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感想・レビュー・書評
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本書はこれまで読んだ小説の中でも相当お気に入りの1冊になりました。
私がこの辞書のように分厚い本を読み切ろうと決意したのは、冒頭心優しい少女セラフィマが「戦いたいか、死にたいか」とイリーナに問われ「ドイツ兵も殺してお前を殺す」と戦いを宣言するシーンがあったからです。ただの活字なのに「お前を殺す」という心からの叫びが聞こえました。彼女の復讐が遂げられるかを見守りたいと思いました。
本書は戦争が題材になっているので、ショッキングな場面も多いですし、どうしてあの子がとおもうような人物が死んでしまうこともありなかなか読むのが辛い場面もありました。
しかし、そんなシリアスなシーンもありながらクールで完璧な狙撃手が見せる意外な弱点や、セラフィマの母の遺体を焼いた冷酷非道と思っていたイリーナが冗談をいうシーン。戦地でときより訪れるつかの間の日常会話など大笑いはできないけどクスッとできる描写もあり、アップダウンを繰り返して読み切れました。
本書は1~10まで最高でしたが、中でもお気に入りはセラフィマの本当の敵の正体がわかるシーンです。本書のタイトル『同志少女よ敵を撃て』この台詞とともに放たれる弾丸が向かう先にいる真の敵が誰なのかそれをぜひ皆さんにも味わってもらいたいです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
戦争がなければ戦わなかった敵。でも戦争がなければ出会わなかった友もいる。
目をそむけたくなるような描写が多く、一気読みとまではいかなかったが、とても素晴らしい物語だった。
世界史を勉強しておけば、もっと面白かったのかなと思う。
「戦争から学んだのは、敵を撃つ技術でも究極の真理でも、拷問の耐え方でも、敵との駆け引きでもない。命の意味だった」この言葉が印象的だった。 -
同志少女よ、『敵』撃て
題名の『敵』について視点を考察しながら拝読した。
戦争中にアイデンティティーを保つ為には『敵』の存在が必要である。
その『敵』の対象は個人の復讐、国家体制、戦争犯罪である。それには葛藤を抱えながらアイデンティティーを保たなくてはならない。
狙撃小隊でママと呼ばれる事になったヤーナのシーンでは、戦争で失った家族愛を互いに慰め合い、またそれにより生と死が隣りあわせである小隊の絆もより深まった。
戦争とは言えゲームの様に殺戮スコアを喜び怪物化していく主人公セラフィマを看護官ターニャが殴る。
ターニャの固い信念がセラフィマを黙らせる。
セラフィマの大義は女性を守ることである事を思い出させ、『敵』を履き違えるなと言わないばかりに。
カチューシャの唄を歌いながら、ドイツ人女性を暴行している同志を撃つシーンは涙が止まらなかった。
(同志の存在はネタバレになるので伏せます。)
セラフィマが戦後に生きる希望を見出した時に、
『私の戦争も終わる』
教官イリーナの言葉が反芻している。
機会があれば、【戦争は女の顔をしていない】を拝読し当事者の葛藤を考察したい。 -
面白かった、けどもっと当時のソビエトのリアルな空気感みたいなのを期待していた。主人公が西欧米的お利口さん思想で、現代人受けを狙ってるなぁという印象。いや現代(日本)人の読み物なんだからそれはそれでいいんだけど....ポリコレに配慮した結果なのかなぁと思っている。
スナイパーを題材にした本を読んだことがなかったのて興味深かった&ベタかもしれないけど要素盛々のドラマが良かった!ので星よっつにしました。 -
戦争でたくさんの人生が捻じ曲げられてしまう。
そして戦後は何も残らない。
米原万里さんのオリガ・モリゾウナの反語法を併せて読むと当時の異常で過酷な情勢がより感じられるかも。
今のロシア情勢はこの、前時代に戻ってしまってるのかもしれない。
せめて国民の意識は現代のままであって欲しい。 -
ロシアがウクライナに侵攻している今(2022年4月)こそ読むべき作品。
僕たちは戦争を知らない。
兵士は侵略地で殺す、奪う、破壊する、犯す、人間として許されない限りを尽くす。あり得ない。でもそれが前線の兵士のスタンダード。
僕たちはそれを知らない。
ウクライナの人たちはそれを知っている。だから銃を手に取って戦う。愛する家族がそういう被害を受けることを知っているから。
作品自体について言えば、新人とは思えない圧倒的な筆致。アガサ・クリスティー賞で史上初の満点、本屋大賞受賞も納得の作品。