大地(一) (新潮文庫)

  • 新潮社 (1953年12月30日発売)
4.10
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本棚登録 : 1325
感想 : 121
5

人間臭い作品。良くも悪くも潔癖症な日本人には書けないと思う。ドストエフスキーに影響された日本人は数知れず、それでもドストエフスキーばりの、或いはその爪の垢ほどの混沌さを描き出せる日本人はいない、或いは注目されていないように (或いは自分が知らないだけでそういう日本人作家はいるのかも知れないが)。
本作の作者もそれだけ人間をよく観察しているんだなと染み染み感じた。阿蘭が死んで、王龍は確かに阿蘭に対して後ろめたさや親しみといった感情を心におこしているのに、その一方で阿蘭を浄らかな、或いは美しい物として見ることはできず、死体も早々に寺に預けてしまう場面や、度々ふとした時に不意に阿蘭を思い出して感慨に耽るものの、思いの先にあるのは阿蘭ではなく、阿蘭を通して見えてくる自分自身であるという描写、また女を巡って度々実の息子との間におこる男同士の醜い確執などは、読んでいて胸糞悪かったり、批判がましい気持ちを抱くものの、冷静に考えると自分にも似たような経験はあるなと気づかされる。
自分が入る棺桶をベッドの横において安心するという描写は日本人には理解できないと思う。まさに中国的だなと些か衝撃をもって読んだ。ただ、王龍は富豪になっても所詮は近代的教育を受けたことのない農民でしかなく、一方の息子たちは父たる王龍および自分達を支えた王家の土地を売却することを画策するくらいなので、すでにこの世代でも考えは違っているのかもしれない。
一つ不思議に思ったのは、王龍に兄弟がいない、或いはいたとしても物語の中にでてこないこと (もしかしたら自分が覚えていないだけかも)。農民の家は普通次から次に子供を産んで働き手を増やしていかないといけないはず。少なくとも昔は。しかし物語冒頭から王龍と父親の二人暮らし。父親には弟、つまり王龍の叔父がいるのに、王龍には兄弟姉妹がいない。物語中盤ころに度々でてくる、我が子を売って飢えを凌ぐ場面から、勝手にもしかしたら貧乏であったがために売られたのかとも考えたが、答えはわからず。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 新潮文庫 1914
感想投稿日 : 2023年10月24日
読了日 : 2023年10月24日
本棚登録日 : 2023年2月19日

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