サラバ! (上) (小学館文庫 に 17-6)

著者 :
  • 小学館 (2017年10月6日発売)
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あなたは、『僕らにしか分からない言葉』というものを持っているでしょうか?

すっかり世の中に”定着”してしまった”振り込め詐欺”。2021年の警察庁の統計ではその被害額はなんと282億円にもなるそうです。高齢者を中心としたその被害、なんとかならないものかと、盛んに啓発活動が行われてもいますが深刻な情勢に変化はないようです。

自分にとって大切だと思っている人からの電話、そんな受話器の向こうで悲痛な声をあげる大切な人のことを思う気持ちは、それを忠告してくれる人の言葉より重く響くのはある意味当然のことかもしれません。そんな人の心を踏み躙るこの犯罪、決して許してはならないと思います。

そんな振り込め詐欺から身を守るために言われているのが、大切な人と自分だけにしか『分からない言葉』を持とう!という運動です。他の人、ましてや犯罪者には全く知り得ない二人の間だけで意味をなす言葉、それを口にする瞬間、二人の間には目に見えない糸が繋がります。二人の絆の証になるその言葉、そんな存在が穢らわしい犯罪を駆逐していってくれることを願ってやみません。

さて、ここに『僕らにしか分からない言葉』を大切に思う二人の男の子が幸せな時間を過ごす物語があります。日本人とエジプシャンという二人が偶然に知り合う瞬間が描かれるこの作品。『アラビア語でもない、日本語でもない、ましてや英語でもない、僕とヤコブにしか分からない言葉があったのだ』という言葉を大切に思う二人の時間が描かれるこの作品。そしてそれは、『「さようなら」だけではなく、様々な意味を孕む言葉』になった『サラバ。』という言葉に二人の絆を感じる物語です。

『僕はこの世界に、左足から登場した』と、『日本から遠く離れた国、イランで』『産声を上げた』のは主人公の圷歩(あくつ あゆむ)。そんな歩の『父の赴任先であるイランを決定した』のは『母の直感』でした。『自分のスタイルを変えないタイプの人間だった』母親。そして、『母より8つ年上』の父親は『石油系の会社』に転職し『念願の海外勤務が』決まり『メキシコかイラン』という候補を示すと『すごい素敵な場所に思えた』とイランを選んだ母親。そして、イランへと赴任することになった圷家。そんな圷家には、赴任前に姉の貴子が生まれました。『生まれ落ちた瞬間から、姉は激怒していた』という貴子は、『その場所で一番のマイノリティであることに、全力を注』ぎます。『家中にある植木鉢の土を食べるのをやめることが出来な』いなど、『暴れん坊』の限りを尽くす貴子。『母vs姉、そして、その間をオロオロと揺れ動く父という図式が、磐石な態勢で、長きに渡って顕在していた』という圷家。そんな中にテヘランの病院で生まれた歩は、『家の中で、なるべくおとなしく、目立たないように努め』ながら生きていきます。それでも全体として、『日本から遠く離れたイランで、僕たち4人は、とても幸福な家族だった』という圷家。そんな時、『ホメイニによる、革命が勃発』します。『帰国は自主判断で』という会社の指示に『じゃあ怖いので帰ります』とも言えず、『母と姉、僕だけを先に帰す決心をした』父親を残して帰国した三人。しかし、『帰国後すぐに行動を起こした』母親は、『父の会社に乗り込み、父に帰国命令を出してほしい』と訴えます。そして、『心動かされた上司』の指示により、残った仕事をこなした後、『最後の民間機で帰国の途に就いた』父親。そして、『圷家の日本での暮らし』が『大阪の小さなアパートで』始まりました。その後もエジプトへ赴任する父親と共にカイロへと移り住む圷家。怒涛のようにさまざまなことが訪れる圷家の四人の日常が描かれていきます。

第152回直木賞を受賞したこの作品。文庫本で三冊に分冊され総ページ数950ページの圧倒的な物量で構成されたこの作品。約三年で600冊以上の小説ばかりを読んできた私ですが、一つの作品でこの物量は初めての体験、そんなこともあってなかなか手に取るのを躊躇し続けてきましたが、今回ついにその扉を開けました。そんな作品は『僕はこの世界に、左足から登場した』とインパクト最大級に始まります。

