知ってるつもり 無知の科学 (ハヤカワ文庫NF) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • よく、人に何かを教えることは、教えられる側ではなく教える側にとっていい勉強になるといわれる。その真の意味するところを理解できた本。人は、何かを説明しようとして初めて、その物事について理解していない部分を知ることができる。それを本書では、説明深度の錯覚という。

    - 人は何かを説明しようとした際に、自らが説明深度の錯覚に陥っていること、つまり説明できる知識は自分が思っていたほど持ち合わせていなかったことに気づく
    - 脳は行動すること前提でできてる。うまり、環境からのより本質的で抽象的な手がかりにうまく対応できるようになり、新たな状況にますますうまく適応できるようになる。
    - 人間は原因から結果を推定する方が苦手
    - 人間にとってもっとも自然なコミュニケーションの手法である物語が、因果的知識に依拠しているのは偶然ではない
    - 直感型ではなく熟慮型の人の方が説明深度の錯覚に至りにくい
    - 脳と身体、そして外部環境は協調しながら記憶し、推論し、意思決定を下すのだ。治世は脳の中にあるのではない。脳は知性の一部。
    - 志向性を共有する力は、人間の最も重要な能力を支えている
    - 私たちは集団において、相互作用的に活動する。だから個人の貢献度を見極めるのはきわめて難しい
    - 我々は完全に掌握できないシステムの中の歯車に近い。だからこそもっと注意深くなり、自分が本当は何が起きているかわかっていないことを自覚する必要がある
    - 科学への理解や意識を変えたいのであれば、その欠乏の背後要因を理解する必要がある
    - 個人が集団の推論や問題解決プロセスにどれだけ貢献するかが知能
    - 人は基本的に行動するようにできている。講義を聴いたり、記号を操作したら、事実を記憶したりするようにはできていない。
    - 知識のコミュニティにおける自分の位置を知るには、自分の外にある知識について、また自分の知っていることと関連のある知らないことに自覚的になる必要がある。
    - 個人の強みを考慮し、それぞれが最も得意とする役割において才能を開花させられるようにすべき。また共感と傾聴の能力がいる。事実を見るだけでなく批判的に思考する能力を身につけさせるべき。
    - 意思決定をする時には「説明嫌い」になる。説明は簡単でも、くどすぎてもいけない。ちょうどぴったりがいい(大衆向け)。意思決定の多くは、世界の仕組みについて推論を必要とする。
    - 金融リテラシーは使わないと消えていく。つまり自分のパートナーが自分より優れた専門知識を持っている分野がある場合、自らがもつその分野の知識は減っていく
    - ナッジとは、行動科学を活用することで、後から悔やむような意思決定をする理由を特定し、意思決定のプロセスを変化させることで、将来はもっと良い意思決定ができるようにすること。
    - ナッジから学べることは、個人を変えるより環境を変える方が簡単で効果的であるということ。
    - 無知は避けられないもの、幸せは主観的なもの、錯覚にはそれなりの役割がある
    - 多少の錯覚をもちつつ、未知の領域に果敢に挑戦するのは良いこと
    - 情報処理能力以外に、他者の立場ら感情的反応を理解する能力、効果的に役割を分担する能力、周囲の意見に耳を傾ける能力はども知能の重要な構成要素とみなすべき

  • 水洗トイレがなぜ流れるか、いわれてみると知らないなぁ。冒頭、ビキニ環礁の核実験の話からはじまる。第五福竜丸の話は聞いたことがあった。あの実験はつまり、核爆弾に研究者たちが想定していた以上の威力、怖さがあったということだ。あの当時、今からみればその程度の知識で、たいへんなことをしてしまったことになる。人間は愚かで、自分が思っている以上に無知だ。一方で、その無知な人間が核爆弾をつくったり、今ある文明の利器を作り出してきた。それはなぜかを考えていく。

