応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

著者 : 呉座勇一
  • 中央公論新社 (2016年10月19日発売)
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  • レビュー :151
  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121024015

作品紹介

室町幕府はなぜ自壊したのか-室町後期、諸大名が東西両軍に分かれ、京都市街を主戦場として戦った応仁の乱(一四六七〜七七)。細川勝元、山名宗全という時の実力者の対立に、将軍後継問題や管領家畠山・斯波両氏の家督争いが絡んで起きたとされる。戦国乱世の序曲とも評されるが、高い知名度とは対照的に、実態は十分知られていない。いかなる原因で勃発し、どう終結に至ったか。なぜあれほど長期化したのか-。日本史上屈指の大乱を読み解く意欲作。

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)の感想・レビュー・書評

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  • なかなか面白かった。
    日本史有数の大乱であったにもかかわらず、その実際については戦国時代ほど知られているわけではない「応仁の乱」について、出だしを大和国の視点で説き起こすという新しい切り口で叙述した著者の野心作であると思われる。
    ただ、野心作ということもあるのだが表題として『応仁の乱』というのはいささか不正確なきらいがあり、叙述内容からいって『大和国と応仁の乱』または『興福寺大乗院と応仁の乱』とでもすべきだろう。

    興福寺大乗院門主にして興福寺寺務(別当)であった経覚と尋尊の目で辿る応仁の乱。それぞれの日記である『経覚私要鈔』と『大乗院寺社雑事記』を主なテキストとし、応仁の乱の前提のひとつである大和国の争乱から叙述を始めるところが目新しくとても勉強になった。
    『経覚私要鈔』と『大乗院寺社雑事記』という両者の立場で比較的に応仁の乱全体を見通すことができ、また大和国という守護不設置で衆徒・国民が割拠しながらも敵対したり一揆を結んだりと混迷を繰り返す大和国の特殊事情が興味深いため著者もこの舞台背景にしたものと思われる。

    尋尊の『大乗院寺社雑事記』は高校教科書にも登場するお馴染みの史料なわけだが、今回、経覚の『経覚私要鈔』と相照らしてみてそれぞれの性格からくる分析態度の相違にはなかなか興味深いものがあった。
    九条家の出である経覚に対し、経覚が将軍足利義教の逆鱗に触れ更迭された後、尋尊が二条家より新門主として迎え入れられたという過去を持つ二人。著者によればその性格も対称的なものであるという。
    先例にとらわれず柔軟に対処するが長期的展望に欠け、その場しのぎの対処をすることもある経覚に対し、常に冷静沈着で軽々しく判断を下さず記録を調べ先例により方針を決定しようとする尋尊。悲観的でことあるごとに「神罰が当たる」とか「仏敵」とか口汚く罵るのも尋尊である。
    この辺りの視点の相違というのもなかなか面白い。

    さて、「応仁の乱」であるが、著者によると東西両軍ともここまで長引くものとして争乱を起したのではないとする。
    もともと畠山家の内紛により義就方と政長方に分裂したのが大乱の主要な引き金だったとするが、山名宗全が反細川連合を目的に義就を京都に呼び寄せ、放っておいても義就と政長の御霊合戦では義就が勝ったと思われるのに宗全が味方し、メンツを潰された細川勝元が宗全に対し決起したというのがそもそもの起こりで、それに将軍家、斯波といったお家騒動を持つ連中たちが次々とくっつき、大内や赤松など別の野心を持つ者なども呼び寄せた挙げ句に収拾がつかないまま11年にも及ぶ大乱になったということである。

    大乱では朝倉孝景や斉藤妙椿など守護代クラスの活躍があり、それに乗じて下剋上が起こり得たと思いきや朝倉孝景のようになかなか上手く事が運ばなかったり、反面、家臣の意のままにならぬ守護に対し「主君押込」があったり、また、著者が戦国大名のはしりと評価する畠山義就の存在や、山名氏のように親子で東西に分かれたり、裏切りや寝返りがありと何でもありの様相となり、大乱はますますの混迷を深めていくことになる。
    最初の頃は仲介の労をとろうとした将軍義政や日野富子ではあったが、金儲けにはしる富子や峻烈な性格であったという足利義視らの存在は混乱に何の足しにもならず、結局、東軍の経済封鎖作戦が西軍方の五月雨の降参を呼び込むことになり、義政が西軍方の諸将をそれぞれ許すことで乱が収束していったとのことである。畠山義就の存在を除外して・・・。
    畠山義就はその後、河内国へ転戦し、隣国の大和国の衆徒・国民ら(筒井、越智、古市など)を巻き込みながら推移し、有名な山城国一揆をも生起させることになる。

    将軍義政については優柔不断ということだが、記載箇所によってはわざと守護の力を削ぐ謀略を行ったり、戦争終結の見極めを正確に行っていたりと一見矛盾した記述のようになっているが(他の人もこういう記述がある)、そこはご愛嬌ということにしておこう。(笑)

