松本隆 言葉の教室

著者 :
  • マガジンハウス (2021年11月16日発売)
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感想 : 30
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ずっとノイローゼのようになっていて、看病だ、身内の葬儀だ、実家の売却の相談に乗れだ、卒論どころでなく、文字を読むのも苦しい。論文の締切は刻々と迫り、書くことも纏まっているはずなのに、雑文やチャットも書けなくなってゆく。商業で私のような文字書きに

『やってみないか』

といってくださるお話も、万全でないものはお渡ししたくないから、これもご辞退申し上げる。ただ、眼前の、肩に背負わなくてはならないことだけは、ひとつずつ、何とかしていくしかない。でも、それができていたとしても、内側の私は普段どおりではなくて。

言葉を使わないということは、世界から隔絶していくことで、ふっとエアポケットみたいになった時間には、ただぼんやりと天井を見て、息をするのも苦しかった。言葉はいつも、世界への扉で、鍵で、味方だったのに。なんにも感情が動かない。そんなふうに。

死ぬことと遠くに行くことしか考えなかったこの数ヶ月。急に今日になって、突然本を読めるようになった。砂が水を吸うように、すごい勢いで読み進む。延滞して、もうさすがに図書館に返したい本の山から、今日の6冊目はこれだった。

松本隆さんの関わったアルバムで、映画『微熱少年』のサントラが、ものすごく好きだった。はっぴいえんどは知らないけれど、大滝詠一さんであったり、松田聖子さんであったり、好きなので…松本さんの詩に、いい!と思い続けてきた私は、これのレビューを見て、読んでみなくてはいられず、必死で借りて。読まずに返却したら、まるで二度と本が読めなくなるような、おかしな思い詰め方をしていた。

端的に言って、この本の表紙の、ターコイズブルーのジュレップを飲んだような、すうっと心地の良い読後感だった。誇張も自慢もない。ただ、確かに歩いてきたひとの、穏やかな語り口があった。その印象は、一度テレビで拝見した松本さんの印象と綺麗に重なって、ほっとした。

私が言葉を意識的に書くようになったのは、高校からで
つたなく稚い詩が最初だった。その頃、私の作品を読んだ上級生は

「これは上手いけど、詩じゃない。歌詞に近いんだ。もっと詩らしく書きなよ」

と、批評をくれた。その後、私は書きくちを変えて校内誌に投稿をしていたが、自分のノートに書くものは、相変わらず、もとの風味があるままだった。バンドで歌ったりもしていて、詞も書いていたから、それはそういう部分を切らないために、私が無意識に活動の場に合わせてものを書いていたのかもしれなかった。

詩にも、俯瞰とリズムと。書いた字面の印象が大事だ。言葉、と書くのと。ことば、と書くのと、コトバは違う。行間のリズムや韻が心地よくなくて、風景が見えないのはつまらない。そう思って書いてきた。それらは、私に、詞っぽい詩を書かせ、しまい込ませたり、息を吹き返させたり、私の折々に、ひょこっと気まぐれに顔を出してきた。

この本を読んで、松本さんのような天才はすごくて、この『言葉の教室』で、私のようなタダの音楽好きの、駄文字書きにも、こんなのはダメなのかな、としまい込んだ、でも大事にしていた何かを

「あ、これ。こういうことだ。私のこれ。きっと。」

と、明るいライトが灯るような思いを分けてくださった。文章には、物語と風景と、思い出と、書いてない先の先が、ほのかに光っていなくちゃ。

そして、他の方に触れていただくものは、趣味でも商業でも、うつくしい日本語で語りたい。小綺麗、ではない。糊の効いた日本語に、風合いを付けて使いたいのだ。そのためには上質のインプットもすごく大事だ。小さなこの本は、いっぱい気づきをくれた。

読み終わった時、どうしてか音楽を聞いて寝そべりたくなって、ワイアレスヘッドホンの充電を慌てて始めた。こんなに書いたのに、まだ銀色のヘッドホンの充電は、終わっていない。ライトが瞬いて、沈黙も心地よい。ならいっそ、アイスコーヒーを淹れて、台風の心配でもしながら、カーテンを閉めよう。

まだ論文は無理だけど、死ぬのはもう少し先でいい。神さまの言うとおり。だ。

普段の文章なら、また書きたくなりそうな、そんな夜になった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年9月20日
読了日 : 2022年9月20日
本棚登録日 : 2021年11月29日

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