街とその不確かな壁 [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 現実と非現実、意識と無意識、現実と夢、その境にあるのは高い壁ではなく、曖昧な境。

    子易さんが登場してから話がテンポよく進んでいく。あまりにも悲劇的な運命に読み手の心が折れそうになるくらい。

    若い時の焼きつくような恋の相手、子易さん、イエローサブマリンの少年、そしてコーヒーショップの彼女。
    みんな訳ありで魅力的だ。

    身体と影が、どちらが本当の自分か。それは現象と心象、表面と内面の対立に見える。でもその壁を高くしているのは他ならぬ自分自身の心であり、自分を解放できるのは自分自身なのだ。

    最後の100ページは終わってほしいような終わってほしくないようなそんな気持ちで読んだ。
    大好きなドラマの最終回を迎える前のように。

    希望のもてる最後だった。
    あなたの分身を信じることが、あなたを信じることになる。

    きっと心が解き放たれる。

  • めちゃくちゃ分厚い本でしたが、吸い込まれるように一気に読んでしまいました。
    現実と虚構を行き来しながら進むストーリーにハマりました。
    村上春樹さんの本は、グイグイ本に入って行けるので、とてもいいですね!
    ぜひぜひ読んでみてください。

  • 昔、十代後半から二十代のころは自分が好きな作家一位は村上春樹で、新刊が出ればジャンル構わず内容構わず長編も短編もエッセイも紀行文も翻訳もとにかく本になったものは全部買って全部読んでいたのだけど、十年前くらいからは、長編小説が出たら読む、程度になってる。だから今作も、読んだ方がいい気がする、と思いつつ、なかなか読めなかったのをやっと読んだ。

    この長編の元となっている短編「街と、その不確かな壁」は(本になっていないから)読んでいないけど、それを組み込んだ「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は発刊当時にすぐ読んでいて、大好きだと当時思っていて、二、三度くらいは読んだかもしれない。

    で、今作、正直、読みながら「長い……」と思ってしまった。つまらないとかはなくて、どんどん読めるし興味も続くんだけど、やっぱり読んだことある知ってるって感じるし、おんなじような話がどこまで続くのかな……って何度か思っちゃったし。
    あと、村上春樹の本質的というかキモとなる部分って奇想幻想ファンタジー的なマジックリアリズム的な部分なんだろうけど、私はそういうのがもともと苦手で、私が好きなのは、彼がよく描く、コツコツ静かに仕事をしつつ、週に一度買い出しに行って、スパゲティつくったりアイロンかけたり、音楽をきいて本を読んで、たまにカフェでコーヒーのんで、っていう、孤独で単調ながらも個人的で都会的でスタイリッシュな生活の描写で。そういう感じの生活に憧れてた。でも今回はなんだかそれもあんまり楽しそうに感じられなくて、なんか暗い、って……。
    あと、たとえば、思い出すと、「ダンス・ダンス・ダンス」で女の子と一緒にハワイに行くとことか、ユーモアがあってちょっと笑える感じで楽しくて、同時に、物質的?資本主義的?な現代社会を皮肉るようなところがすごく好きだったんだけど、そういうところはなくて、つまり現実的な生活部分もファンタジー部分に近くて、だからずうっと暗い感じが続いてつらかったというか。
    でも、こういう奇想幻想的な部分、ほかの作家だったら読み通せていなかった気もして、やっぱり村上春樹だからこその説得力があるというか、なぜか納得して興味を失わずに読み続けられたとも思う。筆力のすごさ。

    どんなにファンタジー的な世界が心地よさそうであっても、やっぱりつらくても現実世界に生きなくては、っていうテーマは感じられて、そこは好き。(壁に囲まれた世界から出てくれることを願いながら読んだんだけど、それはだれでもそう? そうじゃない人もいるんだろうか……)

    書評とかもさらっと検索して読んでみたんだけど、鴻巣友季子さんが「鴻巣友季子の文学潮流」(好書好日)で書かれていることにすごく共感した。つまり、「この先を読みたい」っていう。現実世界に戻ることに決めて、戻ったあとどうなるのか、どうするのか、どうしたらいいのか、っていうのを読みたい。(この先は自分で考えろ、っていうことなんだろうか……)。

  •  村上さんの長篇小説は、今までそんなに読んでこなかったです。今回は友人に勧められて時間もあったので、読むことにしました。
     
     一人称「私」が主人公であることと、登場人物の少なさが、物語に没頭しやすかったです。哲学的深みがすごくよかったです。 


     もし、ざっくりとこの物語を誰かに説明するとすれば、

    「世界(というか宇宙というかものごと)の”本質”に迫るような物語」

    とでもいえましょうか。


     現実ってひとつなのだろうか、選択していくものであれば、複数の現実があるんじゃないか、というメッセージを受け取りました。


     また、「真実」についても同じようなことが言えると思います。

     私たちは「真実はいつもひとつ!」みたいな感じで、とりあえず世界を理解していると思うし、社会はソレで回っていると思いますが、(そうでないと管理社会が成り立たなくなる)
     村上さんが実は「あとがき」でも書いているように、”真実は移ろいゆくスペクトラムのようなもの”であるということが明示されていて共感しました。

     登場人物の中で一人印象に残っている人を挙げるとすれば、(イエロー・サブマリンのパーカーの少年は敢えて外すとして、)

