ぎょらん

著者 :
  • 新潮社 (2018年10月31日発売)
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あなたは、亡くなった方の『最期の言葉』を聞いてみたいと思いますか?

厚生労働省の”人口動態調査”によると、この国では一日あたり3,750人もの方がお亡くなりになられているようです。あなたもこの一年を思い返してみて、身近な誰かがこの世を後にしたということがあったのではないかと思います。家族、友人、そして会社の同僚と、そんな亡くなった方との繋がりは千差万別です。最後に言葉を交わしたのはいつだったかな?と極めて薄い関係の人がいる一方で、『もう少しだけ、肩の力を抜くといいよ』と優しく諭してくれた夫、『中学校の時から仲の良かった親友』、そして『我が子のように可愛がって』くれた会社の元先輩等々、自分の人生の中で大きな比重を置いていた存在が突然にこの世を去ってしまう。悲しいかな、それも人の世の定めなのだと思います。

人は他者との関わりなくしては生きていけません。そして、そんな関わりは関係が身近になればなるほどに深くなってもいきます。一方で心に傷を負うような諍いは、そんな深い関係の中ではさらにその傷を深くしがちです。しかし、私たちは言葉によって、そんな傷を修復することができます。切れかけても再び繋がり合える、切れかけたからこそ強く繋がり合える、それが人と人との関係でもあります。

しかし、そんな再度の繋がりが生まれることがない場合があります。それが『死』です。思いがけず諍いを起こしてしまった、もしくは何かしらの原因によって大きな溝ができてしまった、そんな相手方が『死』の向こう側に行ってしまったとしたらどうでしょうか?この世に遺された者は、そんな相手が最後にどんなことを思っていたのかを知りたくもなります。もちろん、普通にはそれは叶うことのない一方的な感情に過ぎません。ただ、そんな『最期の言葉』を知る術がこの世にはあるようなのです。『死んだ人間の最期の言葉を聞く方法があるんだよ』というその方法。この作品は、そんな方法に光を当てる物語。そんな方法によって『最期の言葉』を聞きたいと願う人たちの物語。そして、それはそんな言葉が詰まったとされる『ぎょらん 』というものの存在を探し求める人たちの物語です。

『家に帰ったら、リビングで朱鷺(とき)が暴れていた。暴れるのは十年ぶりくらいだろうか』と、『何か叫んでいる』を見るのは妹の御舟華子(みふね はなこ)。『朱鷺の本を売ったの』と『壁にもたれて状況を眺めている母』は説明します。『貴重だったっていうなら、もっと丁寧に保管しておいて欲し』かったという母は、『こんなに怒られても正直困るわ』と呆れています。『子供みたいに喚くな!…今すぐ片づけてっ!』と大声を出すと『狼狽え』る朱鷺。そんな朱鷺は『私のふたつ上の兄』で『三十歳、無職で職歴なし』という今を『俗に言うニート様』となって生きています。『根っからの小心者』の朱鷺はおとなしくなり、華子はその場を後にしました。そして、一人になった華子は『昨日、恋人が死んだ。付き合い始めて四年が経つ』と交通事故で突然いなくなってしまった彼のことを思います。その通夜の場で『なあ知ってるか?あいつの浮気相手ってどうもうちの会社の子らしいぜ』と話す声が聞こえます。『彼は私の前だけでは、素顔をみせてくれた。私の方が十も年下』だったのにと思う華子は、『こんなことをしちゃいけないと思っていたけれど』という思いの一方で関係を深めました。『ベッドに倒れ込』み、涙する華子は、『あと数時間で彼の肉体はこの世から消え失せる』とも考えます。そんな時、朱鷺が突然部屋に入ってきました。母に捨てられた本の話をしだした朱鷺。それは『ぎょらん 』というタイトルでした。『人が死ぬ瞬間に強く願ったことが小さな赤い珠となってこの世に残る』、それを口にして『珠をぷちんと嚙み潰すと、死者の願いがまざまざと蘇って共有できる』というその内容。そんな話を聞いて、彼は『死ぬ瞬間何を願ったのだろうと』思い『彼が死ぬ間際に思い描いたのは誰だっただろうか。奥さん、子ども、それとも…』と考えこむ華子は朱鷺に語りかけます。『ねぇ、朱鷺。ぎょらんって本当にあるのかなあ』、『彼が死ぬ間際に何を考えたのか、知りたい』。そんな言葉を聞いて部屋を出ていった朱鷺は、『大きなヘッドライトを着け』て戻ってきました。『探しに行くぞ』と『やけに張り切った声で』言う朱鷺。『探しに行くって、何をよ』と訊く華子に『「ぎょらん」に決まってるだろう。知りたいんだろ。最期の願い』と、続ける朱鷺。結局、『額にお揃いのライトを巻き付けて家を出た』二人。『ありえない、ということは分かっている。だけど、朱鷺の迫力に少しの可能性のようなものを感じ』たという華子。そして、そんな二人が向かった事故現場には…と続く最初の短編〈ぎょらん 〉。表題作として、全編に渡って登場することになる朱鷺のひととなりと、神秘性を帯びた『ぎょらん 』の存在を絶妙に暗示させる好編でした。

