女ぎらい (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞出版 (2018年10月5日発売)
4.22
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感想 : 72
3

#読了 2020.4.6

2019年の東大入学式での祝辞が話題になった上野千鶴子さんの著書。どんな人なのかなぁってWikipedia見たら"フェミニスト"らしい。フェミニストと言えばTVタックルで舛添要一と戦う田嶋陽子(笑)フェミニストのイメージはヒステリックで攻撃的という印象。でも、祝辞を読んでもそんな印象を持たなかったし、フラットな話だなぁと感じる部分も多かったので興味を持って手にした次第。

↓話題になった祝辞
▼平成31年度東京大学学部入学式 祝辞
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html

著書はミソジニー(女性蔑視)について語られている。いろんな時代の文化や立場から、そしてフロイトやラカンや近年のジェンダー論者の引用を交えながら、ミソジニーの存在や歴史を解説していく。共感できる所があったり、上野さんはそう捉えるのだなぁと思う所があったり。全体としては「卒論でも書くの?」ってくらい付箋付けつつ1つずつ理解しながら興味深く読み進めることができた。面白かった。

ただ。
2010年に書かれた内容にプラス、2018年文庫化にあたり«文庫版増補»が追加されているのだが、それにしては、全体的に捉え方が少し古い印象。1990年代のような。
私は2006年に大学を卒業をし社会人になり、2016年に結婚するまでの10年間の間に、ユニクロ→リクルート→IT企業で働いた。ユニクロでは女性店長もいたし、リクルートでは女性の上司や優秀な女性営業もいたし、IT企業でも役職や成績だけでなく文化としても男性だからとか女性だからとかまっっったく感じたことが無く、上野さんが言うほど社会が女性蔑視しているとも思ったことが無かったので、過去の話は納得感があったものの、現代の話になると「そーゆー考え方もあるだろうけど、決めつけてくるなぁ…」と感じた部分は多かった。
ただ、上野さんいわく、本書が理解可能な限りミソジニーから自由ではない、不思議な時代の不思議な書物となる日がミソジニーからの解放らしいので、古臭く感じることは悪いことではないのだろう。
でもきっと、上野さんの祝辞の通り、私が勤めた所は人材活用では先駆的な企業で"恵まれた環境"だっただけなのだろうし、もしかしたらそういう文化が残っているところは2020年の今でもまだまだあるのかもしれない。
いまだに医者がセクハラ的なことで逮捕されたというニュースを見る。おじいちゃん先生が昔のノリのまま、最近の考え方の子に手を出してこうなったんだろうなぁと思ったりもする(苦笑)泣き寝入りしてる人はきっとまだまだいるんだろう。

職場の中でのミソジニーを感じたことは無かったと書いたが、ひとりの女としては共感する所は多かった。私も"こじらせ女子"だからだろう(笑)上野さんが書いた通り、女扱いされるのも気持ち悪く、女扱いされないのも悲しいという時期が私にもあったなぁ(˘ω˘)そんな女の心理も著書には書かれている。

歴史上はじめは男社会しかなく、女は子孫を残すためだけのもの。女は男に所有される対象という文化だった。その頃から男が"男"になるのは女を所有し、同性から「おぬし、できるな」と認められること。女が"女"になるのは男に選ばれる(所有される)ことだそうな。ここからミソジニーは始まっていると。
この考えは根深く「顔さえ良ければ彼女もいて普通の暮らしをしていたでしょう」と"非モテ"を理由に起きた2008年の秋葉原無差別殺傷事件や、女性側が収入も名声も大きかったために不倫とDVで離婚した陣内智則の件にも繋がっていると。
このような近年の具体例や、古代ギリシャの性愛、春画、聖女と娼婦、児童性虐待、皇室、母と娘、父と娘、女子校、などなど色んな角度からミソジニーを解説している。

結論から言うと、フェミニスト一般がどうかは分からないが、上野千鶴子さんは攻撃的ではあるなぁという印象(笑)他のジェンダー論者の文献を引用して、絶賛したり批判したり激しい。でも時代的にも女性蔑視する社会と戦ってきた人なんだと思うと納得できる気もした。

昨今では、なんでも過敏にハラスメントにしてる感じが私はイヤで、たとえば男性が女性に対して「そのブラウスかわいいね」はセクハラで、女性が男性に対して「そのネクタイかっこいいね」はセクハラでは無いという感覚がどうにも。男と同様に女も認めてもらいたいという割に公平じゃなくない?みたいな。
ただベースに、男が女を評価し、選び、所有するものだという文化から、女性が社会的に認められるようになるまでの間に"(二元論としての)男が女を評価する"ことに敏感に反応し、戦ってきたからこそ、本当に傷ついた人が「セクハラです!」と声を挙げられる社会になってきたのかなと思う。からかいやいたずらをセクハラと名付け、痴話喧嘩をDVと名付け、つきまといをストーカーと名付け、再定義し、当事者の女性の恐怖を伝えられるようにしたフェミニズムの功績は大きい。
私は成果物を当たり前に与えてもらってる世代なのだなぁと思うし、冒頭にも書いた通り、泣き寝入りしてる人はそれでもまだまだいるんだと思う。
でもいずれ二元論の対象は、男と女より、例えば人間とAIみたいに変わっていく感じはもうするよね。上野さんが戦(ってくれた)った時代からしたら、女性はだいぶ生きやすくなったのだと思う。

著書の中に出てくる"ワケ知りオバサン戦略"というワードも好きだ。セクハラにあっても男なんてそんなもんよ、下ネタには下ネタで返すワザを身につけ、男の下心アプローチをかわしいなすオトナの女の知恵。すごく共感(笑)でもこれでは男に都合が良すぎるらしい。たしかにそのコミュニティの中でセクハラを認めることに加担するし、自分は平気でも他の女性が傷ついたときに言い出しにくい文化を作っていることになる。
でも結局は受け取る側に一任されてるので、私としては、いちいち騒ぎ立てるストレスより、目を瞑るストレスの方が楽。そして私は男ウケでも女ウケでも"コスプレ"をするのが得意だ。事なかれ主義なもんで。まぁ…戦ってきた人には失礼なんだろうなぁ…。

男性より女性向きな本かな?真理なのかフェミニストだからなのか、男性に対して攻撃的に見える書き方になってる気もするので、男性は気分が良くないかもしれない。
とはいえ、女に対しても「女も女で無意識にそーゆー考え方になってるんだからね!」と強めに言ってるけどね(笑)

「男ってさぁ」と思ってる人も「女ってさぁ」って思ってる人も、どちらにせよ何か感じてるものがある人は興味深く読めると思います!



◆内容(BOOK データベースより)
ミソジニー。男にとっては「女性蔑視」、女にとっては「自己嫌悪」。皇室、婚活、DV、自傷、モテ、東電OL…社会の隅々に潜み、家父長制の核心である「ミソジニー」を明快に分析した名著。文庫版に「セクハラ」と「こじらせ女子」の二本の論考を追加。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年4月7日
読了日 : 2020年4月7日
本棚登録日 : 2020年4月7日

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