日本未公開の映画『オッペンハイマー』が話題になっている。
1942年のマンハッタン計画を軸に、原爆開発者の物理学者オッペンハイマーの軌跡と悲劇を描いた伝記映画。米公開は今月21日予定、観客の反応から日本での公開日を判断していく、と言ったところか。
オッペンハイマーは後年原爆の開発を激しく悔いていたが、アメリカ国内では未だに「必要悪」「使用しなければ日本は降伏していなかった」という意見が散見される。『オッペンハイマー』の試写上映後には「感動した」という声もあった。
一体何に感動したのか、その感想を述べた人は投下についてどうお考えなのか…。
映画に思惑を巡らせると疑問が増えてくばかりだが、ここに一つ、アメリカ側の原爆観を考える上でのヒントが隠されている。
アメリカの高校生8人が、日本への原爆投下について肯定派と否定派に分かれてディベートするという、昨年ブクログでも話題に上った本書。
「賛成」「反対」(稚拙で軽はずみに聞こえる方)ではなく「肯定」「否定」の言い方を遵守するところに、両チームともテーマを慎重に捉えていることが伝わってくる。ディベート大会が開催されたのは2004年。アメリカがイラク侵攻して間もない頃なので、参加者もテーマに対して非常にセンシティブだ。(ちなみに物語はフィクションだが、非常に良く構成されている)
「核兵器は悪に対抗するための平和の武器」
「原爆を肯定?」
多くの(日本人)読者が抱いたように、自分も肯定派の彼らがどのように正当化していくのか気になった。
意見が違って当たり前。人の数だけ意見がある。育った世界だって違うわけだし。だから肯定派の意見を無闇に忌み嫌ってはいけない。読書中は自分にそう言い聞かせながらページをめくっていた。
だからか、最後まで否定派であったけれど肯定派を否定しきれなかった。彼らも彼らなりに原爆投下をリサーチし、時には自分が思いもしなかった角度から問題に切り込んでいたから。
例えば「罪もない人々」の定義。
被爆者のような一般市民を「罪もない人々」と表現する否定派に対して肯定派は、「南京大虐殺」や「国家総動員法」の例を持ち出す。一見「罪もない人々」に思える一般市民も投下への引き金に関与していたのではないか、と。
「『国家総動員法』によって全国民がアメリカと一戦交える心づもりでいた=罪がないというのはおかしい」という解釈は少なからずショックだったが、同時に覚えておかなくてはいけないと思った。
ディベートのメンバーも、主人公メイのような日系にユダヤ系・黒人etc…と様々。
そのため自然と、特に否定派が戦争の根源と強調する人種差別にも話が及ぶ。
彼らが会場のホールではなく、広島や長崎、各平和資料館を訪れていたらどうなっていただろう。それぞれに有利な資料を持ち合わさず、目の前に差し出された事実のみを意見もルーツも違う8人が同時に目にしたら。
肯定派もこの世界に残り続ける。
我々は否定し続けながら、このことも念頭に置かなきゃいけないようだ。
- 感想投稿日 : 2023年7月17日
- 読了日 : 2023年7月17日
- 本棚登録日 : 2023年7月17日
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