あの家に暮らす四人の女 (中公文庫 み 51-1)

著者 :
  • 中央公論新社 (2018年6月22日発売)
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本棚登録 : 4870
感想 : 356
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“こんなにも人を選ぶエッセイはないというくらいに読む人を選ぶのが三浦さんのエッセイ。そのかわりハマる人には抜け出せない沼のような存在。それが三浦さんのエッセイの世界” 〜三浦しをん「妄想炸裂」- さてさて氏レビューから抜粋〜

三浦しをんさんというとどんなイメージをお持ちでしょうか?直木賞作家として今や選考委員もされている三浦さん。現代作家の大家としての地位も確立されている三浦さん。言葉の海に生きる私たちの助けとなる舟=辞書を編んでくれる人たちの真摯な仕事への取り組みを描いた「舟を編む」。文字が巨木を倒し、文字が森を鳴らし、文字が山を駆け降りる圧巻の描写に心躍る「神去なあなあ日常」、そして人間のドロドロとした心の闇を彷徨う物語の中に一筋の光を見る「光」など、読者の心を激しく揺さぶる情熱的な作品群に私はすっかり魅せられてきました。しかし、三浦さんは、そんな一面とは似ても似つかぬもう一つの顔を持った作家さんでもあります。それが、小説に負けず劣らず数多く刊行されているエッセイで見せる顔です。BLの世界をこよなく愛し、オタク的世界を闊歩し、そして天下の直木賞作家様とは思えないダラダラ、フラフラ、グダグダとした日常の言行の数々。そこには、間違いなく好き嫌いが極端に生まれるマニアックなかっ飛んだ世界観に支配された世界が存在しています。

三浦さんの小説群はキライと単純否定する方は少ないでしょう。決して癖が強いというわけでもない、どちらかというと正統なイメージさえある王道な小説群。その一方で好き嫌いが間違いなくハッキリするであろうマニアックなエッセイ群の存在。そんな両者に深い親愛の情を捧げてきた私。そんな私は、いつの日かこの両者が融合した先にある世界を見てみたい、そんな夢を抱くようになりました。直木賞レベルの小説がかっ飛んだエッセイの世界に包まれる先に現出するであろう夢の作品。しかし、そんな夢の作品が既にこの世に存在していたことを今日知りました。

三浦しをんさん「あの家に暮らす四人の女」。それは、私が夢にまで見た三浦さんの全てが詰まった物語。三浦さんの魅力ここにあり!を実感する、もう何でもありのかっ飛んだ物語です。

