妹の本棚で、「道ありき」が目に留まり読んだ。読み進めていくうちに、この一日をこの本に使う価値があると感じ、二周した。
虚無感で一人残されていることに嫌な感じを抱かなかった頃から神を信じクリスチャンになるまでのことが書かれている。
私は、洗礼を受けていない。けれども、信じているからクリスチャンである。ただ、最近は求めていた道ではない道を歩いており、毎日のように枕を濡らしている。だから、綾子の考えを理解しやすかった。一度、信仰を持てたからといってそれで終わりではない。神様は、私の信仰が育つように、人を与えてくださる。それは、友人であったり、恋人であったり、はたまた思いがけない人であるかもしれない。人を通して、イエス様の十字架の意味を知る。その人の信仰や愛を見て、与えられている愛がどれほど大きいのかを知る。思い返せば、必要な時に必要な人が与えられていた。人は弱い。弱いから、まずは神様から愛されるだけで大丈夫。完璧を目指さなくて大丈夫。今日、信仰があるのかだけでいい。今日、信じることを貫く信仰を持ちたい。
心に残った綾子と正の言葉
「綾ちゃんの今の生き方がいいとはぼくには思えませんね。今の綾ちゃんの生き方は、あまりに惨め過ぎますよ。自分をもっと大切にする生き方を見いださなくては…」
「結局は、人間は死んでいく虚しい存在なのに、またしても何かを信じようとするのは、愚かだと思った。しかし、わたしはあえて愚かになってもいいと思った。丘の上で、吾とわが身を打ちつけた前川正の、わたしへの愛だけは、信じなければならないと思った。もし信ずることができなければ、それは、わたしという人間の、ほんとうの終わりのような気がしたのである。」
「わたしはあの夜まで、自分自身が虚無的であったにせよ、それはそれなりにやはり人生に対してまじめだと思っていた。まじめだからこそ、絶望的になることができたのだと思っていた。だが、それは自分の間違いであることに気づいたのだ。気づかせてくれたのは、あの丘の上の前川正の姿であった。〜自らの足を石で打ちつけた彼の姿を思ったとき、真剣とはあのような姿のことを言うのだとわたしは気づいたのである。真剣とは、人のために生きる時にのみ使われる言葉でなければならないと、思ったのである。そう考えると、わたしは自分の生き方がどこか中心を外れた生き方のように思うようになった。」
「信頼されているということが、どんなに恐ろしいことかを、この教師は知らなかったのだ。」
「綾ちゃん、生きるということは、ぼくたち人間の権利ではなくて、義務なのですよ。義務というのは、読んでの字のとおり、ただしいつとめなのですよ。」
「ほんとうに人を愛するということは、その人が一人でいても、生きていけるようにしてあげることだと思った。〜神に頼ることを決心するのですね。」
- 感想投稿日 : 2022年3月17日
- 読了日 : 2022年3月16日
- 本棚登録日 : 2022年3月16日
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