猫を抱いて象と泳ぐ (文春文庫 お 17-3)

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  • 文藝春秋 (2011年7月8日発売)
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あなたが好きな”ボードゲーム”は何ですか?

テーブルの上で遊ぶゲームのことを指す”ボードゲーム”という言葉。仲間が集まれば昼夜問わず、場所問わずできることもあって、古の時代から人々を魅了してきた”ボードゲーム”。この国であれば、囲碁、将棋、そして双六などがパッと思い浮かびます。一方で海外に目を向ければ、日本でもお馴染みのオセロ(リバーシ)の他、名前だけは超がつくほど有名な『チェス』が思い浮かぶのではないでしょうか?

『木製の王様を倒すゲーム』、極端に省略して言えばそんな風に言い切ることもできるそのゲームは二人のプレーヤーが、”白・黒それぞれ6種類16個の駒を使って、敵のキングを追いつめ”ていく、そんな駆け引きを楽しむゲームです。全世界で8億人以上というプレーヤーの数が紀元前に生まれたとされるそんなゲームの隆盛を支え続けています。

とは言え、それは世界でのお話。この国における競技人口はわずか2万人程度、名前こそ知られていても極めてマイナーなゲームにすぎない現実があります。かくいう私も『チェス』に関する知識は一切持ち合わせていません。では、このレビューを読んでくださっているあなたはどうでしょうか?『敵味方をくの字に飛び越えてゆく』『ナイト』、『斜め移動の孤独な賢者』『ビショップ』、そして『全方向に1マスずつ、思慮深く』動く『キング』。そんな六つの”駒”がゲームごとに世界を作っていく、そんなゲームの内容を知っているでしょうか?

さて、ここにそんな『チェス』の世界に生きた一人の男性を描いた作品があります。『親の名付けたごく平凡な名前』としか本名が明かされない男性が主人公を務めるこの作品。かつてデパートの屋上で一生を終えたという『象』の『インディラ』の空想に囚われる一方で、『猫』の『ポーン』を抱きながら『チェス』に対峙していく男性の人生が描かれるこの作品。そしてそれは、そんな男性が『チェス盤の前では誰だって、自分を誤魔化せ』ないという舞台において、『リトル・アリョーヒン』と呼ばれるようになっていく様を見る物語です。

『リトル・アリョーヒンが、リトル・アリョーヒンと呼ばれるようになるずっと以前の話から、まずは始めたいと思う』という物語冒頭。『祖母と弟の三人でデパートへ出掛けるのをささやかな喜びとしていた』のは主人公の『彼』。そんな『彼』は、『遊具になど見向きも』せず『一人、屋上で過ご』すことを楽しみにしていました。『観覧車の裏側、ボイラー室の壁とフェンスに囲まれた一角』という場所には『小さな立て札が立ってい』ます。『本デパート開業記念として印度からやって来た象のインディラ、臨終の地』と書かれたその『立て札』には『三十七年間この屋上にて子供たちに愛嬌を振りまきながら、一生を終えた』一頭の象のことが記されていました。『長い時間そこに立ち、吹き抜ける風に頬を冷たくしながらインディラについて思いを巡らせた』『彼』。『両親は弟が生まれて間もなく離婚』し、『実家へ戻った』母親もほどなくして亡くなり、『彼』と弟は『祖父母と暮らしてい』ました。『極端に口数の少ない子供だった』という『彼』は、『上唇と下唇がくっついてい』て生まれました。『メスで一筋、切れ目が入れられた』『彼』の唇には、『脛の皮膚』が『移植』されました。そのため『唇には産毛が生えて』いたという状況。やがて学校へと通うようになった『彼』は唇から生えた毛によって同級生に絡まれる日々を送ります。そんなある日、絡まれていたプールに『人がうつ伏せに浮かんでいるのを』発見した『彼』。それは『バス会社の独身寮に住む若い運転手』の溺死体でした。溺死体を目にしたことで、運転手のことが気になりだした『彼』は、そんな運転手が暮らしていた『独身寮』へと寄り道します。そんなところに『何か用かい?』と声をかけられ驚いた『彼』。そんな『彼』に『慌てるな、坊や』と続けるのは寮の管理人でした。『もしよかったら、おやつでも一緒にどうかね』と誘われた『彼』が部屋へと上がると、そこに一匹の『猫が丸まっているのを見つけ』ます。『名前はポーンだ』という『猫』の背中を撫でる『彼』。そんな『彼』の前にはテーブルがありました。『そのテーブルがチェス盤だ』と説明する管理人は『チェスだ。木製の王様を倒すゲーム』と続けます。『これが、少年とチェスとの出会いだった』という『彼』と『チェス』との運命の出会い。『チェス』と共に生きる『彼』の人生が描かれていきます。

