被差別部落問題ってなんとなくずっと心に引っかかっている。ふつうに学校の授業を受けている時間だけではこの言葉に出会ってこなかったと思う(ってもちろん私が聞いてなかっただけかもしれないけど)。それでもこれを知っているのは、高校の学校行事で行った広島旅行で、被差別部落を訪問するというコースを選択したからだ。今よりもっともっと世間知らずだった私、「どんな特殊な地域なんだろう?」という好奇心もあって選択したわけだが、行ってみると拍子抜けというか、とても普通だった。ますます、なにがどうしてなぜ差別をされているのかわからなかった。それから大学の研究旅行の中でも、三味線作りの見学に行ったとき、「皮を扱う職業は、アレなんで、デリケートな方もいらっしゃるんで、写真撮影はダメです」とだけ言われて、今思えばそこをアレで済ませて研究旅行としてよいのか疑問、という感じで帰って来た。結局なんなん?という気持ちがずっとある。
で、こういう本を読んでみて、全てが氷解!というわけではもちろんないのですが、「で、フラットに、当事者の人はいまどんなふうに過ごしているの?」という疑問に答えてくれる良書でした。全国の被差別部落(著者はそれを路地と呼んでいますが)を取材して歩く著者の原動力が、(どちらかに偏らざるを得ない)熱い正義感、とかではなく、ご自分のルーツ探しのようなところがあって、それゆえの謙虚さというか、時には立ち入り過ぎたことは聞けず収穫少なく帰ってくることもある、まんじり、みたいな余韻も、誠実でいいなあと思いました。ルポルタージュというものをそうそう読みつけていないので、取材する者の腕としての良し悪しはわかりませんが、自分は別次元の人間だーみたいに勘違いしてガツガツえぐり取っていくような悪いイメージが、ルポライターってあったので(ごめんなさい)、知りたいことは知れたけど自分も悪いことをしたような不快感ばかりが残るようだったらどうしよう、という不安は、杞憂に終わりました。
最近、美味しいなあと思っているかすうどんが、著者によると屠殺を生業にしていた路地の料理だそうで、びっくりした。屠殺、三味線作り、芸人さん、出産の時に出る胎盤の処理、、、などなどの職業が路地とは関わりが深いようだが、どれもこれも自分だってお世話になっている大事な仕事だというのに、なぜ人は差別するのでしょうね。かすうどんは美味しいし。やっぱり理解できないなー、そう思う反面、自分はそういう謎の差別をしていない/しないと言い切れるのか?胸に手を当てて考えてみる。そういう時間をくれる本でした。
- 感想投稿日 : 2013年6月13日
- 読了日 : 2013年5月9日
- 本棚登録日 : 2013年4月28日
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