    大乱時の大和国は疎開先であったようで、一条兼良をはじめ京より多くの貴族が乱を逃れ奈良にて遊興の日を送ったとのことである。
    その中で興味深かったのはやはり古市胤栄が行った「林間」(風呂付宴会)や、お盆時の念仏風流禁止令を逆手にとり、壊れた風呂釜を修理費を捻出すべく企画した風流小屋(日本最初の有料ダンス・ホールとのこと)である。動乱の時代でもなかなか乙でたくましい人物がいたものと感心した。但し、古市胤栄の末路は哀れなものであったが・・・。

    また、この時代に目を引くのは僧侶が現代の感覚とは違うことであるが、特に大乱ともなると一層際立ってくる。
    将軍家からして義教といい義視といい僧侶出身なのに過激で峻烈な性格を持ち大乱の大きな要素ともなっていたり、斉藤妙椿や経覚の宿敵・成身院光宣など本当に僧侶として仏事に付いていたはずが武将として活躍することになっていたりとこういった感覚の違いにもなかなか面白いものがあると改めて感じた。

    大和国からの視点で語るという斬新な切り口の「応仁の乱」であったが、これはこれで面白かったと思う。
    だが、「応仁の乱」そのものを網羅しているかというと・・・、どうなんだろう?(笑)

  •  何が原因で誰が勝ったのかがよくわからないと言われる応仁の乱。本書は史料を丹念に読み解くことで、応仁の乱の実像を明ら かにしたと言っても過言ではない。確かに複雑ではあるが、順を追っていけば理解できる範疇にあり、また、それぞれが乱の収束のために動いていたが、思い込 みや行き違い、見栄の張り合いでズルズルと続いてしまっていたということがわかる。

     中心となる史料は興福寺の僧侶である経覚と尋尊、二人の遺した日記である。この二人は応仁の乱を間近で見た人物であり、特に経覚は深く関わっており、乱の中心人物ともいえる。一方、尋尊はどこか他人事の様に一歩引いたところから見ている部分がある。同じ事件を異なる視点から見た記録であり、史料として十 分に有用であると思われる。しかしこれまであまり重視されなかったらしい。偽書の可能性が高いといったことではなく、歴史学者が賞賛していた下克上やそれ による体制の変革、それを否定している――特に尋尊がその傾向が強い――ためであるという。本書でもこのことは再三触れられており、腹に据えかねているこ とが伺える。

     応仁の乱は階級闘争史観に基づく歴史認識、あるいは下克上、民衆蜂起を賞賛する歴史学者にとってちょうどいい題材だったのだろう。それを否定するような二人の日記は都合が悪く、むしろ応仁の乱が幕府の自滅であって民衆蜂起でも何でもないことが明らかになることを恐れてすらいたのかもしれない。応仁の乱の わけの分からなさの原因は、実は歴史学者だった。応仁の乱を明らかにしつつ、歴史学者の本質までも暴いてしまった。

  • 応仁の乱という有名であるけれども、分かりにくい戦争を二人の興福寺の僧の視点から分かりやすく説明した良書。この乱は将軍家の家督相続を巡って足利義政の弟と奥さんの日野富子が争ってそれを細川勝元と山名宗全が支援して、義政は眺めていて何もしなかったとイメージされているがそうではなかったのだ。畠山家の家督争いが将軍家や他の有力武将の跡目争いに発展した事であったり、腹黒いイメージの日野富子が争いの仲介役をになったり、傍観しているだけのイメージの義政が彼らなりに一生懸命争いの調停をやったりするように意外と努力をしている事に気がつかされた。だが、そういった努力をしたとしても徒労に終わり、戦乱は11年という長い間続くことになった。原因は先生はおっしゃってはおられなかったんだが、どの家も家督争いばかりでその上戦争でしか解決できないという問題を抱え込んでいたからだと思う(主人公の興福寺の二人を含む)。いや、そもそも持明院と大覚寺という天皇家の家督争い、そして尊氏・直義の兄弟同士の家督争いの上に室町幕府という組織が成立し、3代将軍足利義満は自分の権力を揺るぎないものにするために各地の有力武将の家督争いを利用して自分側に就いた人間を重用する事で権力基盤を確立していった事を鑑みると、その家督争いという地盤がぐらぐらと揺らぎ始め、将軍自体がそれをコントロールできなくなった事で室町幕府を崩壊の道へと辿らせた状態を見れば皮肉としか言いようがない。

  • 絶対的な権力者の不在→参戦大名が増加→戦争の獲得目標増加→長期戦で犠牲増加→犠牲に見合った成果→さらに長期かするという悪循環。
    第一世界大戦前夜、そして現代に通ずる共通点。

  • 面白くもあり、面白くない。
    詰まるところ、為政者どものグズグズ感満載の結果としての権力闘争ということだからかな。そりゃあ歴史小説の題材としてピックアップされません、これでは。
    ほんと民衆からすれば堪ったものではない。何処となく現在を見ているようでもあり、余計に読み物として魅力的でもあり、うんざりでもあり。不思議な本です、はい。

  • 「東軍と西軍に分かれた大名たちが繰り広げる大乱世!」

     いや~乱世乱世。
     このグダグダっぷりはヒドい。
     元は興福寺の大乗院、一条院が仲が悪く、それぞれ小豪族がバックに着き、小大名から大名までが小競り合い。
     弱いくせに「俺のバックは幕府なんだぞ!」とちょっかい出してはボコボコにされ、幕府が調停しても同じことの繰り返し。

