カフーを待ちわびて

著者 :
  • 宝島社 (2006年3月20日発売)
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【恋愛で第一に大事なことは何かと聞かれたら、私は、好機をとらえることと答えるだろう。第二も同じ、第三もやはりそれだ。】

フランスの哲学者・モンテーニュの言葉ですが、恋愛ならずとも世の中あらゆることにおいてタイミングを逃さないということは何よりも大切だと思います。これを聞いて、あなたも自分の恋愛経験を振り返る時、辛い思い、苦しい思い、そして狂おしい思いの先に喜びが待っていた時に、思い返せばそれがひとつのタイミングだったことに気づくのではないでしょうか。そして、そんな恋愛は突然にやってくるものです。でも突然にやってきても、その時の自分の気持ちが恋愛感情なのかどうかに気づくまでの時間は、人によって、またそれまでの恋愛経験によっても変わってくるものです。そして、その時の自分の正直な気持ちに気づいた時、その戸惑いの中で、次にどのような行動をとるのか、とらないのか。『どうすることもできない』、と感じた時に『じっと待つだけ』なのか、それとも好機を信じて最初の一歩を自分から踏み出していくのか。言葉で簡単に説明できないその難しさこそが恋愛なのかもしれません。そう、この作品は、沖縄の美しい離島の自然を背景にそんな恋愛に焦点を当てていく、原田マハさんのデビュー作です。

『いつもの昼のまどろみ』、『「中休み」と言って、明青の店は二時から四時までを開店休業にしている』という『友寄商店』。その店は『戦前から続く「よろずや」で食料品、学習帳におもちゃまでなんでも扱っている』、そんな店をひとりで切り盛りする主人公・友寄明青。『朝七時、起床。カフーと南浜まで朝の散歩。九時半、店をあける。六時には閉店。夕方の散歩。暗くなるまでカフーと遊ぶ。八時、裏のおばあのところで夕めしを食べる』という決まった毎日を送る明青。そんな明青には毎日過ごす大切な時間があります。朝夕の散歩の相手である犬のカフーとの時間。『いつもの日、いつもの夕方、いつもの散歩の時間』を共にするカフー。『二年前に明青のところへもらわれて』来たカフーは毎日、店の閉店後にやってくる明青を『定位置で待ってくれ』ています。『誰かが待っていてくれる。そんなことには、縁遠かった人生だ』という明青。そんな明青は毎日『裏に住む巫女のおばあのところ』に夕食を食べに行きます。ある日『ウシラシ、あったかね』と語るおばあ。『ウシラシとは、神様から送られてくるサイン』。『島にいる唯一の巫女である』おばあの語る『ウシラシ』は『神がかっ』ていました。『出稼ぎで漁に行っていた父の事故死。弟の死産のあと、ふいにいなくなってしまった母』ことごとく言い当ててきたおばあ。犬のカフーが生まれた時にも告げた『ウシラシ』、それは『いい報せさ。果報(カフー)さ!』というもの。ここから取ったカフーの名前。そんな『ウシラシ』をまた告げられた明青は、家の郵便受けに『青白い封筒』を見つけ封を開けました。『拝啓 初めてお便りを差し上げます。遠久島の飛泡神社で、あなたの絵馬を拝見しました。…あの絵馬に書いてあったあなたの言葉が本当ならば、私をあなたのお嫁さんにしてくださいますか… 幸』、『手紙を読んでしばらく腕組みをしたまま動かなかった』明青。『どこの誰が、神社に置いてきた絵馬を見て応えてくるのかね。いや、自分は確かに書いたよ。「嫁に来ないか」ってね』、とその時の記憶を辿ります。『確かに書いたよ、与那喜島・友寄明青って。でもさあ…ちょっと待ってよぉ』…とおばあの『ウシラシ』が何かを暗示する物語が動きだしました。

この作品は第1回日本ラブストーリー大賞受賞作ということからも、まさにど真ん中の恋愛物語を描いた作品だと思います。一方で、全体として女性視点で描かれることの多い原田さんの作品の中では、珍しく全編にわたって男性視点でストーリーが展開するのがとても新鮮です。そしてその舞台に選ばれたのが沖縄の離島。そんな舞台となる離島の風景に原田さんは沖縄らしい二本の木を象徴的に描いていきます。一つは、『ガジマルの大木』です。『明青の家の前から南浜へと続く道』に立つ『ガジマル』。『空めがけて勢いよく枝を伸ばし、ゆたかな葉を浜風にざわざわと揺らす』というその大木、その場所にある風景は、『その晴れ晴れとした風景の中へ思い切り走って行けば、どんな辛いこともその瞬間は忘れることができる』という場所、そして『まるで光に包まれている、不思議な物体との遭遇のようだった』という運命の出会いに象徴される、明青のもとに訪れる何かを待つ場所。あくまで明青は立ち止まっていて向こうから何かがやってくるのを待つ場所でした。その一方でもう一つは、小学校の校庭の片隅に立つ『ディゴの巨木』です。『どっしりとした太い木。生い茂る深緑の葉は、さえぎるもののない校庭を渡る風を受けてさわさわと鳴った』というその巨木。その場所は小学校時代の苦い思い出から一歩踏み出した場所であり、結末に向かう明青が次に進むための一歩を踏み出そうと決意する場所、前に進む明青を象徴する場所でした。このようにこの二本の大木、巨木が明青の人生の中で、象徴的な役割をそれぞれ果たしながら物語が進んでいくのがとても印象的でした。

明青は、小さい頃から『どうすることもできない』時に、『じっと待つだけ』という姿勢で臨んできました。『耐えて、待てば、それは通り過ぎて行く』、それは『不幸な出来事のほうが多かったから、そんなふうに覚えてしまったのだろう』という明青。『いやなことは、みっつ数えるうちに通り過ぎる。不幸な出来事は、もっと長い時間がかかるかもしれないけれど、そのうちに消えて行くのだ』という、ただただ待ちの姿勢で人生に臨んできた明青。その待ちの姿勢で潜り抜けた事も確かにあり、それもある意味では人生のひとつの歩き方なのかもしれません。でも【恋愛で第一に大事なことは何かと聞かれたら、私は、好機をとらえること】というモンテーニュの言葉があるように、タイミングはただ待っているだけでは必ずしも訪れません。『幸せは、いくら待ってても、やって来ない。自分から出かけて行かなくちゃ、みつけられない』。自分から動いて、前へ、前へと進む。そして、好機を自ら見つけ、手にしていく。もちろん、恋愛ということで言えば、だからと言って必ずしも叶うものでもないでしょう。でも、そんな前向きな人生に向かって生きている人はやはり輝き、好機を手に入れる可能性を高めていけるのではないかと思います。だからこそ、結末に明青が見せる『晴れ晴れとした笑顔』は美しい。そして、そんな明青をきっとカフーはいつまでも待っている。

沖縄の離島の美しい自然を見事に文字に写し取った原田さんのデビュー作。今の原田さんにも通じる伏線の巧妙さ、風景を感情に結びつけて描く絶妙さ、そして人の優しさをふっと感じさせてくれるあたたかい物語。丁寧に描かれるゆったりとした時間の抗しがたい魅力に、ああ、沖縄に行きたい!そんな思いが頭をよぎる、そんな素敵な作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 原田マハさん
感想投稿日 : 2020年7月10日
読了日 : 2020年7月7日
本棚登録日 : 2020年7月10日

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