AI vs. 教科書が読めない子どもたち

著者 :
  • 東洋経済新報社 (2018年2月2日発売)
4.13
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感想 : 142

AIの限界と、それを乗り越えるために必要な日本人の読解力の問題点について書いた本。
前者については歴史的な意義がある。後者についてはある一方の端的な意見としては一考の価値はある。

AIの限界については筆者が数学者として論理的に詰めて書いたことは感じられるが、出版後「ありえない」と言った技術が次々生まれたことに意味があると思う。筆者が項を立ててまで不可能性を解いた「AIの限界」が、DeepL、MidJourney、そしてChatGPTによって破られたことは、技術の進歩が必ずしも線的ではなく「今の技術の延長では無理」なものが明日の技術なら可能になりうることを示していると思う。筆者の主張の核心であった「AIは意味を理解できない」という主張すら、IPAが発行するAI白書で次に解決すべき課題として挙げられてることは示唆にとむと思う。

後者については筆者が読解力診断テスト(RST)を自信をもって世に出し、それを広めようと思っていることは賞賛すべきだがそれ以外の論理が飛躍している。おそらく筆者は、少なくとも教育学の専門家を共著者に加えて読解力と教育の果たす役割を論じるべきだったのだと思う。また統計とその限界を前に述べておきながら、RSTの結果のみをもって高等教育や大学入試等の選抜試験を論じるのも専門家らしい態度とは言い難いのではないか。何より読解力の差異が生まれた生活習慣などのアンケートで何の有意差も見られなかったことを持って「そもそも読解力がないのだからアンケートの質問も理解できなかったのでは」といい、アクティブラーニングをして「調べ物をしてもその内容を理解できない」というのなら、なぜこの本の読者はこの本の内容を正確に読解し人口に膾炙してくれると期待できるのかという疑問にも答えなければ出版の前提を崩すのではなかったのか。いずれにせよ、数学という論理のみに依拠する学問を修めた筆者の「極論という醍醐味」には一考の価値もあろう。

上記2点を踏まえて、筆者はAIの発達で未だかつてない大恐慌が起こる危険性を指摘するが、前と同様、これも経済学の専門家を共著者に入れるべきだったのだろう。「経済学のどの教科書にも書かれている」概念を扱いつつ、それに関する議論を深掘りせずに用いるのは、後の主張の広範さに比して誠意に欠けると見えかねない。世界恐慌より広範な職が短期間でAIに奪われるとしながら、世界恐慌でどれくらいの職が、どのくらいの期間で失われ、その間にどれくらいの新しい職が生まれたのかを検討しないのでは、筆者が批判する「巷のAI本」と大差ない。また、読解力が無いため新たに生まれる職に失業者が就けないとするなら、筆者が例示したオックスフォード大の「AIに代替されない仕事」の就業者がどのような職業訓練を必要としたのかを検討しなければならなかったはずである。
これらの議論は前提にあったAIの限界が崩れたため、もはやそれ自体を深掘りする価値は下がったが、本書出版時点では「このような議論も説得力があった」と考える上で有意義だろう。情報技術はそれに深くコミットする人でさえ5年先を予測出来ないどころかロジカルに全否定してしまう性質があることは、現在の2030年問題等を考える上で参考になると思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 教養(情報・技術)
感想投稿日 : 2023年7月17日
読了日 : 2023年7月17日
本棚登録日 : 2023年4月10日

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