六つの短編から構成されたこの作品。『ぎょらん』に始まり、『ぎょらん 』に終わるという位に全編に渡ってその神秘的な存在が物語を支配する連作短編の形式をとっています。六つの短編は、『ぎょらん 』とは何か?を読者にも問いかけるが如くこの四文字に支配されていく主人公が登場します。そして、それ以外にもあちこちで六つの短編は複雑に絡み合い繋がっていく見事な構成がなされています。そんな各短編を簡単にご紹介しましょう。

〈ぎょらん 〉: 『妻帯者に想いを寄せても、幸せになんてなれないことは分かっている』という上で好きになった人が交通事故で亡くなってしまい悲しみにくれる御舟華子が主人公。朱鷺の妹でもある華子。そんな兄の朱鷺の誘いで亡くなった彼の『最期の思い』を知るために『ぎょらん 』を探しに出かけます。
〈夜明けのはて〉: 『数時間前、私の夫である喬史が死亡した』と末期癌で亡くなった夫のことを振り返る妻の喜代が主人公。そんな喜代は、納棺師の顔を見て動揺します。元保育士だったという喜代は『私が真佑くんを殺したんです』と声を震わせます。そんな喜代は、夫の喬史が『ぎょらん 』のことを話していたことを思い出します。
〈冬越しのさくら〉: 『葬儀社は年中無休、二十四時間営業だ』という天幸社で働く相原千帆が主人公。『我が子のように可愛がって』くれた職場の元先輩の作本の妻から、彼が生前肌身離さずに持っていた御守袋を受け取ります。その中には『みやげだま』と呼ばれるものが入っていると言われます。
〈糸を渡す〉: あることがきっかけで『父が家を出て行った』、『母はぼんやりと一日を過ごしている』という状況に追い込まれた高校生の菅原美生が主人公。高校の授業の関係で『認知症の人も受け入れるグループホーム』でボランティアをすることになった美生。『終活』という考え方を知る中で、まさかの人物と出会います。
〈あおい落葉〉: 『タイムカプセルが見つかりましたので、開封します』という案内から17年ぶりに中学を訪れた笹本小紅が主人公。そんな小紅は、『私の横にはいつも、斉木葉子がいた』という中学時代を振り返ります。朱鷺とも交友関係にあった小紅。そんな小紅は、まさかの場面で『ぎょらん 』を見たことを朱鷺に告げます。
〈珠の向こう側〉: 『母が急に倒れたのが先月のこと』と病室へ赴く御舟華子が再びの主人公。一方で『母の病気を知った朱鷺は、逃げた』と引きこもる朱鷺。そんな中、『私は、あれに苦しんだひとをよく知っているんです。あれに名前を付けたひとを』と『ぎょらん 』をよく知る人物に朱鷺と会う機会を得ます。