『牧田家で暮らす四人の女は、平日は朝七時に食卓を囲む習慣だ』、と朝食の準備をするのは今週が当番の牧田佐知。『明け方まで刺繍に没頭し』、眠い目をこすりながら準備を終えると、『それを見計らったかのように、母の鶴代、谷山雪乃、上野多恵美が』現れ食事が始まりました。そして、出勤していく雪乃と多恵美を見送りながら『いいかげん山田さんに、雪乃と多恵ちゃんが住んでることを言わない?』と鶴代に提案する佐知。それに対して『いろいろ面倒だし…さすがに察してるでしょ』とはっきりしない鶴代。そして買い物へと出かけた二人。『鶴代と佐知は母娘だが、雪乃や多恵美は血縁関係にない』という奇妙な四人の組み合わせで『共同生活を送るようになって、一年が経つ』という牧田家。『佐知は刺繍作家として自宅で仕事をし、雪乃は西新宿にある保険会社で働いている』という二人は、『ともに三十七歳の独身』で『なんとなく馬が合う』とお互い感じています。そんなふたりの出会いは、『ひとちがいがきっかけ』でした。『さりげないインテリアとして』人気があるという佐知の作品。手渡しで顧客に渡そうとしたところ、ハチ公前で、他人の雪乃に声をかけてしまったという運命の出会い。そして、雪乃のボロアパートの『水漏れ騒動』がきっかけで佐知の家に居候することになったという始まり。一方の多恵美は『雪乃の会社の後輩で、佐知や雪乃より十歳も若い』という手芸好きでした。佐知が『週に一、二度、刺繍教室』を開いているのに参加、そして、『ストーカー男』から逃げ込むように牧田家に居候することになったという始まり。そんな『四人の女が暮らす庭つきの古い洋館は、東京の杉並区にあ』ります。『土地も家屋も名義は鶴代のもの』という『百五十坪という敷地面積』のその家は『都内では豪邸と言って差し支え』ないものです。しかし、『鶴代の祖父が戦後すぐに建てたという家』の『実態は陋屋で、近所の小学生から「お化け屋敷」と呼ばれてい』ました。そして、そんな『豪邸』の『表門を入ってすぐのところに』ある『守衛小屋』には『鶴代の祖父に』雇われ、『作男兼執事』の務めを果たしていた父親の子供、山田一郎が今も暮らしています。八十になった一郎は、『居候とも使用人とも家族とも言いがたい、微妙な立ち位置』ですが、『本人は鶴代と佐知のお目付役をもって任じている節があ』りました。そして、出かけていた鶴代と佐知は買い物先で雨に降られ家に駆け込みます。『あら、山田さん。洗濯物、取りこんでくれたの。ありがとう』と洗濯物を受け取る鶴代の横で『雪乃と多恵美のぶんも含めた、女四人の大量の洗濯物』に『いぶかしげな視線を投げかける』山田を見て焦る佐知。『雪乃と多恵美が同居していることを報告していない』という情況に『洗濯物を溜めこんじゃって』とどうにか山田をやり過ごします。そんな牧田家で繰り広げられる四人の女たちの痛快ドタバタ劇が軽妙な筆致で描かれていきます。

本の帯に”ざんねんな女たちの、現代版「細雪」”と書かれたこの作品。2015年に没後50年、翌年に生誕130年を迎えた谷崎潤一郎さんの全集が刊行されたことをきっかけに、『版元から谷崎作品にちなんだ書下ろし作品が何人かの第一線の現代作家に委嘱されたこと』で誕生したという経緯を辿ります。『「女の人たちの話」なら「細雪」のように「四人の女性が一緒に暮らしている話」にしたら面白いかもしれない』と思ったという三浦しをんさん。そんな三浦さんがこの作品に登場させたのは次のような個性豊かな四人の女たちでした。
・牧田佐知: 牧田家の一人っ子。刺繍作家として作品を販売するだけでなく、『週に一、二度、刺繍教室』を自宅で開いている。37歳、独身。『こんなぼろぼろの女が、あんなきれいな刺繍を生みだしてるなんてねえ』と呆れられる生活ぶり。数日風呂に入らないこともある。
・牧田鶴代: 佐知の母親。夫とは佐知が生まれた日に離婚(その衝撃的な経緯は作中でまさかの存在によって詳述される)。牧田家の資産を管理し、『一生困らぬぐらいの貯金』もあり『外で働いた経験はもちろん、自分で稼いだこともない「箱入り娘」のまま、七十近くになった女』。
・谷山雪乃: 牧田家の同居人。『西新宿にある保険会社で働いている』。37歳、独身。『ひとの印象に残りにくい」という特技』を持つ。『楚々とした外見に似合わず肉食』。『部屋はものが少なく、いつ訪れてもきれいに整頓されている』。『開かずの間』の封印を解き、物語を大きく動かすきっかけを作る立役者となる。
・上野多恵美: 牧田家の同居人。『雪乃の会社の後輩で、佐知や雪乃より十歳も若い』。手芸好きで佐知の刺繍教室の生徒でもある。『華やかで明るい雰囲気』。部屋は『フェミニンなわりに雑然としており』、『引っ越してきて一年が経つというのに、化粧品の類を段ボールから出し入れしている』。『元彼、本条宗一』に付き纏われ逃げるが、宗一の優しい言葉に度々騙されそうになる。
という四人の個性豊かな女たちの日常が描かれるこの作品。四人それぞれの存在感の大きさは、誰一人を欠いても物語として成り立たなくなる!と感じるほどです。そして、上記の通り、一方でこの作品は「細雪」に一つのヒントを得たものでもあります。その「細雪」には、幸子、鶴子、雪子、妙子という四姉妹が登場します。『ねえ、気づいてる?私たち、「細雪」に出てくる四姉妹と同じ名前なんだよ』と作中で佐知が語る通り、三浦さんが意識して設定を重ねていることもわかります。「細雪」を『すごく面白かった』と振り返る三浦さんは、一方で『どう考えたって谷崎潤一郎のように書けるわけはないんだから、あまり引っ張られ無いようにしました』と続けます。私は「細雪」を読んだことはないですし、女性作家の小説のみ読む!とプロフィールに書いてしまったので谷崎さんの作品は読むことが出来ません。しかし、敬愛する三浦さんがどのように谷崎さんの設定を活かしたのか?という点、本来であれば比較レビューにしたかったという思いは残りました。

