投げかける愛と記憶の物語。

    認知症がテーマとなっている映画や本の作品をいくつか観たり、
    読んだりしたことがありますが、重いテーマなので暗い
    イメージが第一印象になりますが、この作品の場合は花が出てきたり、
    花火が頻繁に出てくるので美しい映像がぱっと目の前で浮かびながら
    読んでいたのであまり重苦しさが全面に出るという印象はありませんでした。
    むしろ泉が思っている母親像とは違った一面が
    引き立つかのように女性であったという部分が見えた感じがしました。

    この二人の親子は母子家庭ということもありますが、
    どこか特別な絆のようなもので結ばれているというのが
    端々に垣間見れました。
    泉が婚約出来たことを知らせたら、
    「ふたりで生きていくのに精一杯だったじゃない。旅行したり、
    おいしいものを食べに行ったり、これからやっと、
    親子らしいことができると思っていたのに」
    と言っていたのでこれは珍しい事だなと思いました。
    普通の親子だったから素直に祝福の言葉ではないのかなと思ってしまいました。

    母親が時々発していた言葉の
    「わたしの誕生日は誰も忘れないけれど、いつも忘れられる。
     だから、たまにはこうゆう誕生日があってもいいのだと思う。」
    も印象的です。

    そして泉の父親とも思われる人の言葉も印象的で
    「これからは自分のために生きてみたらどうでしょうか。
    せめて僕と一緒にいる時間だけでも」
    ということからこんな言葉が言える人だから
    もしかしたら母親も心が揺らいでしまったのかなとも
    想像してしまいました。

    今まで息子のために女手一人で頑張ってきた母親が
    ある時期だけそれを辞めてしまった時の日記を読んだ
    時の泉の心境を考えると複雑ですが、
    阪神大震災をきっかけにまた息子のために元に
    戻って人生を捧げたという気持ちが徐々に分かってくると現実の母親が弱っていく様子をみることはとても辛く
    読んでいても切なくなりました。

    この作品では認知症がテーマということもあって
    記憶に関しての事柄が沢山出てきます。
    「人間は体じゃなくて記憶でできているということ。」
    ということを更に実感することとなり、
    母親の記憶はどんどんと薄れていくけれど、
    反対に息子の思い出がどんどんと思い返すこととなり、
    それが二人の危うい心のバランスを保っているかと思うと胸が詰まる思いがしました。

    歳を重ねると多くの人達が身体の老い、
    介護の現実などに直面することが多いので、
    そんな年齢に差し掛かっている自分も他人事とは思えずに読んでいました。

    自分の場合は若い頃に両親が他界してしまったので
    介護に関しては義母だけの心配がありますが、
    それよりも自分が認知症とは言わずとも介護される身に
    なったことを考えると色々と考えてしまいました。

    それよりも特別な大きな思い出を作るということではなく、
    日常のたわいのない生活の一部が積み重なって
    素敵な思い出になっていくというのがこの作品では
    印象的に残ったので、小さな思い出を紡げるように
    日々の生活を大切に生きていきたいなと思いました。

    様々な思いが交錯してこれから誰しも対面するかもしれないことが登場するので考えさせられる作品でしたが、
    決してマイナスイメージではなく心穏やかな温かさが伝わる作品でした。

  • 徐々に記憶を失ってゆく母
    思い出をよみがえらせてゆく息子

    母であること
    無償の愛
    失われた1年
    年齢を重ねることの哀しさ

    「半分の花火」の意味を知った時、息子は母親の深い後悔と愛を知ったのだろう

  • 親と子のお話。
    認知症、苦しいと思うところがいくつかあった。
    でも認知症って人間らしい病。その通りだと思った。

  • 母子家庭で育った息子と、アルツハイマーを発症した母の物語。
    徐々に失われていく母の記憶、記憶をよみがえらせていく息子。
    なんとも胸が苦しくなりつつ、温かいものが奥底に灯るような。でもやっぱり切ないです。泣きたくなるような思いが度々。母の混乱する思いの描写がリアルで、こんな風にわからなくなっていくのは怖い。必死で抗って、メモを残してなんとか記憶を留めようとするお母さんの気持ちを思うと苦しくなりました。それを目の当たりにする息子の気持ちも。
    老いていくとはどういう事かをリアルに感じ、考えさせられました。自分が子の立場で直面する日、自分自身が自分事として直面する日がくるのかもしれない。その時、私は何を思うのかな。私にとって最後まで忘れたくない、最後に残る記憶は何なんだろう…

  • 香織に脱帽★★★★★

  •  認知症をテーマにしただけに、重たくずんと胸に凝るようなお話でした。

     アルツハイマー型認知症。
     初めは少しおかしいな、くらいの症状だった母親を、どのタイミングで病院に連れていくかは人それぞれの考え方だと思うけれど、もう少し早く気付いていれば、今思えばあの頃からおかしかったのかも、とたらればの後悔は尽きないものだと思う。
     少しずつ、当たり前にできていたことができなくなる。
     少しずつ、分かっていたはずのことがわからなくなる。
     少しずつ、けれど確かに、記憶が蝕まれて、人格までが変わっていく。
     誰もが、自分の身近な人に対して経験する可能性のある話だし、この超高齢化社会では当たり前になりつつある家族の話でもあったと思う。

     母の介護と、新しい命を宿した妻のサポートと、忙しい仕事。
     無償の愛を注ぎ続けてくれていた母が、突然いなくなった時のこと。
     母が忘れていくことと反比例するように、忘れようとして本当に忘れていたはずの蓋をした記憶が蘇ってくる主人公。

     何度も時間軸が行き来するため、途切れ途切れで読むと途中で迷子になりそうな感覚がありました。
     今は健康な誰かが、そうなったとき。
     私はどんな顔をして、どんなことを思って、その誰かとどのように生きていくのか。
     改めて考えさせられた気がしました。

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著者プロフィール

かわむら・げんき
1979年、横浜生まれ。
上智大学新聞学科卒業後、『電車男』『告白』『悪人』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『寄生獣』『君の名は。』などの映画を製作。2010年、米The Hollywood Reporter誌の「Next Generation Asia」に選出され、’11年には優れた映画製作者に贈られる「藤本賞」を史上最年少で受賞。’12年に初の小説『世界から猫が消えたなら』を発表。同書は本屋大賞にノミネートされ、佐藤健主演で映画化、小野大輔主演でオーディオブック化された。2作目の小説にあたる本作品『億男』も本屋対象にノミネートされ、佐藤健、高橋一生出演で映画化、’18年10月公開予定。他の作品にアートディレクター・佐野研二郎との共著の絵本『ティニー ふうせんいぬものがたり』、イラストレーター・益子悠紀と共著の絵本『ムーム』、イラストレーター・サカモトリョウと共著の絵本『パティシエのモンスター』、対談集『仕事。』『理系に学ぶ。』『超企画会議』。最新小説は『四月になれば彼女は』。


「2018年 『億男 オーディオブック付き スペシャル・エディション』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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