六つの物語は、『死』というものを嫌が上にも読者の心に強く意識させていきます。各短編ではそれぞれに人が『死』を迎えていきます。それは過去のことである場合と、『死』と向き合う現在進行形の場合があります。人によって『死』というものに対する考え方はさまざまでしょう。それは、その人がどれだけ身近に『死』というものと接してきたかによっても変わると思います。しかし一方で普段私たちが生きていく中では『死』というものを殊更に意識したりはしません。『遥か昔から、この世に生まれ落ちたその時から、「死」は生きているものの横に存在している』という『死』。そこには、その先には何があるのだろう、と考え出すと恐怖に囚われることもあります。誰だって幼い頃に、そんな怖い思いに囚われたことがあるはずです。だからこそ、私たちは日常で極力そのことを意識しないようにしているのだと思います。しかし、誰にだっていつ何時身近な人の『死』に接して『死』を意識する瞬間が訪れるかは分かりません。天寿を全うして、と万人が納得できる場合はまだしも、不慮の事故で、不治の病で、そしてまさかの自死で亡くなっていくそんな人たちを前にすると、思えば思うほどに、あの人は『死ぬ間際に何を考えたのか』ということに思いを馳せもするでしょう。この作品では、『死』を迎えた者、そして一方でこの世に遺された者の間に『ぎょらん 』という神秘的な存在を介して、その『最期の言葉』を知ることの意味について問いかけがなされていきます。

そんな問いかけは、『私への「憎しみ」「恨み」を遺して死んだ』のではないか、というある種の畏怖の感情です。人が人と関係していく中では、必ずしも良いことばかりではないでしょう。深く付き合っていけばいくほどに、そこにはさまざまな感情が蠢きもします。そんな中では何かの原因をきっかけに関係が酷く悪化することだってあると思います。また、その関係によっては何かしらの負い目を感じることだってあるかも知れません。そんな状態にある時に目の前にそんな相手の遺体とまさかの対面をすることになったとしたらどんな感情に包まれるのでしょうか?『抗いようのない深い隔たりができる、それが死という人と人を分かつものなのだ』と、もう二度と繋がれないことを認識するその瞬間。そこには、遺された者だけが味わわなければならない悔悟の感情が生じるのだと思います。この作品では、遺された人に『死んだ人間の最期の言葉を聞く方法があるんだよ』という道が暗示されます。『死者が生者に、自分の最期の言葉を小さな珠にして体のどこか ー 手の中や口の中に残すという』もの、それが『ぎょらん 』でした。しかし、そんな死者の『最期の言葉』があると知ったらあなたならどうするでしょうか?そんな死者の『最期の言葉』を聞いてみたいと思うでしょうか?そして、そんな死者の『最期の言葉』が自分が決して聞きたくないと思うような内容だったとしたらどうするでしょうか?

死者はその時点でこの世に別れを告げた人たちです。どんな深い繋がりがあったとしても、二度と繋がることはできません。言葉を交わすこともできません。しかし、この世に遺された者はそれでも日常を生きていく他ありません。この作品では、そんな風にこの世に遺された者が『死んでなお、伝えたい遺したいという願いが形になった』『ぎょらん 』という神秘的な存在に囚われていく姿が描かれていました。

『あんなに鮮明に知ってしまうと、それを無視なんてできない。俺は、あいつのぎょらんが見せたものに今も、悩んでいる』という今を生きる朱鷺。そして、そんな朱鷺が追い求める『ぎょらん 』という存在にいつしか読者もすっかり心を囚われてしまうこの作品。六つの短編を読み進めれば進めるほどに、その内容がどんどん重くなっていくことに恐怖を感じさえするこの作品。そして、人の『死』と、そんな人の『最期の言葉』が詰まった『ぎょらん 』。そんな『ぎょらん 』に対する怖いもの見たさの感情が、読者の心を激しく揺さぶり続ける圧巻のストーリー展開を見せるこの作品。

町田さんが描く、鬼気迫りくる圧巻のストーリー展開に、すっかり心を持っていかれた傑作中の傑作だと思いました。


P.S. 町田さん、この作品凄すぎます。読後しばらく放心してしまいました。ただ、こんなことは書きたくはないですが、私、大好きだった”いくら”を二度と口にしたくなくなりました。とても素晴らしい作品ですが、この点だけは流石に罪だと思いますよ、町田さんっ!

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 町田そのこさん
感想投稿日 : 2021年10月25日
読了日 : 2021年10月3日
本棚登録日 : 2021年10月25日

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