『三十の反撃』から飛んできた。
下記の読書体験から当初は、年齢的なものもあって「『三十の反撃』の方が好きだし共感できる」と身勝手な感想を持っていたけど、思い返せばこちらはこちらでよく作られていると思った。
扁桃体(「アーモンド」と呼ぶらしい)が通常より小さく、喜怒哀楽、特に恐怖をあまり感じることができない「僕」の人生を描く。
寒さや痛み等触覚的なものは感じられるようだが、感情を理解できない「僕」の語りが文章を起伏の少ないものにしていた。(原注曰く、物語では医学的知見に基づき、著者の想像も加味しながら「失感情症」を描いているという)
「平凡というのは、実は一番実現するのが難しい目標なんだ」
「あんたは、いい子だよ。それに平凡。でもやっぱり特別な子」
「僕」が将来災難に巻き込まれないよう、そして平凡な人生を送れるよう、母親は「僕」に人との正しい接し方を叩き込んだ。
彼は何とかそれらを”暗記”し、やがて母親達を襲った通り魔や不良少年ゴニの心情について知ろうとしていく。
自分はどちらかというと、喜怒哀楽がはっきりしている方(のはず…)だから「何も感じないこと」について、クライマックスまでよく掴めずにいた。ちょうどゴニのようにその疑問を「僕」にぶつけては反芻している感じ。
彼の年齢設定も「多感」と呼ばれる年代なのに、本人は逆行していて随分大人びている。(「良く言えば”ピュア”ってことなのかな?」)
辛い出来事に対抗するために心を無にすることはしてきたが、そもそも彼は「辛い」と感じることすら出来ない。「何でわざわざ何も感じないようにするの?」と、彼から聞かれそうだ。
しかし大人と呼ばれる年代真っ只中の自分でも彼の物語は興味深かった。それに彼と同じ年代には尚更もってこいの一冊ではないだろうか?とりわけ「相手の気持ちを考えなさい」と言われ続けている子達には。
その証拠に「他人の気持ちなんかその人にとっての他人である自分に分かるわけないだろ」と反抗心を燃やしていたかつての(同年代だった)自分が、彼の素朴な疑問を一緒に考える姿がイメージとして湧いてきた。
大人から教わった正しい接し方を試みても、ゴニのようにあらぬ反応が返ってくることだってある。素朴な疑問を投げかけられたのは、恐れを知らない「僕」だからこそ出来たことかもしれない。
でも歩み寄りというのは、結局は素朴な疑問から始まるものではないだろうか。少なくとも無視したり、遠巻きにスマホを向けている連中には出来るはずがない。
- 感想投稿日 : 2023年1月13日
- 読了日 : 2023年1月13日
- 本棚登録日 : 2023年1月13日
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