なかなかに読みどころの多いこの作品ですが、印象的なのが『エキゾチック』とも言える海外の街並みと、そこで暮らす人々のリアルな日常の描写です。この作品の上巻では、以下の三つの都市に父親の転勤によって移り住む圷家の日常が描かれていきます。
①テヘラン(イラン)
②大阪(日本)
③カイロ(エジプト)
数多の小説は世界各国に舞台を設定できる余地がありますが、私が読んできた小説群の圧倒的大半の舞台は日本です。海外があるとしても、ハワイなど多くの日本人に馴染みのある都市までだと思います。そんな中であまり馴染みのない都市を舞台にすると、そこには、初めて訪れる地として一種の旅行記としての魅力が生まれます。例えばモンゴルの平原を旅する主人公を描く小川糸さん「さようなら、私」など、多くの読者が初めて知るその世界の描写はインパクト絶大です。それを踏まえると、テヘラン、カイロという『エキゾチック』という言葉そのものと思える地が登場するこの作品は冒頭から読者の期待値Maxに展開します。ただ、この作品は主人公の歩視点で展開するため、よりインパクトの大きいテヘランの描写が少ないのが少し残念ではありますが『1979年に、国王であるパーレヴィが国外に亡命し』、『「イラン・イスラム共和国」が樹立され』、『ホメイニ』が『国の最高指導者となった』と展開する中に翻弄される日本人たち、そして圷家の人々の日常が影響を受けていく様は、歴史が動く舞台を物語の中に垣間見るまさしくドラマティックな展開と言えると思います。

そして、それ以上に魅力的に描かれるのが、歩が小学校1年にして移り住むことになったエジプトの描写です。三つご紹介します。

まず一つ目は、”イスラム教の国あるある”とされる『朝は、奇妙な音で目が覚めた。誰かが歌っている、最初はそう思った。おじさんだ。声が反響していた』と描かれる『アザーン』の描写です。『今からお祈りの時間やで、て、皆に伝えてるねん』と歩に説明する父親は『イスラム教っていう宗教があって、そのお祈りの時間になると、モスク、空港からこっち来るとき見たやろ?玉ねぎみたいなドームとか、塔とか。そっからアザーンを流すねん』と続けます。実のところ私もイスラム教を国教とする国を訪れたことがあり、初日の朝は窓からいきなり聞こえてきたこの声に起こされました。エジプトは訪れたことがないですが、まさしく、”あるある”だと思いました。

次に二つ目は、小学校1年生が見る『ピラミッド』初体験の描写です。『近づいてみると、ほとんど壁だった』という『ピラミッド』を見て『ひとつの石が、僕よりうんと大きかった。それが何万個もつみあがっている様(275万個らしい!)は、スケールが大きすぎて、笑い出したくなるほどだった』と興奮冷めやらぬ歩。そんな『ピラミッド』の中の面白い表現が登場します。『洞窟が奥へと続く感じは、あまりに出来すぎていて、発泡スチロールで出来たハリボテ、といわれても納得するような佇まいだった』。あまり、聞いたことのないような比喩表現がとても印象的です。

そして最後に三つ目。『信号待ちで停まっ』た車の窓を『コンコン』と叩く音に『男の子』の姿を見る歩。『手を差し出し、何か言っている』男の子を見て、思わず『お父さん』と訊くと『物乞いや』と返す父親。『この子は、こうやって停車している車に近づき、お金をねだって暮らしているのだ』という現実を知る歩。『お金あげたらあかんぞ』と言う父親の『冷たい物言い』に『ショックを受け』た歩。そんな歩に父親は『例えばあの子が、花とか、新聞紙を売ってるんやったらええ。花代や新聞紙より、ちょっと多めに金をやったらええんや。でもあの子は働いてないやろ?ただ金くれって言うだけの子に、金をあげたらあかん』と続けます。この父親の言葉の説得力の先に描かれる最底辺に生きる人たちの姿。そんな物語にこの父親の言葉が印象深く響くのを感じます。今から30年以上も前の日常の描写ではありますが、エジプトという、日本人には『ピラミッド』だけがインパクト大な遠い国の現実を垣間見る衝撃的なシーンでした。