“11歳の身体のまま成長を止めた少年は、からくり人形を操りチェスを指す。その名もリトル・アリョーヒン…いつしか“盤下の詩人”と呼ばれ奇跡のように美しい棋譜を生み出す…少年の数奇な運命を切なく描く。小川洋子の到達点を示す傑作”と内容紹介に高らかにうたわれるこの作品。数多い小川洋子さんの作品の中でも人気の長編小説です。そんな作品の書名には、「猫を抱いて象と泳ぐ」という摩訶不思議な書名がつけられています。上記した本編冒頭の抜粋にも登場する『猫』とは、『彼』が『チェス』と出会い、『マスター』の元で『チェス』の道を極めていく中でいつも『彼』と『チェス』の場を共にする『ポーン』を指します。また、『象』とは、『彼』が幼い日々にデパートの屋上で、かつてその場所に三十七年間も飼育されていたという『インディラ』のことを表します。『ポーン』は、その後の『彼』と共に生きていきますが、『インディラ』は、『彼』が実際に出会ったわけではなく、あくまで、かつてその場で飼われていた事実を示す『立て札』を見ただけです。ただ、これはあなたにもあると思いますが、幼き日々にはそれぞれに心囚われるものがあります。この作品の『彼』にとって、デパートの屋上という今の『彼』がいる場所に一生を終えた『インディラ』のことが強く響いたのだと思います。特にこの『インディラ』は、その後の本編中に現れるわけではありませんが、『象』というインパクトのある存在の印象は、最後まで読者の心に在り続けていくと思います。なんとも絶妙な書名、小川さんらしい上手い書名だと改めて思います。

そんな物語の中心に描かれるのは、

『これが、少年とチェスとの出会いだった』。

そんな風に運命のようにうたわれ、『チェス』の道へと突き進んでいく『彼』の姿です。作品冒頭に『リトル・アリョーヒンが、リトル・アリョーヒンと呼ばれるようになるずっと以前の話から、まずは始めたいと思う』という記述の通り、この作品では、『チェス』に出会った『彼』が『リトル・アリョーヒン』と呼ばれ大活躍を見せるようになっていく物語が描かれていきます。そんな物語には当然に『チェス』の話題が大きく取り上げられます。さて、あなたは『チェス』についてどのくらいの知識を持っているでしょうか?机上で行われるゲームというと日本では囲碁、将棋、そしてオセロが定番だと思います。その一方で世界に目を向ければ『チェス』は全世界で8億人以上の競技人口を誇る”ボードゲーム”の王様のような存在です。そんな『チェス』の知識のない人でも雰囲気が掴めるように小川さんはさまざまに工夫をされています。まず、冒頭には『キング(K)…決して追い詰められてはならない長老。全方向に1マスずつ、思慮深く。クィーン(Q)…縦、横、斜め、どこへでも。最強の自由の象徴…』というようにチェスで使う”駒”について説明が入れられています。また、『縦に八つ、横に八つ、升目は全部で六十四個』という”ボード”についても『彼』がゼロから学んでいく過程を読者に擬似体験させていく工夫もなされています。私は『チェス』に関する知識を一切持ち合わせていませんが、それでも戸惑いを感じることなく読み進めることができましたので、これから読まれる方で『チェス』なんて知らない…という方でも不安は杞憂だと思います。

それ以上に『チェス』の奥深さが小川さんの見事な筆致によって興味深く描かれていくのがこの作品の何よりもの魅力です。もう全編にわたってさまざまな表現に満ち溢れていますが、『チェス』とはどんなゲームかというそもそも論が語られる場面を抜き出してみましょう。”駒”をこんな風に村の構成員に例えるものです。

『キングは村の長老、他の誰も知らない法則や伝承や教訓を知っていて、世の中を救う力を持っている』が、『あまり大きく動き回れない。自分の升目の隣に一歩、どうにかよろよろ移動できるだけなんだ』。

これによって『キング』という”駒”の位置付けを説明します。そのうえで、他の”駒”のことをこんな風に説明します。

『村の若者たちは協力し合って長老の知恵を守る。若者たちはそれぞれ異なる役割を背負っている。八方好きな方向へ行ける者もいれば、天空を飛べる者もいる』。

『斜め移動』しかできない『ビショップ』や、『敵味方をくの字に飛び越えてゆく』『ナイト』など、他の”駒”の存在をこんな風に説明します。そして、

『皆、互いを補い合いながら、自分に与えられた使命を果す。偶然が勝たせてくれるんじゃない、与えられた力をありのままに発揮した時に、勝てるんだ』。

これこそが『チェス』という”ボードゲーム”のあり方。なるほど上手く説明するものだと、全く知識のなかった『チェス』が少し身近な存在にも感じました。また、そんな『チェス』の試合運びを記録する『棋譜』についても印象的に語られていきます。

『これが書き記されていれば、どんなゲームだったか再現できる。結果だけじゃなく、駒たちの動きの優雅さ、俊敏さ、華麗さ、狡猾さ、大らかさ、荘厳さ、何でもありのままに味わうことができる』。

そんな『棋譜』は、『たとえ本人が死んだあとでも』生前のゲームが再現できることが語られます。『チェス指しは、駒に託して自分の生きた証を残せる』という『棋譜』。そんな『棋譜』という存在にも意識を向けながら読み進めていくと、『チェス』の奥深さがどんどん見えてきます。

そんな物語で主人公となるのが、『リトル・アリョーヒン』と呼ばれることになる『彼』です。冒頭に『彼が親の名付けた平凡な名前しか持っていなかった頃の話である』と記されてはいますが、結局最後まで『彼』の名前が明かされることはありません。そんな『彼』は、『上唇と下唇がくっついて』生まれ『脛の皮膚を唇に移植』したことで、唇から毛が生えるという結果論と終身付き合っていく様が描かれていきます。一方で、『マスター』との偶然の出会いから『チェス』の世界に魅せられていく『彼』は、『難しい局面を迎えると、テーブルチェス盤の下に潜り込むようになった。ポーンを撫でながら、盤を下から眺めるためだった』というきっかけの先に独自のプレイスタイルを見出していきます。その先に『リトル・アリョーヒン』と呼ばれるようになる『彼』の『チェス』人生が描かれていく物語。『ロシアのグランドマスター、アレクサンドル・アリョーヒン』、『盤上の詩人』とも呼ばれるそんな伝説のプレーヤーの存在を知ってその虜になる『彼』。そんな『彼』が、『リトル・アリョーヒン』と呼ばれるようになっていく人生が会話の中にこんな風に表現されます。

ミイラ: 『チェスをするっていうのは、あの星を一個一個旅して歩くようなものなのね、きっと』。

彼: 『そうだよ。地球の上だけでは収まりきらないから、宇宙まで旅をしているんだ』。

ミイラ: 『”リトル・アリョーヒン”という名の宇宙船に乗ってね』。

『彼』が『リトル・アリョーヒン』になっていく、予想外なことの繰り返しの中に生きていく、そんな『彼』の『チェス』人生が描かれていく物語には、上記で少し触れた『棋譜』についても印象深く語られます。

『アリョーヒンの棋譜から立ち上る朝霧のような静けさ、風に震える花弁の可憐さ、一瞬を貫く稲光、大地を吠えさせる風のうねり、暗闇に浮かぶ月の孤独』

そんな『アリョーヒンの名に相応しい素晴らしいチェスを指しながら、人形の奥に潜み、自分などはじめからこの世界にいないかのように振る舞い続けた棋士』の人生が描かれる物語。そんな『棋士』に待つなんとも言えないその結末に訪れる切ない感情の中に静かに本を閉じました。

『チェスは頭脳の良し悪しだけで勝敗が決まるものではない』という”ボードゲーム”に光があてられるこの作品。そんな作品では小川さんのさまざまな工夫によって『チェス』についての知識が全くない読者も夢中になれる物語が描かれていました。『チェス盤の前では誰だって、自分を誤魔化せません』という言葉の意味を物語の中に感じ入るこの作品。『チェスは、人間とは何かを暗示する鏡なんだ』という言葉に、『チェス』という”ボードゲーム”の奥深さを感じるこの作品。

哀しくもあたたかい思いが残るその結末に、『チェス』という”ボードゲーム”を深く愛した『彼』の存在がふっと浮かび上がる、そんな作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小川洋子さん
感想投稿日 : 2023年1月7日
読了日 : 2022年10月8日
本棚登録日 : 2023年1月7日

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