そんなこの作品は一方でハチャメチャ感が半端ない作品でもあります。「細雪」がまさかこんなかっ飛んだ作品であるはずがないと思う一方で、「舟を編む」、「神去なあなあ日常」といった超真面目系の三浦さんしか知らない方がこの作品を読まれるとそこに展開する空前の”しをん節”に度肝を抜かれるのではないでしょうか?実際レビューでも”ついていけない”という理由で低い評価をされていらっしゃる方が多々いるこの作品。でもこれこそが私の敬愛する三浦しをんさんのもう一つのお姿なのです。それは、数多のエッセイで魅せる超真面目とは180度反対を向くおふざけの極地、かっ飛んだ魅惑の”しをんワールド”な世界です。幾つかをご紹介しましょう。まずは、『自宅で仕事をしていると、どうも無精になっていけない』と一応自覚のある佐知。『自戒してはいるのだが』、と前置きしつつも『ジャージのズボンと、盛大に毛玉がついたセーター』を『パジャマ兼部屋着兼外出着』としています。『駅前に買い物に行くぐらい、この恰好でいいだろう』という感覚が『新宿へ行くときすら、「同じ沿線上にある駅だし、この恰好でいいだろう』となってしまっているというグダグダぶり。そこに続けるのが『同じ地球上だからという理由で、ニューヨークだろうとリオデジャネイロだろう』とこの格好で出かけるようになりそう、とまとめます。また、『山田さんは私のおむつまで替えてくれた。ひとまわりも年が離れてる…』と山田との恋仲関係を否定する鶴代に、『でもアンドレだって、オスカルと子どものころから一緒で…』と追及する佐知。そこに続けるのが『雄狩?だれ、それ』と絶妙な当て字で返す鶴代。そして、『開かずの間』へと立ち入った雪乃の前に転がる『手乗りサイズの綿埃』。これを『あれが埃ではなくマリモだったなら、かなりの大物と称して差し支えあるまい』と比較。『この部屋の埃はいかにして丸くなったのか』、『ひとりでに転がって巨大化していったのであろうか』と思案する雪乃。そこに続けるのが『「怪奇!成長する綿埃の謎!」といったところだ』というまとめ方。この辺りの目の付け所、突っ込み方、そしてその落とし方含め完全にエッセイで見せる三浦さんの文体そのものです。そう、この作品の好き嫌いは三浦さんのエッセイの好き嫌いと完全に比例するのではないか、そんな風に感じるとともに、魅惑的な三浦さんのエッセイの世界のファンで良かった!と改めて感じました。

