年の頃24の青年ハンス・カストルプは、スイス・ダヴォスの山間のサナトリウムにやって来る。従兄弟のヨーアヒム・チームセンを見舞いつつこの高原で3週間程の休暇を過ごすためであった。
物語はこの国際サナトリウム「 ベルクホーフ 」の日常、療養所の“住人たち”の群像を、こってり丁寧に詳述してゆく。
端正で正確なドイツ語を話すイタリア人セテムブリーニも療養所の住人の1人。セテムブリーニはハンス・カストルプにつきまとい、折にふれ政論や哲学談義を投げ掛ける。
セテムブリーニとハンス・カストルプのやりとりは、くどくどしく、少々鬱陶しい。セテムブリーニはハンス・カストルプを“啓蒙・教化する”役割を自任している模様。作品の構造上も、当時の時代の空気を盛り込む役割を担っているように思われる。
19世紀後半頃の長編文学作品、ドストエフスキーの長編でもままあるのだが、作中に生硬な政治論議が挿入され異物感を感じさせる。セテムブリーニの持論はそれを思わせた。
第五章「探究」 の章では“生命とはなんだろう?”という問い掛けの下、16頁にわたり医学・生理学に関する論考がみっちり展開される。( ハンス…は医学系の書物に没頭、ベッドサイドに医学書を集めて 読み耽っていた。)
文学作品としてはある意味暴走の感あり。ただこの硬い論考・生命論の中に突如としてショーシャ夫人の肉体身体の幻影が立ち上がる一節は文学表現として斬新な感じもした。
作品中、無教養な者への蔑視、非欧州の人々/“東方的”文化への見下し、が散見される。
一方で、ハンス・カストルプは療養患者の女性ショーシャ夫人に強く心惹かれる。この女性の“キルギス人風”のアジア系の顔立ちに魅かれるのである。この点、矛盾、倒錯があるやに思うのだが…。ハンス・カストルプとクラウディア・ショーシャ( ショーシャ夫人 )の関係は下巻で如何に展開してゆくのだろう。
とにかく大変なボリュームで、上巻本編だけで580頁程。上巻読了に2週間を要した。
- 感想投稿日 : 2020年10月4日
- 読了日 : 2020年10月4日
- 本棚登録日 : 2020年9月17日
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