    ”コーヒーショップの女性”が印象的でした。

     彼女のいう「仮説的なものごと」への対抗手段としての、「特別な下着」。
    コレが何を意味するのか、ずっとアタマに残っています。
    もしかしたら、「仮説的なものごと」とは、移ろいでしまう現実への対抗手段?とか主人公のようにあちらの世界に行ってしまわないため、つまり影をなくさないようにするための手段のコルセット下着なのか?などなど。印象深く謎が多いです。

     また、前半の主人公を看病した老人が見た”左側だけの美女”の謎が残っています。
    老人は反対側(右側)に何を見たのでしょうか。これは回収していない謎ですよね?
    気になります。影とか闇のハナシなのでしょうか。

     現実と非現実、影と本体、こっちとあっち、17歳の私と16歳の彼女、対比的な表現も多くて、ソレをものごとの”本質”に迫っていけるように綴った興味深い物語でした。

     この世界全体は、”名づけてしまうと壊れてしまう”、ようなものなのかもしれない、と思いました。

     でも、村上さんは対比的表現を置くことで、その世界全体を束ねようとしていたのかもな、なんていうことも思ったりしました。


     ややネタバレ有りな、変な文章になりましたが、
     もしこの文章を読んで、未読の方がこの本を手に取ってもらえたら、嬉しいです。

  • 著者があとがきでも触れているが、私にとっては舞台のプロットが似通っている世界の終わりとハードボイルドワンダーランドの方が好ましく思えた。
    世界の終わりの方が著者にとって長編に取り組んだ初期(2つ目の作品)でその執筆活動がスリリングといっているのにふさわしく、読者もそのストーリーの不安定さ、スリルを味わいながら楽しんでいくことができる。世界の終わりは、自分が高校1年生の時に出会った作品。当時、ノルウェーの森がもてはやされていた時期の前だったか後だったか。出版されてからまだ数年で旬を逃していなかったことに改めて気づいた。それから実に35年。これほどまでに長く村上作品とともに過ごすとは。

  • 読了。

    私たちはすでにこの数年間で悲しいことをたくさん経験していて、
    生きることと死ぬことは表裏一体で、
    あのとき死ななかったことも、運命だと思うし、
    死なずに残った私たちは、その人たちの不在とどうやって向き合うのか、
    そのことが、71歳になって書き上げた新作に彼なりの表現できちんと描かれていた。

    あとがきにある人の言葉を引用して
    書いているように、
    「一人の作家が一生のうちに真摯に語ることができる物語は、基本的に数が限られている。
    我々は(略)手を変え品を変え、様々な形に書き換えていくだけなのだ」

    まさにこの小説も、村上春樹がすでに過去に描いたことの
    焼き直し、形を変えた(だけの)作品かもしれないと思いながら
    それでも、確実に腑に落ちる作品でした。

  • 最初、既視感が拭えずになんとなく没入できなかったが、イエローサブマリンの少年が出てきた辺りからぐんぐんと読めた。
    「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読み返したくなった。
    なにしろ久しぶりの新刊だから、大切に読んだ。

  • かなり久々の村上春樹。

    結構長いし正直読み易くはない、のだが、1節1節をじっくり解釈しながら小説を読む、というある意味読書の醍醐味を感じられる。まあそれでも私なんぞでは解釈が追いつけなかったりするのですが笑

    再読して自分なりにしっかり解釈し、他の人の感想と照らし合わせたいなあ。

  • 6年ぶりの新作。
    この小説には新しい要素、かつて割と新作のたびにあった実験的な部分とか、挑戦みたいな試みとか、そういう目新しいなんやかやはほぼ全く存在しない。
    全てかつての彼の作品にあったテーマの純粋な焼き直しであり、馴染みある聞き慣れた描写の繰り返しだった。
    もちろんそれが悪いことでは全くないのだけれども。

    それもそのはず、この小説は40年前に「文學会」に発表した同名の作品の、言わば書き直しだから。

    高い壁に囲まれた街。石畳に一角獣(単角獣?)自らの影を切り離された主人公がその街で古い図書館(の跡)で夢読みと称する作業をする。
    おそらくこの高い壁に囲まれた街のイメージが相当村上氏の中で重要な意味を持つのだろう。
    書き足りなかった部分があったにせよ、一度はそのモチーフを使って完結された、かつての自分の長編小説とまた別にその舞台を再び引っ張り出してくるくらいなのだから。

    精神にいささかならぬ問題を抱えた女性との別離を深く心の傷として抱え、生きていく主人公というのも、彼の作品ではかなり頻繁に登場する物語。

    深層心理の自己とペルソナ、左右、あるいは内と外なのか、その両極、ふたつを隔てる高い高い壁、そのどちらかに存在する自分と、反対側に存在する(のであろう)自分の影。
    本来はひとつに結びついているはずのものが引き離されて苦しむ、といったメタファーが、非常に重要な鍵となっている。


    発売直前までタイトルを伏せていたのは、そういうことだったのか、と。

  • 久しぶりに村上さんの作品を読んだもので、序盤はなかなか世界観に入りきれませんでしたが、2部からは隙間をみては読む感じで引き込まれました。
    3部、あれ?と思ったんですが、そうだ、この感じが村上ワールドでした(笑)

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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