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感想・レビュー・書評
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なんとか1以外に漫才コンクールで、関西以外の人々の口にのぼるものがあるだろうか?
審査員の可否だとか、敗者復活戦の結果、どういう順番かこんなことヤフーコメントやTwitterのコメントで、話題になる事があるだろうか?
決勝3組の2回目の直前に審査員の一人が言った是非とも一組が突き抜けてほしいという言葉に、審査の重みと難しさが表れていると思う。
オリンピックやサッカーのW杯のように、最初は小さな大会だったのだ。二〇〇一年春、吉本興業の社員だった谷良一は、極めて困難なミッションを背負わされていた。 漫才をなんとかせよ──。M-1グランプリは谷良一の熱意から始まったのだ。
島田紳助の1000万円の優勝賞金や参加資格を結成10年以下の漫才師のみとするというアドバイスや、お笑い好きなオートバックスのスポンサー参加などがあってなんとか第一回M-1グランプリが、開催されたのだ。
その後の躍進は皆が知るところだ。
これから読む方には各チャンピオンのエピソードを中心に笑いのオリンピックといえるM-1グランプリの、成り立ちを是非とも堪能してほしい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
年に一度の漫才頂上決戦「M-1グランプリ」。
今年は史上最多の7261組が出場し、「ウエストランド」が見事、栄冠に輝きました。
ぼくは第1回大会から欠かさず視聴し、何なら「出場しようかな」と何度も考えたこともあるくらいM-1にかけては人後に落ちない自信があります。
だから、本作を貪るように読みました。
「読み終わるのがもったいない」
そんなふうに感じた読書体験は、何年ぶりでしょう。
そのくらい面白かった。
「M-1の申し子」と呼ばれる笑い飯を主軸に据え、M-1を彩ってきた漫才師たちの真実を描いたドキュメンタリー。
そう呼んでも差し支えないでしょう。
漫才と真摯に向き合い、青春を全て捧げてきた漫才師たちの、何と美しくも健気であることよ。
でも、M-1の勝者のイスはたった1つなのです。
そのたった1つのイスをかけて、何千人組もの漫才師がしのぎを削るわけですから、おもしろくならないわけがない。
中でも、本作の主役たる「笑い飯」。
彼らは徹頭徹尾、「異色」です。
2人は、NSC出身のエリートではなく(西田はNSC大阪校中退)、いわゆる「地下芸人」として腕を磨きました。
プライベートでもボケ続けることを自他に課し、それに音を上げて離れていく芸人も多数。
ただ、「千鳥」とはことのほか親しかったようで、この2組の波乱万丈のエピソードは、本作の読みどころの1つでしょう。
それにしてもM-1は、どうしてこんなにも多くの漫才師を引き付けてやまないのでしょうか。
もちろん、「結果を出して売れたい」「賞金1千万円を得たい」など、理由はさまざまにあるでしょう。
でも、やはり、「自分たちが世の中で一番面白いということを証明したい」というのが一番大きいのだと思います。
その願いがあまりにも純粋だからこそ、私たち視聴者は感情を揺さぶられるのです。
本作は、M-1をより楽しむための座右の書と言えましょう。 -
M-1は漫才一般ではなくて競技漫才。競技であるがゆえに、ガチであるがゆえに、単なるお笑いの枠を超えて視聴者を巻き込む。そしてもちろん、その渦中にいる芸人たちは無情なまでに翻弄されます。良くも悪くも。その影響力の大きさって、M-1というパッケージの作り方によるところが大きいですよね。M-1っていいソフトですね。たしか、紳助が昔そんなことを言ってました。
2001年の1回目からみるとずいぶんと趣が変わりましたが、イベントとしての成長過程もおもしろい。その一端が、この本を読むとわかります。そういえば最初のほうの司会が赤坂某で、どうにも相性が良くないようにぼくには感じられました。夜もヒッパレみたいな雰囲気にしないでほしいなーと思った記憶があります。今田耕司の司会の安定感はすごいですよね。
しかし、この本を読んで、いろんなこと書いたりしてたら、ウエストランドの「お笑いの分析、ヤメテクレー。皆目見当違い!」が脳裏をよぎりますね。こわいこわい。【2022年12月19日読了】 -
