武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社 (2003年4月10日発売)
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映画を見た直後に読んだ。本の方が格段におもしろく詳しい。映画での各エピソードの裏事情なども分かった。しかし映画もこの本をもとに作られたのだとすると、うまく映像化したものではあるな、とも感じた。映画での顔が頭に浮かぶので、より本がおもしろく感じられたのかもしれない。

古文書をもとにした猪山家の天保13年から明治12年までの変転がとても分かりやすい文章で記されている。計算力で身をたてた猪山家の江戸時代末期の暮らし、また維新をはさんでの親戚士族の行く末なども、手紙によって分かるので紹介されている。家計簿なので、何を何のために買ったのか、が記されているので、今まで知ることのなかった武士の暮らしのリアルな生活の一例がわかった。

また維新後は、計算力を買われた成之が海軍勤めになったので高い給料をもらえ猪山家の生活は安定したが、親族では武士の商売で失敗したものもあり、官吏になれたかどうかで岐路が分かれたようだ。秩禄処分が反乱もなくすんなりいったのも、士族は知行地をもらっても現地には行かず、藩から該当分の米俵を貰い、換金する方式、なので知行地への執着がなかったせいでは?と磯田氏は言っている。

猪山家は明治12年に妻子も東京に移住するが、成之の息子3人も海軍に務め、成之は大正9年(1920)に77歳で没している。

これが、平成13年の夏、どうして猪山家の古文書が古書店で売りに出されていたのか? 手放すにしても博物館とかに寄贈ではなかったのか? 著者の磯田氏宅に送られてきた古書店の目録でこの「金沢藩猪山家文書 入佛帳・給録証書・明治期書状他 天保~明治 一函 十五万円」があり、古書店に行くと温州みかんの段ボール箱が一つあったのである。

成之の子供は男子3人、女子1人。男子3人とも海軍に入る。3男兵助は少尉として日露戦争に従軍するが戦死。成之の妹の子、沢崎寛猛も海軍に入り、これがなんと「シーメンス事件」(大正3年)で三井から賄賂を受け取ったとして弾叫され官界を追放される。三井物産社員吉田収吉と沢崎家は家族ぐるみの付き合いをし、その吉田が病気で寝ていた沢崎の妻の枕元に見舞いと称して函を置いて行った。開けると7000円の大金が入っていた。その後も吉田は4000円と500円の函を置く。返しに行ったが受取ってもらえない。吉田は獄で縊死体で発見される。沢崎は成之のあとを継ぐかのように海軍の武器弾薬購入を一手に引き受けていた。一方海軍の薩摩軍閥は検察の手を逃れている。

<猪山家の家計簿からみえたこと>
○夫と妻の財産がきっちり分かれている。江戸時代は離婚も多い。がすぐに再婚もする。再婚時困らないように、という思惑もあった。家計簿にも「妻より借入」との記述もある。
○女性は結婚しても実家との結びつきが強い。
○直之の嫁いだ姉にもお小遣いをやっている。
○直之の妻の出産費用、子の通過儀礼には妻の実家でも金を出している。
○猪山家では俸禄支給日には家族全員にお小遣いを与えていた。おばば様90匁(うち衣類第50匁)(1匁4000円として36万)、父上様176.42匁、母上様8.匁、直之19匁、妻21匁、姉様(直之の姉ですでに嫁いでいるが)5匁、姉その2(同じく直之の姉で嫁いでいる)5匁、直之娘9匁
○俸禄は米で屋敷に運びこむのは食用米の8石のみで、あとは支給時に、藩の米蔵においたまま自家で売却しすべて銀にして持ち帰っている。食べる米も節約し、年末に2石を余して売った形跡があった。
○交際費が多い。親戚や家中とのつきあい、寺など。子供の通過儀礼、葬儀費用、出産費用など。
○だが親戚や家中との交際で得られる諸々の情報が生活に役立っていた。
○直之の子、成之は直之の兄の娘と結婚。江戸時代は従兄弟婚が多かった。猪山家の借金も親戚より借入があるなど、親戚間で窮乏を補い合っており、結婚を財政的に釣り合わせるのは生活の知恵ともいえた。

2003.4.10発行 2003.6.5第8刷 図書館

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本・歴史(日本史)
感想投稿日 : 2021年11月25日
読了日 : 2021年11月25日
本棚登録日 : 2021年11月24日

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