建築とは何かー藤森照信の言葉ー

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  • エクスナレッジ (2011年1月28日発売)
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感想 : 8
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「~とは何か」というくくりでなに語ろうとすることきに、だいたい中身の薄い不毛な議論になることが多くて、基本的には無粋なことだとは思っている。

ただ、建築史家としてキャリアをスタートさせ、のちに自ら設計の筆をとるようになる著者のような、作り手と解題者を二足の草鞋でゆくポジションにいる人にはそれが可能なのかもしれない。とはいえ、帯には「最高の入門書」とあるから売り文句として版元主導でつけられたタイトル、というのが正しい理解か。そして、この本は明らかに「入門書」ではないと思う。

というのも、そもそも作り手/建築家としての著者の作品は明らかに主流派でなく、著者は「建築は社会の進歩と歩を一にしない」として近代建築と逆走する道を選んできた。そして第1部をエッセイ、そして第2部を同世代の建築家からの問いを受ける形式で編まれた本書の軸は、「建築家・藤森照信」のほうにあると感じたからだ。

実際に、コンクリートとガラスといった、いわゆる20世紀の近代建築の主要な建材が使えるようになったのは18世紀で、市民権を得るまでには1世紀超の時間がかかった。現在でいえば「情報社会的」な建築が大勢を占めているかというとそうでもなく、その素地は20世紀にある。建築は、遅れてやってくる。

一方で最新鋭の製品やサービスは、最終的にはひとつのかたちに収斂をすることが多い。電化製品、スペースシャトル、スマートフォン……一方で建築はその歩みが遅いからこそ多様性を獲得することができたと著者はいう。その意味で近代建築が求めてきた「インターナショナル」という思想は、本来的には相いれない。

逆に、風土に根差したヴァナキュラー性こそ「建築の本質」とするならば、過剰なまでに固有性を解体された近代建築以後の世界においては、建築史の重要性はどんどん増していくようにも見える。

本書の最後に藤本壮介さんからの質問で、「コルビュジェの五原則」にならって「フジモリ五原則」を上げてほしい、という説があり、ひとつひとつ興味深く読めた(柱/土/洞/火/屋根)。

なかでも「洞」の部分に共感したのだけれど、ざっくり「明るく開放的な連続的な空間」であることが近代建築の要諦なのだとして、そのような建築の写真をいくらみても「住んでみたい」とは思えない(経済的に住めないことは別にして)。住宅はそのすべてが必ずしも「明るく開放的」である必要はなくて、入口から差し込む光を眺めながらその中に籠るある種の「自閉的空間」もあってもいい。日本家屋の薄暗さは、日本人の精神性に根差したヴァナキュラーといえるかもしれない。そして安藤忠雄、石山修武、伊藤豊雄、坂本一成らは、自閉的な建築を模索した「野武士」であるらしい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2016年5月7日
読了日 : 2016年8月17日
本棚登録日 : 2016年5月7日

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