「ケアをひらく」のシリーズに興味があり、本書も副題にあるケアとセラピーという語に惹かれて手に取った。
プロローグから、「何、これ」という感じ。タバコを吸う2人の、会話なのか何なのか分からないやり取り。
続く章で、「臨床心理学」を学び大学院を修了したものの、希望するセラピーの実践ができてそれなりの給与がもらえる就職口が見つからず、焦りまくっていた著者が、沖縄の精神科クリニックに採用された経緯が明らかにされる。
ところが、ところが、が以下の章。
著者の勤め先は精神科デイケア。そしてデイケアとは、精神科疾患を有するものの社会生活機能の回復を目的として個々の患者に応じたプログラムに従ってグループごとに治療するものとされる。
社会に「いる」のが難しい人たちと一緒に「いる」こと、それが著者の仕事になる。
もちろんセラピーの業務もあるのだが、ほとんどはデイケアに来る人たちと一緒に居ること。そうした日々を過ごしながら、患者や同僚いろいろな人たちと関係を持ち、会話し、カウンセリングをする中で、治療とは何なのか、"セラピー"と"ケア"はどのような関係にあるのかなどについて考えていく。
最終章の「アジールとアサイラム」で著者の考察は、市場原理の滲出によるデイケアの変質の恐れにまで行き着く。「ただ、いる、だけ」の価値とそれを支えるケアの価値を擁護し、居場所を守っていくことができるのか。答えはまだない。
プライバシーを守るために変改されているようだが、メンバーの個性が一人ひとり良く描かれているし、デイケアの様子もディテール描写のおかげで、イメージが湧きやすい。後半になると、施設から去っていく患者、看護師、そして著者自身と、大変寂しくなるが、著者のユーモラスな文章が湿っぽさを減らしてくれる。
一歩間違うとスベリになりかねないが、これだけの学術的内容を面白く読ませる著者の文才に感嘆!
- 感想投稿日 : 2021年9月26日
- 読了日 : 2021年9月5日
- 本棚登録日 : 2021年9月5日
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