・abcお笑いグランプリ 1984ダウンタウン優勝 1994ますだおかだ優勝
・ボキャブラ 1992-1999
・ごっつええ感じ 1991-1997
・大阪において、笑いはケンカ
・回転式チャンネルからリモコンに。漫才からコントへ。80s
・カメムシなど、極度緊張した生き物が発する臭い。女性にはない。
・ケンコバの矜持とm1の矜持。
-自分の方を向くか、客の方を向くか
-圧倒的主観のケンコバ
-焦り、怯え、薄く軽くなっていくユウキロック
・嫉妬と引き立て役としての焦りからの解散→売れないわけにはいかないという十字架→節操なくやる どうやったらウケるかを考え続ける息苦しい毎日で、楽しく無くなっていく。長く続かなくなっていく。
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超一級のノンフィクション。
大作の力作。
M-1前に読み終わってよかったー。
「M-1」は、「漫才」という種目の「M-1」という競技。
納得だなぁ。 -
M-1をほぼリアルタイムで見てきた立場としては、そういった見方もできるよな、という内容の本であったが、あの時代のうねりを再び感じられたのはとても良かった。
笑い飯は天才、M-1は笑い飯のためのものだと思っていたが、なかなか優勝することができない笑い飯。新生M-1における和牛のようなもどかしさを感じつつも、圧倒的な才能でやはり最後は優勝する笑い飯。そんな天才がこうした形で世に広められるのは、一ファンとして、とても嬉しいと思った。
笑い飯と千鳥が非常に親密な関係にあったこと、笑い飯の2人が実は険悪な中であったこと、彼らの知らない一面が見えた点も良かった。ただ、お笑いは文章にしてしまうとその味を大きく失ってしまうのだとも思った。
良い本なのだが、その点が本というメディアと漫才の限界なのかもしれない。 -
M-1の話、と言うより笑い飯の話だった。
ネタの話が面白い。
そして笑い飯の生き様が凄まじい。
M-1の歴史ドキュメントとして最高に面白かった。 -
(読後しばらく経過してから書いているので記憶違いなどあるかも 2023/5/3)
お笑い好き、殊にM-1好きにはたまらないエピソードや裏話に溢れていた。
笑い飯を軸にしたM-1初期(2001年から2010年)のノンフィクション。笑い飯の他にも、仲が良かった千鳥を筆頭に毎年のチャンピオンや他の芸人たちがインタビューに答えている。
まず笑い飯が思っていた存在とは違った。関西でそんな権威的な存在になっていたとは知らなかった。もっと無邪気なキャラクターを勝手に想像していた。野球に対する大谷翔平のような、純粋に笑いに向き合う子どものような存在。この本で描かれている二人はある意味その通りの姿とも言えるのだが、想像よりも攻撃的で、我が強く、排他的で、野蛮だった。
また、二人の仲が今はあまり良くないこともショックだった。
総合すると、笑い飯に対する自分の認識は純粋で無邪気な子どものようなものだったが、実際には二人はそれぞれに自意識のある独立した二人の大人だった。当たり前の話なのだが、幻想を打ち砕かれたような気持ちになって悲しかった。
また売れることに対する二人の認識の相違も切ない。
次にM-1という大会に関して。まずM-1以前が漫才の冬の時代だったことを知らなかった。今からでは信じられない。
聴漫才 -
爆笑オンエアバトルを毎週欠かさず見ていた日本でも有数のお笑いマニアと言っていい私。(まぁ視聴率的に考えれば日本の上位1%くらいには入るだろうからそういうことで・・)
そんなオレ的には、ケンコバがいくら寒いと言おうがこの本は面白いことに間違いない。この本を読んでからM-1を見返すと新しい発見がたくさんあってまた面白い。
どう考えても第2回は笑い飯のぶっちぎりの優勝だけど、優勝しなかったからその後のM-1も盛り上がったのかもしれないね。
ただ、かなり濃密な前半に比べて後半はなんかもう著者も飽きてきた感じですっ飛ばしてるよね。 -
いわゆる旧M-1を軸にとして、当時の殺伐としたお笑いシーンの細かなエピソードが書かれており一気読みした。笑いはケンカという表現はまさにその通りであり、だからこそ魅力に惹かれ、一番おもしろい人に憧れるのだと腑に落ちた。