応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

著者 :
  • 中央公論新社 (2016年10月19日発売)
3.47
  • (97)
  • (213)
  • (215)
  • (69)
  • (25)
本棚登録 : 3128
感想 : 289
4

ちょっと前に「これを読むと、応仁の乱がよくわかる!」ということで、結構ブームになった本。
しかし結論を申しますと、やっぱよくわかりません、応仁の乱。

歴史はストーリーとして覚えると理解しやすいなんてよく言いますが、それでもわかりません、応仁の乱。
なぜかというと、登場人物が多い割にはヒーローがいないし、伏線は回収されないし、構成の妙はないし、要はぐだぐだなんですの。
ただわかったことは、室町時代って、はじまりも終わりも合従連衡なのだということ。

後醍醐天皇とたもとを別った足利尊氏が作ったのが室町幕府。
しかし後醍醐天皇だって、黙って引き下がったわけではない。
南朝と北朝という二つの皇統が互いの正当性を主張していたのが室町幕府なのである。
そして、幕府自体も尊氏と直義が兄弟で争っていた。

さらに、守護を置かない大和の国を実質支配していた興福寺も一乗院、大乗院に分かれ、摂関家も二手に分かれ、それぞれに門跡(院主)を置く。
八代将軍義政のあとを巡って今度は将軍家が二手に分かれて争い、諸侯も父と子、兄と弟、叔父と甥などに分かれて、とにかく争う争う争う。

天皇も将軍も最早絶対的な権力など持ち合わせないから、和平交渉はことごとく失敗し、関係者が膨大過ぎて、もはや落としどころが見つからないから、個別の手打ちと相成るのである。

なぜ始まったのか、いつ終わったのか、よくわからないまま10年以上もだらだら続いて、京都はすっかり焼野原。

だから、領地の経営を手のものに任せて、自分たちは京都で貴族のように遊んでいた守護たちが、京都にはいられなくなって領地に戻り、そして力を蓄えて戦国大名へとなっていったのだね。

明治維新の種が関が原に蒔かれていたように、応仁の乱の種は室町幕府成立の時に蒔かれていた。
絶対的権力者がいるうちはいい。
けれど、権力者の力が弱まった時、みんな自分の都合で、面子で、欲得で動く。
大局的な視点なんてない。
引きどころがわからないままずるずると続く戦い。
山場もないまま終わってしまった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2018年7月3日
読了日 : 2018年7月3日
本棚登録日 : 2018年7月3日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする