さようなら、私 (幻冬舎文庫)

著者 :
  • 幻冬舎 (2013年2月7日発売)
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『人生は、ちょっとしたきっかけで、大きく向きを変え、正反対の方向へと転がっていく』

悩み、苦しみ、そして行き詰まる、日常生活において、もしくは仕事において人は何かしら大なり小なりの悩みや苦しみを常に抱えているように思います。そんな悩みや苦しみが大きくなると、心に余裕が持てなくなり、他人への思いやりの気持ちや他人への感謝の気持ちなども失われ、将来への不安だけが心を支配する、とても不安定な状況に陥りがちです。そんな時に何かしらリフレッシュをする方法を持つのは大切なことだと思います。ブクログに集う皆さんなら読書もそんなことの一つにされていらっしゃる場合もあると思います。何かをきっかけにして、マイナスをプラスに転じる、落ちていく自分を再び上昇気流に乗せる、人は何かしらのきっかけを必要とする生き物なのかもしれません。「さようなら、私」という、象徴的な言葉を冠するこの作品。何かしらのきっかけを得た人が発する言葉をそのまま書名にしたかのようなこの作品。それは、悩み苦しんだ人たちが再び前を向く、上を向く、そのためのきっかけを掴んでいく物語です。

異なる時期、異なる雑誌に掲載された三つの短編を一冊にしたこの作品。全く異なる舞台、全く異なるシチュエーションを背景にしているにもかかわらず、まるで「さようなら、私」という書名の作品のために書かれたとしか思えないくらいに各短編から受ける印象が共通しています。それは、様々な出来事によって心に深い傷を負った三人の女性が、新しい世界を見て、新しい人たちと出会って、その中で新しい自分を見つけていく。そして、それをきっかけにして、過去の自分とサヨナラし、新たな一歩を踏み出していく、この作品はそんなテーマを共通とする三つの物語により構成されています。また、一編目と二編目はそれぞれ、モンゴルとカナダを舞台にしており、特に一編目は、まるで旅行記を読んでいるのかと錯覚するぐらいに主人公・美咲の極めてリアルなモンゴルの旅が描かれていきます。では、そんな一編目を、さてさて流でご紹介したいと思います。

『機内食は、とてつもなく不味かった。来るべきではなかったのだ。今すぐ降りて、日本に引き返したい』と機内で旅に出たことを悔いるのは主人公の美咲。『目指すのは、ウランバートルのチンギスハーン空港だ』というその目的地。『まさか、自分がモンゴルに行くなんて、つい十日前には想像もしていなかった』と過去を振り返ります。『その日私は、三カ月ぶりに地元の商店街を歩いていた』と生まれ故郷の『千葉にあるちっぽけな港町』に戻った美咲。『美咲、俺だってば、ほら、同級生のナルヤだよ!』と『電柱柱にしがみ付いた格好のまま、相手が大声で』話しかけてきました。『ナルヤって、あの高梨成也君?ナルヤは一流企業に内定をもらったって聞いたけど…』と戸惑う美咲に『もうすぐ休憩時間だから、チェリーガーデンで待ってて!』と『懐かしい喫茶店の名前』を告げるナルヤ。『十五分ほど待ったところで、汗をしたたらせ』て、ナルヤはやってきました。『それにしても、すごい焼けてるね』と言う美咲に『だって、土方だもん』と笑うナルヤ。『ナルヤは大手広告代理店に就職が決まったのだと聞いていた』、なのに『土木作業員』のナルヤ。『聞きたいことは山ほどあった』ものの、『もっと大切な話題を口にしなくてはならなかった』という二人は『あの頃グループを作って一緒に遊んでいた仲間の一人が、この春、自ら命を絶った』ことを話します。『山田君は、これから社会人となるという数日前に自殺した』というその衝撃。でも『急に、里帰りすることになって』葬儀には出られなくなったと告げるナルヤ。『ごめん、美咲、俺、もう現場戻んねーと。もしよかったら、俺の育ての親に、会いに来ない?』と唐突な誘いに『行ってみようかな』と『どこに住んでいるの?』とも聞かずに答えた美咲。『学生時代からアルバイトをしてようやく正社員になれた出版社に、数日前、辞表を提出した』美咲は自殺した山田君、大手代理店に就職しなかったナルヤのことも含めて『私達の世代はダメ人間の集まりなのだろうか』と考えます。そんな美咲はナルヤからの連絡により『育ての親』がモンゴル人であることを知ります。『俺、半分は遊牧民の血が流れているんだよ』と平然と語るナルヤ。そして機中の人となった美咲。『心の片隅では、ずっとずっと、はるか遠い所まで行ってみたいと思っていた』という美咲でしたが、『機内食は不味いし、後ろの席の子供は九官鳥のようにうるさい』状況に『来るべきではなかった』と後悔の機中。一方で、飛行機を降り立った美咲の前に『ナイトガウンみたいな民族衣装を身につけた』ナルヤが待っていました。そして、美咲は今まで経験したことのないモンゴルの大平原の環境の中に身を置くなかで、『確かに私は、まだまだがんばれるかもしれない。このままでは終われない』という思いに心が満たされていくのを感じていきます。そして…。