そしてこの作品のもう一つの魅力は表紙の中央に強烈な存在感をもって描かれたカラスの存在です。そんなカラスは全くの予想外な形で物語の中に唐突に登場します。小説というものは、どの人物視点で描かれるかで印象が大きく左右されるものです。あくまで主人公視点にこだわるもの、登場人物を順繰りに視点回しを行うもの、そして第三者視点で俯瞰しながら描くもの、その選択は作者の手腕にも繋がるものです。そんな視点の選択において、三浦さんはこの作品で前代未聞な世界に挑戦します。それが、二つの視点を切り替える中で登場した”カラス視点!”でした。『開かずの間』でまさかの物体を発見し『ぎゃあああああああ』と、『喉から悲鳴が迸った』雪乃。そんなまさかの物体の説明の段で唐突に『これではなかなか真相にたどりつけないので、新たな人物にご登場願おう』と場面を急展開させる三浦さん。その人物こそが『カラスの善福丸』でした。『ただの鳥類ではない』という『善福丸』は、『この地域の人々の暮らし』はもとより、『プリウスを所有する家が何軒あるか』、『川に泳ぐ鯉の恋愛模様』などなど『ありとあらゆることを知悉した偉大なカラスなのである』という強烈な存在です。この辺りも、三浦さんのこのノリに馴染めないと単にシラけてしまうだけだろうなとも思います。その意味でもこの作品は読む人を選ぶように思います。そして、そんな物語はもう一人の人物の視点で描かれているということが作中で明らかになります。これは完全にネタバレになりますのでここには書けませんが、その存在を知った時、この作品が如何に巧妙に張り巡らせられた伏線の上に描かれた緻密な物語であるかを思い知らされました。また、その視点の移動先のかっ飛びぶりに、もうこの先何が出てきても一切驚かない、これこそ”しをんワールド!”と叫びたくもなりました。三浦しをんさん、本当に凄い作家さんだ!改めてそう感じました。

『私は一人暮らしが長いので、共同生活への憧れがあるんです』とおっしゃる三浦さんが描く四人の女たちが一つ屋根の下で暮らす様を描いたこの作品。イケメン内装業者と佐知とのドキドキハラハラな出会い、多恵美の元彼のストーカー事件、そして雪乃による『開かずの間』突入をきっかけに展開する一連の出来事など、この作品では単なる四人の女の日常の中に巻き起こるちょっとした出来事がしをんさん一流の味付けによってドラマティックな物語へと昇華して読者を楽しませてくれました。そのベースにあるのは、三浦さんのもう一つの顔とも言えるエッセイのかっ飛んだ世界。そんなエッセイの世界に魅せられていた私は、この面白さが小説の世界に組み込まれたらどんな物語が生まれるのだろうという思いを持っていました。そんな私が出会えたこの作品。

三浦さんの超一流な構成の妙が安定した土台を築くこの作品。三浦さんの超一流なキャラクター設定が人の生命力の強さを感じさせるこの作品。そして、三浦さんの超一流なエッセイのかっ飛んだ世界観が全体を包み込んで読者の元に届けられたこの作品。

三浦しをんさんのファンで良かった!つくづくそう感じさせてくれた、小説とエッセイが融合した夢の先にある作品でした。

三浦さん、私はあなたにどこまでもついていきます!
もっともっと、宇宙の彼方までかっ飛んでください!!
どっかーーーん!!!

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 三浦しをんさん
感想投稿日 : 2021年8月21日
読了日 : 2021年8月1日
本棚登録日 : 2021年8月21日

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コメント 2件

なつこさんのコメント
2021/09/04

さてさてさん、コメントありがとうございます。
いつも、いいねもありがとうございます (^^)

感想を見ていると、しをんさんファンがとても楽しんで読まれているので「ホント私が捻くれてるのね」と思ったのですが、この作品は、エッセイと小説の間にあるのでしょうね。エッセイを読んだことがないのでしをんさんの世界にひたれなかった…ということなのでしょう(^^;;

さてさてさんの深い考察にはいつも感心させられております。コメントいただき嬉しいです!

さてさてさんのコメント
2021/09/05

なつこさん、ありがとうございました。
捻くれてるなんてことは絶対ないです。色んな楽しみ方があってこその読書ですし、私もなつ子さんの書かれたレビュー読んでなるほど!と思ってしまいましたから。私の方がしをん節に騙されているとも言えるかも知れません(笑)
こちらこそ、過去レビューを見ていて、なつこさんとは結構同じ作品で重なることが多く参考にさせていただいています。
よろしくお願いします。
ありがとうございました!

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