     そして畠山の内部分裂で当事者同士の直接対決で決着を決めようとしたのに、山名が加勢して細川マジ切れで大乱勃発。
     幕府をバックにした細川の東軍が圧倒的有利かと思えば、将軍の弟をネオ幕府とか言って担ぎ上げた西軍に大内の加勢が加わり長期戦へ。

     以降、俺たち何のために戦ってんの?状態が続くも、最下層民の足軽さんたちは勝手に暴れて略奪し放題なので京都の荒廃がどんどん進む。
     
     元々そんなに仲が悪くない山名と細川は本当は戦なんてやりたくなかったのに、なんかグダグダで内乱が勃発してしまった。
     とても日本人らしい。
     派閥を作って社内闘争勃発って、古今東西どこの国でも今の世でもある話。

     あぁ、諸行無常。

  • 石原莞爾のいう最終戦争を、まったく机上の空論と断ずることはできない
    事実、関が原から大阪夏の陣までの一連の戦いを経て
    関白の推薦権を幕府が握ったことにより
    長い平和と安定が、日本列島にもたらされるのだから
    しかしそこに到るまでの戦乱の歴史は、まさに酸鼻を極めるものだった
    源平合戦、南北朝と、全国規模の総力戦が繰り返されたが
    人々はそれに飽かず、続いて戦国時代の幕を開けた
    その端緒として知られるのが、応仁の乱である
    それは当初、将軍の権勢に生じた小さな綻びにすぎなかった
    しかし対立する部下たちになあなあの態度しかとれない将軍家の無力が
    そこからどんどん露呈していくものでもあった
    なぜそんなことになったのか
    元をただせば無力だからこそ
    大名どうしを争わせて直接の反乱を抑えたい将軍家の意向だったのだ
    そういう、いわば体制維持の必要悪に
    歯止めが効かなくなって生じた大乱だった

    ただし、その長期化・泥沼化の根本原因には
    軽装歩兵「足軽」の誕生が無視できない
    足軽になったのは食い詰めた牢人や、いわゆる悪党たちであり
    その主な仕事は補給の遮断にテロ活動
    すなわち略奪行為、下手をすると独立ゲリラと言ってよいものだった
    戦争を口実に、諸大名が承認を与えるのだから連中にはこたえられない
    乱も終盤になると
    戦を終わらせぬよう無用の混乱を作り続けたのは
    現場の足軽たちではなかったか?

    その時代、奈良の興福寺は仏教の求心力でもって
    安定した統治に寄与していたが
    戦の激化から、その影響力はやはり衰えていた
    寺の生き残りをはかる経覚は武士に接近し
    結果として、尋尊が尻拭いをさせられた
    ふたりの動静から応仁の乱を読み解こうとする試みが
    成功したと言えるかどうかはよくわからんが
    階級闘争史観によって語られがちだったという戦後歴史学に
    一石を投じようという著者の意図は汲み取れる

  • 歴史の教科書で、名前だけは覚えた応仁の乱。
    応仁の乱を幕開けに、世は戦国時代に突入していくというざっくりとした知識しかなかったが、話題の本ということで読み始めてみた。

    応仁の乱の概要があまり知られていない理由がわかったような気がしました。
    奈良と京都の土地勘と、なんとなく天皇の系図、将軍幕府の系図が頭に入っていなかったら、恐らく自ら地図を見、系図を確認しながらでないと読み進めるのは困難。
    しかも、興福寺という要素が重要な意味を持っていることも理解でした。
    新書ということで、軽い気持ちで入門編として読み始めると読みづらいと思いますが、登場人物相関図と地図を思い浮かべながら読むと複雑な面白さが伝わってくる。

  • 新書の役割は学術論文を一般大衆向けにわかり易く書き直し、大衆が教養を身に着ける事に寄与するもの、トカナントカらしいが、この本は内容的にはかなり細かくて(一説によると登場人物が300人程度とか)、「大衆の教養」レベルを遥かに超えてしまっているように思う。40万部売れているそうだが、ブームなので買ってしまったのはいいが、数十ページで挫折してしまって、殆ど読まない人が半数以上いるだろう。自分は歴史はワリと好きな方だし、応仁の乱の要所は巡った事もある程度には興味はあるレベルだが、それでも、ざっと読んだだけで、細かい所までとても追いかける気にはなれない。著者も登場したNHKの『英雄たちの選択』程度深さで調度いいくらい。これをシッカリ読みこなすには大学の史学科在籍で中世を研究テーマにしようと考えている学生レベルの基礎知識と体力が必要だろう。

  • 奈良の興福寺の別当経験者2名、経覚と尋尊の残した日記を基礎資料として、応仁の乱の経緯を追っている。京の乱というより、荘園支配を巡る争いという感。
    応仁の乱ブームの中心のようにいわれる本書だが、読み解くのが大変。別の解説本で人物相関図を参照しないと、東軍、西軍が混乱してくる。

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