オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る

制作 : プレジデント書籍編集チーム 
  • プレジデント社 (2020年11月29日発売)
3.84
  • (171)
  • (292)
  • (200)
  • (22)
  • (14)
本棚登録 : 3580
感想 : 295
5

これほどまでにオープンマインドで、知的で、献身的な大臣のいる台湾は幸せだと思った。
この本を読んで、オードリー・タンという人について知るきっかけとなり、とてもファンになった。

世界中のコロナ禍で唯一鎮圧に成功した台湾。
一連のマスク対策で重要だったのは、「問題を処理する順序」だったというのが驚きだ。まず対面式あるいは紙ベースでしか対応できない人について処理を行い、その方式を進める中で「もっと便利で早い方法を使いたい」と言う声に対応していった。
IT担当大臣だからこそ、アナログ対応の人から順に行うというのは驚きだった。国民皆保険制度を利用して、マスク対策ベースとした。台湾では、国民に政府が信頼されている。それは政府が信頼されるべく、すべての資料を透明化し、どのような作業が住んでいるかを国民に公開していることによる。日本と全然違うなぁ。

5Gの導入を地方から行っていると言うことも驚いた。リモート教育のできるネット環境が整っていない山の上や離島から始めるのは、多額の資金投入が必要となる。しかし長い目で見たとき、台湾にとって重要なことを考えたのであろう。

オードリー・タンが睡眠の質と量を重要視しているという。台湾における新型コロナウィルス対策3つのF「Fast,Fair,Fun」や、「Humor over Rumor」が寝てる間に夢の中で出てきたと言うのも驚きだ。

「青銀共創(せいぎんきょうそう)」という試みが盛んに行われていると言うのも素敵だ。これは、青年と年配者が共同でクリエイトしてイノベーションを行っていくもの。要は、年配者が若い人がお互いに学び合うというもの。高齢者が社会貢献活動から得られる達成感は、リタイヤする前よりも高いことさえある。リタイヤした高齢者は、他人と競争したり企画したりすることを放棄する。「他人と比較して自分がどう思うか」などと考えることや、他人を叱ったり怒ったりと言うこともなくなる。

台湾で教育や健康の話をすると、それは「誰も置き去りにしない」と言うインクルージョンの考えにつながっていく。インクルージョンとは包括と言う意味だが、大多数の人が良ければ良いとするのではなく、理想としては全ての人の利益になることを目指す考え方。自分の精神が健全で安定していれば、自然とスマートで礼儀正しい人間になれる。そういう余裕のある社会を台湾は目指している。そのためにデジタルを積極的に有効利用活用していこうとしている。

彼女の生育歴も面白い。批判的思考法(クリティカルシンキング)で育てられた。批判的思考法といっても、決して相手を批判するのではなく、自分の思考に対して「証拠に基づき論理的かつ偏りなくとらえるとともに、推論過程を意識的に吟味する反省的な思考法」と言う意味。そのような思考法を大切にする父、クリエイティブシンキング(既存の方や分類にとらわれずに自分の方向性を見つけていく思考法)を重視する母。彼女の母が考えたのは、オードリーの考えがたとえ個人的なものであっても、その内容言語で明確に説明することができれば、同じ考えを持った人に必ず巡り会うとことができる。すると、オードリーが考えたり説明したりした事は、単なる個人的な考えではなく、公共性のある考えになり、同じ考えや感覚を持つ人が「どうすれば、よりよい生活を送れるか」を共に考えるきっかけになる。いわゆるアドボカシー(社会的弱者の権利を視聴を擁護、代弁すること)に発展すると考えたのである。

多くの人が「この方法であれば、受け入れられる」と言うものがあれば、新たな領域に踏み出す1つの方向性となる。最終的にみんなが受け入れられる方向に向かって新しい解決方法を創造していく。これがオードリーの考えるクリエイティブシンキング。「古いものに対する考えから、現在の私たちが注意を払うことで新しい方向性を導き、未来に向けた新しい考えを提示する」と言う一連の流れは、様々な事柄に対して標準的な答えにとらわれないための方法。

