見方によって、若い女の人に見えた老婆に見えたりする、いわゆる「だまし絵」について知ろうと思い買った。ただ、著者は、そうした錯視を利用した絵は、本当の意味での「だまし絵」ではないのだ、というところから話を始める。
この本でいう「だまし絵」とは、描かれたものの写実性と迫真性によって、見た人が「本物そっくり」だと思うような絵画のことである。それは、「本物そっくり」であるために、見る人の目を「だます」もので、しかし、そうは言っても絵であるがゆえに必ずしも「だまされない」ものだという。この「だます」「だまされない」の間の微妙な境界線に、その作品の「だまし絵」としての芸術性があると、著者は考える。
注目するのは、絵の中に描きこむことで、それを本物だと想わせようとするモチーフの数々である。まるで絵の表面に止まっているように見える蠅。貼ってあるように見える張り紙。壁にかければ、あたかもそこに窪みがあるかのように見える壁龕。こうしたモチーフは、美術史の中に、繰り返し現れて、見る人を騙そうとしてきた。
たしかに筆者の言う意味での、人の目を騙す絵画を「だまし絵」と呼ぶなら、自分が最初に挙げたような見方によって絵が変わるような「隠し絵」は、「だまし絵」ではないかもしれない。ただ、そこは、ただの言い方の問題ではないか、とも思う。
この本で面白かったのは、そうした美術史の中で、繰り返し描かれるモチーフが、どのように繋がっていて、どういった意味のものとして解釈できるのかを説明しているところだろう。特に、「ウァニタス(虚栄、虚しさ)」の表現として、髑髏を解釈していくところなどは参考になった。
歴史の流れの中で、複数の作品を見比べることによって初めて分かる、作品の楽しみ方を知れる本だった。
- 感想投稿日 : 2023年5月29日
- 読了日 : 2023年5月29日
- 本棚登録日 : 2023年5月27日
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