源氏物語とは、平安時代中期、11世紀初めごろに紫式部が書いた物語である。五十四帖からなり各帖はそれぞれで完結し、その集合体として長編小説となっている。その中でもこれは第一帖にあたる作品である。
物語は、さほど身分の高くない桐壺更衣という女性が、帝から格別な寵愛を一身に受けていたことから始まる。援助してくれるはずの父親も早くに死別していたため、帝の寵愛が頼りであった。当然のことながら、帝の寵愛を受けることのできない周囲の女性たちから桐壷更衣はひどく妬まれた。その中、彼女はやがて男の子を生む。世を超えた美しさで輝く子あり、これが後の光源氏である。しかし、妃たちのいじめにより桐壺更衣の心身は衰弱するばかりで、幼子が3歳の夏、あっけなく亡くなってしまう。
その時彼女は
「かぎりとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり」
と詠んでいる。現代語訳すると、「今日を限りと死出の旅路に赴かねばならぬとは、悲しいことです。私は生きたい。行きたいのは命ある道です。悲しみの中で気づきました… 」となる。
“いかまほしきは 命なりけり”からは「生きたい」という願望が見えるが、これを遺して亡くなってしまったことからこの歌は、桐壺更衣にとって生きにくい状況下、そして激しい葛藤の中で書いたものだと読みとれる。死にたくないと苦しんで亡くなる、ということが読み取れるとても悲観的な歌だ。昔の人々の書く歌は、季節に風情を感じたことや日常の中での些細な喜びを描写していることが多い印象であったため、この歌は真逆の印象を抱き、心に残った。
桐壷の更衣が身分の低い女性ながら、性格もよくとても美しかったので帝があまりにもご寵愛された。これは単純に考えれば、優れている、魅力的であれば、栄光と喜びが待ち受けているような華やかな印象が持たれるが実際はそのようにいかず、彼女は妬まれてしまい死に追いやられてしまった。
これには当時の身分制度が絡んでいるといえる。現代にも嫉妬心から生まれる「いやがらせ」は存在している可能性はあるが、ほとんどみんな同じ立場である。彼女を死に追い込んだ一番の原因である「身分制度」からはその時代の特色が見える。現代を生きる私たちからは想像のできない社会であり、生きていくうえで強くまとわりついてくるものなのだと予想する。
また、亡くなる時にはじめて、そういえばあの人はいい人だったかもしれない、あんなに帝にとりたてられなかったらと思い返すという、悲しさ。このシーンと描写から、人生とは単純にいくものではなくとても複雑なものだ、と改めて考えさせられる作品だったと感じる。