そんな物語は、圷家の四人家族の日常に光が当たっていきます。そんな家族の面々に簡単に触れておきたいと思います。

・父親 憲太郎: カメラメーカーから石油系の会社に転職。183センチの長身で『ずっと痩せていた』。姉の貴子を溺愛。

・母親 奈緒子: 『自分のスタイルを変えないタイプの人間』。164センチ。『すべてが小作りで、挙句背が高いので、美人に見られる』。

・姉 貴子: 『生まれ落ちた瞬間から、姉は激怒していた』。『容姿に少し問題』。僕の家を、のちに様々なやり方でかき回す』ことになる。

・歩: テヘランで生まれる。『幼稚園に入園する頃には、すっかり空気の読める子供』。『いかにして自分の気配を消すかを身につけていた』。

上巻は〈第一章 猟奇的な姉と、僕の幼少時代〉と〈第二章 エジプト、カイロ、ザマレク〉の二つの章から構成されていますが、〈第一章〉に描かれる章題そのままの『猟奇的な姉』貴子が描かれる物語は強烈です。『ここまで来といて、何故出ない?』と、なかなか産道から出てこなかった姉・貴子。そんな姉のことを『生まれ落ちた瞬間から、姉は激怒していた』と表現する西さん。『玄関の靴という靴をベランダから放り投げる』、『絵を描くときは画用紙ではなく壁、それも、クレヨンではなく母の口紅』、そして『家にあるビデオテープやカセットテープの中身を、全て引っ張り出さないと気が済まな』いなど、まさしく『猟奇的』な存在として描かれる姉・貴子の姿を見ていると読者まで心配になってもきます。西さんの作品にはこの貴子のようなキョーレツという言葉で表現したくなる人物が度々登場しますが、一方で、全ての人物がキョーレツでは物語は回っていきません。その対になるように、幼くして大成しているとも言える存在として描かれるのが主人公の歩です。『幼稚園に入園する頃には、すっかり空気の読める子供』だったという、現実にいたら、逆にちょっと嫌なやつ、可愛くない子供とも思える歩。しかし、姉が振り切った存在である以上、歩が逆方向に振り切る存在であることで、ある意味でのバランス感の上に物語は展開していきます。そして、そんな物語は一貫して歩視点です。あくまで歩が目にするもの、耳に聞くもの、そして体験していくことが、小学生という歩の瑞々しい感性の上に描かれていきます。恐らくこの先の中巻、下巻への布石と思われるような気になる描写も含めながら、三つの都市に舞台を移していく中に成長していく歩の幼少時代が描かれる物語。そんな中で強く印象に残ったのが、〈第二章〉で描かれるヤコブとの出会いでした。スーパーでの偶然の出会いの先に繋がっていく二人の絆。『シュクラン(ありがとう)』、『アフワン(どういたしまして)』と交わした会話の先に繋がっていく友情。そんな中、この作品の書名に繋がる物語が描かれます。『僕らの「サラバ」は果たして、「さようなら」だけではなく、様々な意味を孕む言葉になった』と説明される『僕らにしか分からない言葉』の誕生。そんな言葉の意味を深く感じる物語の中に、西さんが書名に込められた深い想いが浮かび上がってきます。ここでは、これ以上触れませんが、これから読まれる方には、この作品に「サラバ」という書名を付けられた西さんの想いを、歩とヤコブの友情の物語の中に感じていただければと思います。まさしく、上巻の最大の山場、それこそが歩とヤコブの物語だと思いました。

『世界に対して示す反応が、僕の場合「恐怖」であるのに対し、姉は「怒り」であるように思う』と姉弟の違いを感じながら小学生の今を生きる主人公・歩の物語。そこには、テヘラン、大阪、そしてカイロと、父親の転勤と共に生活の場をダイナミックに移動させていく圷家の四人の日常が描かれていました。1977年から1987年、テヘランで生まれた主人公の歩が十歳を迎えるまでが描かれたこの作品。それぞれの土地の描写の中に、その場所にリアルに生きる人々の生活の息吹を感じるこの作品。

この先に続く大人への階段を着実に上がっていく歩のそれからと、家族のそれからがとても楽しみにもなるインパクトのある上巻でした。


では、中巻へと読み進んでまいります!

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 西加奈子さん
感想投稿日 : 2023年2月4日
読了日 : 2022年9月16日
本棚登録日 : 2023年2月4日

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