日の名残り (ハヤカワepi文庫 イ 1-1)

  • 早川書房 (2001年5月31日発売)
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 「わたしを離さないで」、「わたしたちが孤児だったころ」に続いて、カズオ・イシグロの作品を読むのは三作目です。

 この作品では、執事のスティーブンスがかつての女中頭のミス・ケントンと再会するために車でリトル・コンプトンに向かう旅が描かれています。といっても、話の中心は旅自体ではなく、その途中にスティーブンスが思い出す過去の出来事です。物語は全てが回想の形で語られていきます。ずっと昔のことも、そしてたった二日前のミス・ケントンとの再会さえもです。

 まず、スティーブンスの考え方、喋り方、行動に、違和感のようなものを感じます。それが、読み進めるうちに、執事とは単に職業ではなく一つの生き方であるということ(少なくともスティーブンスがそう信じているらしいこと)が分かってきます。スティーブンスは偉大な執事たるべく、英国の古い時代の価値観 ─ 紳士としての品格 ─ を重んじているようなのです。しかし、それは彼の揺るぎない信念なのでしょうか?

 いくつものエピソードが寸分の隙なく最適の組合せで作品中に嵌め込まれていくのは、「わたしを離さないで」の場合と同じです。しかも、スティーブンスが英国の田園風景を巡りながら過去と現在を往復しつつこれらエピソードをモノローグで語ることで、この作品は内省的で感傷的な ─ まるで心の中に分け入っていくような ─ 旅の物語に仕上がっています。

 これらエピソードのディテイルの全てが、物語の終盤に急速に意味を持ち始めます。そして旅の最後、ミス・ケントンとの再会を果たし過去を振り返り終えたスティーブンスは、ようやく心の内を吐露します。海辺の町の夕暮れ時、スティーブンスはたまたま知り合った男についにこんな言葉を漏らしてしまうのです。「私は選ばずに、信じたのです。〔中略〕卿にお仕えした何十年という間、私は自分が価値あることをしていると信じていただけなのです。自分の意思で過ちをおかしたとさえ言えません。そんな私のどこに品格などがございましょうか?」
 しかし、男はいいます。「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ」
 この一言で一日の夕暮れの風景が一瞬のうちに人生の夕暮れ時の切なさとなごり惜しさと優しさに置き換わる、なんという見事なマジック……

 この小説のいわんとするところは、五十代も後半を迎えた今の私にはよく理解できます。もし三十代のころに読んでも何のことかよく分からなかったかもしれません。しかし、作者はこの小説をなんと三十代半ばで書いているのですよ。これは驚きですね。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 海外文学
感想投稿日 : 2018年1月15日
読了日 : 2018年1月15日
本棚登録日 : 2019年12月27日

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