青色本 (ちくま学芸文庫 ウ 15-2)

  • 筑摩書房 (2010年11月12日発売)
3.67
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本棚登録 : 672
感想 : 30

 『論考』から『探求』に移行するまでの間に記されたWittgensteinの後期思想への入り口的な著作。Wittgensteinがケンブリッジ大学の少数の学生に口述した内容を元にしており、Wittgenstein自身の生々しい哲学的思考の軌跡をありありと見て取ることができる。
 ここでのテーマは一貫して「語の意味とはなにか」ということであり、本は「語の意味とは何か」という文から始まる。ただ、この意味についての議論は、錯綜を極め、「望む」「期待する」「欲求する」という語を検討し始めたかと思うと、「知る」「推測する」という語について論じ始めるなど筋を追うのが難しい。本の最後は後期著作の大きなテーマとなっていた私的言語論の話題であり、「私は歯が痛い」という文を例にとり、独我論の論駁に費やされている。全体でいうと、前半は心の働きとされる諸概念にまつわる哲学的困惑について、後半は言語を通じた他我問題、独我論について論じている。
 Wittgenstein自身のその解決法としては、日常言語の観察を主としている。日常での言葉の用法をつぶさに観察し、哲学的な用法での言い回しと日常言語との「文法」の相違に気付くことによって哲学的困難を解決しようとする。この本では、その実践をいやというほど目の当たりにできる。
 後期の主要なテーマとなるアイデアが随所に現れており、「言語ゲーム」や「家族的類似性」「意味の使用説」(と我々が呼ぶ立場)、「意味の心像説批判」(と我々が呼ぶ立場)、規則順守のパラドックス、についてその思索の原型を眺めることができる。そして、この本では、これらの問題はすべてつながっていることを感じることができる。

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ずっと読んでいると船酔いのような気持ち悪さがある。野矢茂樹の解説がなかったらちんぷんかんぷんで終わるだろう。むしろ、解説から読んだ方が良い。

だが、これをここまでの読める文章にした大森荘蔵はすごい。文中の訳者挿入にかなり助けられている。

Wittgensteinはいろいろあれがだめだ、これがだめだと言うけれども「本当にそうなのか?」という気持ちになる。これは私の理解がまだ生半可なのだろうが、「文法」が本当に異なっているのか? それを取り去ってもなお、哲学的困難は消えないのではないか? 意味については比喩や像を通すことによってしか得らず、把握できない意味があるのではないか? みたいな気持ち。何をそんなに目くじら立てて怒っているのかがよくわからない。細かいことをぐちゃぐちゃうるせえな、こいつは、みたいな気持ちにもなる。これは私に哲学をやるセンスがそもそもないかもしくは、この哲学的困難が私にとっては追求したいテーマではないのかもしれない、ということなのかもしれない。いや、「たしかにこいつの言うとおりだな」と思う箇所ももちろんあるのですが。赤色をイメージしろの話とか。規則順守の話とか。

というか、たびたび目にするWittgensteinから哲学的立場を取り出してはいけない、というのがやはりよくわからない。野矢自体は解説でそれは役に立つしありだと思う、って書いているがそもそもなぜだめなのかがよくわらかない。哲学的治療であることと哲学的立場を認定すること(表明すること?)は両立するのではないか?

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学
感想投稿日 : 2020年7月23日
読了日 : 2020年7月23日
本棚登録日 : 2011年2月26日

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