作家である「私」はライトノベルや少女小説、ティーンズ向けのホラーシリーズを書くことを主な生業としている。そのあとがきでは、身の回りの怖い話を読者から募る呼びかけをしていた。そして送られてきた体験談をもとにして、実話怪談の連載も持つことになった「私」のもとにある日、奇妙な体験について書かれた一通の手紙が届く。
都内のマンションに住み、編集プロダクションに務めるライター業の30代女性(仮名:久保さん)が投稿してくれたもので、どうも「自分が住む部屋に何かがいるような気がする」のだという。リビングの仕事机でPCに向かっていると時折、背後の寝室から畳をこするような音が聞こえ、しかし振り向いて寝室の中を確かめると、その音は止まる……はじめは箒が往復するようなイメージを抱いていた久保さんだったが、ある日繰り返される音をしばらく聞いた後で不意に振り返ってみると、白地に金か銀の細かい模様が入った平たい布が這うのが一瞬見えた。これは箒ではなく、何かからぶら下がった着物の帯のようなものが、揺れながら床を撫でている音なのではないか……?
久保さんとの手紙やメールのやり取りで、ここまでの経緯を聞いた「私」は、ある既視感に囚われた。そして読者からの手紙類を整理していた際、「私」はふと、その久保さんと同じ番地とマンション名が送り先になっているまったく別人からの投稿があることに思い当たる。部屋は久保さんとは別の階だが、その内容は半年ほど前に越してきたそのマンションで生活するようになってから、娘の様子がときどき妙で、部屋の中でなにもない宙をじっと見つめていることがあり、どうしたのかと聞けば、娘は「ぶらんこ」と口にするのだ――という一児の母親により記された、どこか類似するところのある体験談だった。
本来何の曰く因縁もないはずのマンションで、しかし同時多発的に起きている怪現象を調べていくなかで、やがてその原因を追って、周辺の土地の来歴をも深く掘り下げ、遡り、そこに流れる因縁と「穢れ」の長い連鎖を辿っていく探索の顛末が描かれる小野不由美のホラー長編、『残穢(ざんえ)』。著者を知る人であれば、この端緒となるくだりで述べられる内容が、あの〈悪霊〉シリーズ(現在の『ゴースト・ハント』シリーズ)のあとがきで恐怖体験談を募集していたことや、そしてその投稿をもとに怪談専門誌「幽」で連載、のち書籍化された『鬼談百景』と関わりがあること――すなわち「私」とは著者=小野不由美自身であると示唆されているのに、早々に気づくことでしょう。
そんなドキュメンタリータッチの本作は、著者が2005年頃から、「先例のない長い怪談」を書きたいと温めていたアイディアをベースに、膨大な資料から細部を構築しつつ、実名の作家を登場させたり、『鬼談百景』に登場するエピソードをもリンクさせるという虚実ないまぜの構成により、独特のリアリティと手触りを与えられた、あくまでもフィクション。しかし、それでもどこまでが実際に起きた出来事をもとにしていて、どこからが作り話なのかの境目を、著者が明言しているわけではないのも、また事実……。
本書を読み進む中で覚える、その土地に埋もれる遺恨や悪意が少しずつ浮かび上がり、因果が見えてくるにつれて静かな戦慄が纏わりついてくるような感覚と、何より読後、本を閉じてもなお日常にまで穢れが滲みだしてくるような震度と余韻の深さは、まさに唯一無二です。
ちなみに本作は山本周五郎賞受賞作でもあるのですが、選考委員がこぞって「この本を家に置いておきたくない……」と述べたというエピソードも納得の、間違いなく国産ホラーの最高到達点のひとつといって過言ではない一作。くれぐれも、覚悟してお読みくださいますよう。
- 感想投稿日 : 2021年6月13日
- 読了日 : 2015年12月20日
- 本棚登録日 : 2015年12月20日
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