西洋が封建主義社会を脱して個人主義に向う中で生れた浪漫主義文学は日本の明治の智識人の間に弘ったものの、日本では外側のみを摂り内側は省みなかった為に形式のみが先行して肝心の中身が伴わない虚な文学がずっと続いた。ではその中身とは何なのかという本質的問題をキレッキレの論評で暴き出しているのが本書に収録された論文。西洋はどこまで行っても基督教系の一神教を戴く民族であり思考にもその影響が色濃く影響を与えているが、西洋人の道徳観念は結局のところその神なくしては成り立たず、翻っていえばその神という絶対的な存在の力で現実的に無理難題としか思えない博愛主義を強制しているにすぎず、他人との接触を懼れまたそれ故に仁義や慈悲といった西洋の積極的愛に対する消極的な東洋思想を受容れた日本人は益々人間関係に対する消極主義を深めていたため、西洋の浪漫主義文学や自然主義文学を真に受容れ消化し血肉とすることができていない。しかし西洋の文文学はあくまでも西洋の文学であり東洋の一国としての日本における文学が西洋式をガムシャラに追い求める必要性ははなからなかった。産業革命の影響で発展した帝国主義によるアジア各国の植民地化や戦争、マルクスの共産革命から始まる世界中のドタバタ、これらはどれをとっても一神教を戴かないものはなく、世界の潮流に在ってその本質がみえないままに翻弄された日本人は日本古来の伝統文化や風習、思惟思考までも忘却して潮流に乗ろうとしたもののそれが結局拒否反応を起すことは当然の成り行きだった。人間関係への積極的関与は本来の日本人的思考とは相容れないものであるため古来からの消極的関与の中での人の在り方を深く掘り下げて考えるべきだ。内容としては大体こんな感じだと思う。
- 感想投稿日 : 2022年11月26日
- 読了日 : 2022年11月26日
- 本棚登録日 : 2022年11月12日
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