パルタイ (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1978年2月1日発売)
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感想 : 43
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再読だが内容は忘れていた。ずいぶん前のことだけれど年数を経たからではない。やはりわかっていなかったということだろう。

あのころは倉橋由美子の「夢の浮橋」とか「されどわれらが日々」(柴田翔)「我が心は石にあらず」(高橋和巳)など友人に薦められて節操もなく興味を持った。しかし、柴田翔や高橋和巳ほどには覚えていなかったのだ。

カミユやカフカ、サルトルも一応は読んでいたが理解していたのではないから、その影響を色濃く受けたという本書が私には響かなかったのだろう。

時代を経て再会し、深い意味を理解するとはなんとも奇妙なことだ。

表題作「パルタイ」は倉橋由美子のデビュー作、1959年1月明治大学学長賞入選作品にて世に出たのである。
他は「非人」(1960年5月)「貝のなか」(1960年5月)「蛇」(1960年6月)「密告」(1960年7月)

度肝を抜かれた、すごいシュールだ!
のようでもあるが、世相を揶揄しているような内容でもある。

「パルタイ」…ある革命的な党に入ろうとした女子学生
「非人」…ある組織の経営の中で翻弄され、いじめられるる「ぼく」
「貝のなか」…女子寮における人間関係の憂鬱
「蛇」…カフカの「変身」を思わせる騒動、学生編
「密告」…銅版画の如く描かれる印象的で残酷な青春像

リアルであって現実離れ、ありえないようなグロテスクな世界。

『わたしと他者との存在関係であることばというものを逆手にとってもうひとつの世界、わたしにとってほんとうのレアリテがつまった世界を構築することをひそかな愉しみとして…』

と倉橋由美子自身の後記に書かれているように、存在論理を形而上学上にイメージするのに実在の日常性のなかに閉じ込めるから、歪んだ現実になるというのである。こんな日常はありえないけれど日常に近いのである。

著者青春時代の若々しい芸術的カタルシスでもある。これは最先端の芸術であった。感性の鋭い人たちがさぞ共鳴しただろうと思う。現代から見るとこのくらいは当たり前になっている。ああ、だから新しかったのだ。

「パルタイ」が一番普通。でも読み込めば読むほどにその重苦しさに呻く。苦しい芸術ってのもあるのだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 2005年
感想投稿日 : 2021年9月12日
読了日 : 2005年10月23日
本棚登録日 : 2021年9月12日

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