メタバースとは何か~ネット上の「もう一つの世界」~ (光文社新書) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 「現実とは少し異なる理で作られ、自分にとって都合がいい快適な世界」=゛メタバース゛。本書は、メタバースの解説書にして、仮想空間に対する著者の思いを綴った書。

    (著者によれば)とかく生きづらい、殺伐とした現代社会。一方で、フリクションとリスクを最小化した都合のよい/居心地のよい仮想空間であるソーシャルゲームやSNS。その進化型゛メタバース゛は、果たして麻薬なのか、蜜の味なのか?

    著者は、現実世界が(著者のような二次元女子愛好者?にとって)生き辛い世の中だと強調している。特にネット社会は、お互いに正義を振りかざしては誹謗中傷し合う無法地帯と化していて、穏健な多数派は避難できる場所を求めているという。

    「自由を実現しようとすれば、自由にやった結果としての格差が必ず生じる」、「リアルな社会は自由を謳歌できる少数の強い人には居心地よく、そうでない多くの人には怖くて息苦しいものになる。ひょっとしたら、自由という博打は失敗したのかもしれない」、「リアルの政治や社会が機能不全を起こし、格差が拡大・固定化され、個人主義の浸透が各種の配慮の必要性を生むことでコミュニケーションコストを高騰させ、逆に個人が生きづらい世の中が到来しているのであれば、リアルなどという最初から持てる者だけが勝つことを約束されたゲームから降りて、仮想現実で生きていくのはあり得る選択肢である」、云々。

    著者は、「SNSは友だちとつながるサービスではない。合わない人を切り捨てるサービスである」、「 大きな母集団の中から、軋轢を生まない人だけを抽出して、快適な閉じた空間を演出することにこそ、SNSの価値がある」とも言っている。このSNSの機能を進化させたものメタバースなのだというが…。SNSが気の合う仲間同士閉じたグループを形成するためのツールだったとは、知らなかった。(SNSをやってないので実態をよく分からないのだが)SNSは不特定多数の人と緩く繋がるための便利ツールだと勝手に思ってた。著者のこの見方、ちょっと意外だった。

    それにしても、「私は状況が許すならメタバースで生きて、そして死にたいと考えています。今でも自由になる時間があると人がなるたけ出てこないゲーム世界で時間を過ごしていますが、そこで糊口を凌げるならリアルには帰りません」と言い切る著者、過激だなあ。メタバース、体験したら自分もどっぷりと嵌まってしまうのだろうか。怖いもの見たさで体験してみたくなった。

  • リアルの模倣世界(メタバース的)は成功するのか
    技術革新が進み課題等が解決、網羅されても果たしてそこに生の人間が入り込める「自分だけの、優しい、自由のある世界」があるだろうか。「恋愛」において、自分勝手な世界を満足するオタク(自分だけの孤独な世界)の世界に誰も継続して参画したいとは思わない。

  • テクノロジーとローカル文化が交差する社会学的かつ哲学的な難解領域をわかりやすく説くだけでなく、GAFAの戦略文脈でも明解にしてくれた。岡嶋さんの地頭の良さが光る一冊。読んで良かった。

  • 詳細は、『あとりえ「パ・そ・ぼ」の本棚とノート』をご覧ください。
    http://pasobo2010.blog.fc2.com/blog-entry-1704.html

  • わかりやすく、読みやすい。メタバースについて理解出来る。やはりGAFAMが強そうですね。

  • 結局、メタバースとは何かがわからなかった。
    ただ、最近のゲームの実装の話とか、コミュニケーション系のアプリのコンテンツを取り巻くアメリカや日本の状況を知ることもできた。
    あと、GAFAMの各社がどういう方向性でメタバースに関わっているのか,関わろうとしているのかということもわかった。
    タイトルにあるとおり、メタバースとは、まさにもう一つの世界ということが言いたかったことだったのだろうかと想像する。

  • メタバースを理解したい人におすすめ。

    【概要】
    ●メタバースの定義
    ●デジタルツイン、ミラーワールドとの関係
    ●VR、AR、MRとの関係
    ●SNSのビジネス
    ●メタバースに関する技術的背景と人間の変化
    ●GAFAMの取り組み

    【感想】
    ●メタバース、デジタルツイン、ミラーワールドについて頭の中を整理することができた。
    ●結局は、すべて企業の利益を中心に考えた作り込みになっていくのだなと理解した。メタバースなどにおける需要が増えるためには、企業は顧客一人ひとりが居心地よいと思える空間を作為する必要がある。そこには、フィルターバブルによる情報の偏りが及ぼす社会への影響などは何も考慮されていないだろう。
    ●このような動きは、SNSが世論を動かす道具として扱われフィルターバブルによる危険性をはらんでいるとわかっていてもどうにもならない。これがメタバースという空間に拡大した場合、世の中がどのように変わっていくのか。
    ●例えば、反社会・反政府の集団がメタバースの中で勢力を持ち、組織を拡大させ現代の社会で行動を起こすようになったらどうするのか、このようなことを考えると法整備は重要で喫緊の課題であることがわかる。
    ●コトが起きてから動く日本の対処療法では予防措置をとることはできず、多少なりとも犠牲が生じてからになるのであろう。このことは過去を振り返れば、インターネットやSNSに係る犯罪でもそうであったし、最近の人工知能やChat-GPTに対する法整備の遅れからも理解できるだけに残念でしかたがない。

  • 人の価値観がどんどん変化していく、、、
    私たちの中高年世代がメタバースを取り込んでいくと、これまで想像していた老後が様変わりしていくだろう。

  •  本書を読んで感じたのはメタバースとは宗教のようなものだということ。偽宗教とでもいえばいいのか。現実社会に満足できず、居場所がない人が逃げ込む世界かもしれない。
     本書が指摘しているようにメタバースが理想郷であるとは言えない。その世界を作っている企業の収益の歯車になることを甘んじて受けることで、現実では実現できない幸福(のようなもの)を得るというものなのだ。人間が作り出した別の世界だ。世界の創始者がいるという点では神々の世界観に似ている。
     メタバースを支えるのはVRを演出するさまざまなテクノロジーであるが、もう一つ大切なのが世界の仕組みづくりだ。あるいはその中で起こるエピソードの演出だろう。すると今後のメタバース構築で活躍するのは必ずしもエンジニアだけではないのかもしれない。
     筆者が自らオタクを任じ、メタバースの中で死んでもかまわないというのは、論理上の虚構だとしても少々複雑だ。現実社会にとどまっているからこそ、メタバースの何たるかが語れる。もし本当に没入してしまう事態となれば、こちら側からみると極めて異常な人間に見えるはずだ。そしてその人はもはや現実社会の言葉ではものが言えなくなる可能性があると感じた。

  • 都市型生活の模倣としてのメタバース。人類が触れてきたのは、もっと大きな世界であるが、小さい視野のものをメタバースに反映しようとしているように思う。これは、本書の著者だけではなく、ほとんどすべてのメタバース識者に共通していることだ。そこを、少し狭いな、と感じる。

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著者プロフィール

中央大学国際情報学部教授

「2021年 『デジタル/コミュニケーション』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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