〈恐竜の足跡を追いかけて〉という一編目のこの短編では、『せっかく努力して念願の編集者になれたのに、気がつくと、その職業を自分から手放していた』と傷心した主人公・美咲が数々の不満を口にしながらも、ナルヤの生まれ故郷であるモンゴルの地を旅する中で再び立ち上がる力を獲得していく様が描かれます。そんな短編の中で印象的だったのは、まるで旅行記を読んでいるかのように、その旅情がとても丁寧に描写されていくところです。最初、旅行記的な見方でそれを理解していたのですが、次第にそんな細かい部分に美咲の心の変化が投影されていることに気づきました。何を取りあげようか迷うところですが、敢えて旅先で人には言いづらく困るものの代表格であるトイレのことを取り上げたいと思います。モンゴルの何もない大平原で『トイレが限界なのだ』と緊急事態の美咲。『青空トイレだから、その辺にしちゃって構わないから』とナルヤに言われ『急に尿意が引っ込んでしまう』美咲。『丸見えじゃない!』と思うも、やむなく草むらで用を足す美咲。『一番星が光っていた。思った以上に快適で、気持ちよかった』と感じます。そんな繰り返しの日々の中で、やがてそんな時間は『豪快におしっこをしながら見上げる夜空は、最高だった。辞めたばかりの会社の上司に、そのおしっこをかけてやりたい気分になった』となり、ついには『見渡す限り草原が広がっているのだから、わざわざトイレを使わなくても、その辺でやらせてくれたらいいのに』と大きく変わっていきます。モンゴルの大平原を舞台にしたからこそ自然に描ける表現ですが、こんな美咲の変化を、小川さんは美咲の内面の変化と巧みに結びつけていきます。

『成田から、確か四時間半だった。たったそれだけの時間で、こんな大自然の真ん中まで辿り着くのだ』というモンゴルの大平原。『視界には、木一本見当たらず、天空を太陽が移動する様が、そのまま見渡せる。太陽を遮る物は何もなく、唯一ゲルだけが、影を生み出している』という日本では考えられないような異世界に飛び込んだ美咲。切れない包丁に手こずり、次に来るなら砥石を持ってくるとナルヤに言います。それに対して自身もかつて同じように考えたと話すナルヤ。『でも、見てると結局使わないんだよね。彼らにとってはゴミにしかならない。遊牧民っていうのは、物を持たない暮らしなんだ』と『物に執着しない』モンゴルの遊牧民の考え方を説明します。『彼らは、何千年とそうやって生きてきた。それを無理やり変えようとするのは、それこそ傲慢な話なんだ』と話すナルヤ。自分の生きてきた世界と全く違う価値観の中で生きている人たちがいるのを目の前にして、『不意に、自由ってこういうことを言うのかもしれない』と考える美咲。物に囲まれ、物を守ることに生きてきた自身の人生を振り返る美咲。『自分で自分を重たくして、遠くへ羽ばたこうのするのを阻んでいる』と考えます。そんな繰り返しが『また少し、昨日よりも心が柔らかくなっている』と美咲の感情に変化をもたらしていきます。これが、上記したトイレ、風呂、そして食事などの生活の基本部分の描写の変化と巧みにリンクして、物語の説得力を増していきます。『生きていれば何回だって、やり直しがきくんだよ。生きていれば』と語るナルヤ。そして『いびつな形で固く結ばれていたリボンの結び目が、声を出して笑うたびに少しずつ解けていく』と感じる美咲。幾度か描写される満点の星が広がる大平原の夜空の美しさがどんどん増していくのを感じた短編でした。

『自分に限界を作っているのは、自分自身なんだ』と主人公が気づいていくこの作品。そうは言ってもね…という気持ちがある限り、それはきっかけを掴めていない自分自身を確認しているのと何ら変わらないままだと思います。

『人生は、ちょっとしたきっかけで、大きく向きを変え、正反対の方向へと転がっていく』

前を向き、再び上昇気流に乗って高い空の上へと飛び立ってく。そんなきっかけを見つけていく主人公たちと共に旅をするこの作品。旅情溢れるシーンの数々に、私もすっかり旅に出たくなるとともに、明日からまた頑張ろう!、そう感じた作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小川糸さん
感想投稿日 : 2020年12月7日
読了日 : 2020年9月13日
本棚登録日 : 2020年12月7日

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