     面白かったね。スティーブ・ジョブズ。バラク・オバマ。名前をあげれば、賢い人としてイメージされるだろう。しかし、彼らは単独で事をなしとげたわけではない。実際、Appleが復活したiMacのデザインは、べつにジョブズが出したわけじゃない。没になりかかっていたアイデアを、これいいね、と引き上げたのだ。

     人間の知性とはつまり、単独のものではなく、集団のものとして形成され、力を発揮するものなのだ。誰もひとりでことをなしとげるわけではない。

     読むほどに刺激があり、あれこれ考えた。この本はまた読み返したいね。

  • 人間は意外と無知だよね、というお話。
    ただ、無知なことを批判するだけではなくて、なぜ無知でも人類はこんな発展してきたか、そしてそのことのメリデメも記載されている。

    要するに、コミュニティに知識を預けているから、各々が専業性を発揮し発展してこれたが、それゆえにコミュニティが誤った方向に行くと、とんでもない方向に行っちゃうよねという話。

    哲学や歴史でいう「無知の知」が大事だよねという話である。

    主張は既知のものであり、衝撃はなかったが、具体例として掲載されていた実験が興味深かった。

    賛否が分かれる政治的な議題(原発稼働など)に、自分の賛否を数値化して表した後に、①政策の因果関係を詳細に記述 ②自分の賛否の根拠を詳細に記述する の2つを行う集団に分けると、前者は態度が軟化(中立的に)なり、後者はより過激になった。
    これが面白く、客観的な事実を認識することと、自分の主観を整理することは全くべつの作業であり、前者の大事さを再確認できた。
    何事も「半年ROMれ」なのかもしれない(筆者は最後に無知であることは大事だとフォローしていたが)

  • 納得

  • なぜ人は薄っぺらな主張に流され、浅はかな判断をするのか。

    パフォーマンスが低い人ほど、自らのスキルを過大評価するという認知バイアスの原因となる。スキルのない人は、自分が何を知らないかを知らない。

    知識の錯覚の中で生きることには落とし穴もあるが、自分の知識に過大な自信を抱いた結果、新たな領域に足を踏み入れる自信を与えることもある。

  • ある程度既知の(出典がこれなのかもだが)研究紹介だったりもしたが
    後半の提言に近しい部分などは、ポピュラーサイエンスの一過性に類する読後感よりかは、従前の興味関心であった情報の非対称性の問題についてなど再考を促すものであった。

  • ★★★

  • 最初は人間の知識がいかに皮相的かを説明しつつ、知識がコミュニティに属していること、そしてそのメリット/デメリットを説いた本。

    人の知識は推論とコミュニティ(価値観醸成の元)に依存しており、自分の内側・外側を区別せずに知識を評価する。
    故に個人としての知識を幾ら教育してもダメで、世界や他者の力を借りながら学習し情報を補完するコミュニティに対して教育しないといけないとのこと。

    世の中は複雑である。
    そして個人の認識や知識には限度があり、故に驚くほど我々は無知である。しかも、実際よりも物事を理解していると錯覚しながら生きている。
    自らの無知を自覚しつつ、コミュニティの判断力を高め、知恵を借り生きていく必要がある。

    ただ、コミュニティの責任は負わなくてはならないので、自分で判断する必要があるが、その判断するのにも知恵がいるのが何とも皮肉だなと思う。

  • 自分がそうだと思い込んでいることが多く、真実を知っても納得するケースもそうでないケースもある。
    何でも調べられるがゆえに知ってるつもりになりやすい

  • 認知科学の観点から個人の知っているという思い込み、個人の知識の限界から知識のコミュニティへと考え方を発展させる。そういう観点からインターネットでの知識の共有の広がりは加速度的に進んでいるのだろう。 その一方で自分がどのようなコミュニティに属しているか理解しておくことが重要で、それがないと偏った知識に固まってしまいそうだ。

    固い話のようで小ネタが多く、話として盛り上がりそうなネタがいっぱい。しかし多すぎて覚えきれない、、、

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