オードリーの成し遂げたことはどれも度肝を抜かれるのだが、15歳で出版社を創業し、自分で本を執筆して出版しているのにはたまげた。その時会社のテクニカルディレクターになり、株の3分の1を保有して月に50,000台湾元(日本円で約81万円)を給料としてもらっている。18歳の頃アメリカに渡り、シリコンバレーで起業。検索アシストソフトウェアを開発し、全世界で約8,000,000セット販売。しかしシリコンバレーにいたたのは半年位。オードリーの目的は運用のモデルを探す事だったので、そのモデルさえ見つけてしまえば、後はどこにいるか大して重要ではなかったから。自分の生き方を、自分でしっかり分かっとる。

デジタル民主主義には2つの大きなデメリットがある。1つ目はインクルージョン、2つ目は説明責任に関わること。インクルージョンに関しては、デジタルツールにアクセスできる人、もしくはデジタル接続ができる人にしか認識に参加できなくなる恐れがある。それ以外の人は自分が除外されたところで全てが決められているような感覚を抱く、これは大きな問題。また、デジタル民主主義ではある程度の演繹法を使って問題の答えを導き出す。しかし、それによって答えを見出せない場合もある。その時は、国民の声を聞いた上で、AIに最善の方法を求めるのが最も簡単な方法だが、それが国民に理解してもらえない時、政府が説明責任を果たさず、強引に問題解決を図ろうとしたら、それは独裁国家と変わらない。だからといってデジタル民主主義は危険と結論付けるのは早急。
オードリーは、デジタルによって誰かの考えを変えるつもりはない。新しいだけのものよりも良いシステムを作って、少しずつ使い勝手の悪い古いシステムから離れていくように人々を啓発していこうとしている。デジタル民主主義に危険があると言うことを認める一方で、民主主義を前進させていくためにどのようにデジタルを役立てることができるかを考え活用していくことこそが大事。

各人の世界を見る角度は異なっていて当然、だから、意見をシェアしたときに、自分がみんなと違ったり考えが少数意見だと悲観する必要は無い。自分の意見が少数に属することが気になるのであれば、その時は「自分は他の人が思いつかないような物事の見方をしている」と思えば良い。これこそが私の個性。自信を持って自分の意見を発信していけば良い。

また、自分に直接理解のないことであっても、これは政府の仕事だ、〇〇の仕事だ、とは考えずに、「自分の問題だ」と捉えて行動起こす。自分に直接関係することではなくても、能動的に貢献したいと言う心持ちこそ、民主主義では非常に重要な要素の1つになる。

「みんなのことを、みんなで助け合う」精神で社会を変革しようとし、そのための手段としてデジタルを使っていこうとするオードリー。ハートは熱く、最新技術をわかりやすく使いやすく、1部の人だけではなくみんなのために役立てようとしている。この気持ちがなければ、どんなに優れた技術であっても、危険しかない。この両面が備わったオードリーの人柄も、技術も素晴らしい。これからのどんな仕事にも、この両面は必須となるであろう。熱い気持ちだけでもため、技術だけでもダメ。渋沢栄一の「論語と算盤」にも通ずる。

オードリーは、とにかく人の話を聞いて「他人から学び、考える」と言う行為を謙虚に謙虚に行っている。自分の仕事を非常に明確だと言い切っている。「様々な異なる立場の人たちに対して、共通の価値を見つけるお手伝いをすること」だと。一旦共通の価値が見つかれば、異なるやり方の中から、皆が受け入れるような新しいイノベーションが生まれる。それは共通の価値と実践の価値のイノベーション。そのような価値観や考えは、オードリーがトランスジェンダーであったことや、左利きであったことも大きく影響しているように思う。少数派であるゆえに、すべての立場の人々に寄り添う、こうできる事はマイノリティーであるからこそ他の人には見えない視点を持つことができるのではないかと自身も考えている。

オードリーは行政院に入閣するとき、「公僕の中の公僕になる」と宣言している。公益に資するすることが自らの仕事だと思っているので、自分自身が何かを変えたいと言うようなものは特にないそうだ。市民の知恵こそが最も大切であり、社会が望むことを実現していくためにITを活用して何ができるかを考えるのが、オードリーの役割だと思っている。自分のやらなければならないことを自分の言葉で語ることができるオードリー、素敵だ。

台湾でイノベーションを進める場合、オードリーが常に続けている事は「わずかな部分あるいは上人数のためのイノベーションによって、弱者を犠牲にしてはならない」と言うこと。むしろ「イノベーションとは、より弱い存在の人達に優先して提供されるべき」ものであり、それこそが誰も置き去りにしない「インクルージョン」である、と。
今後は「持続可能な発展(SDGs)」「イノベーション」「インクルージョン」の3つが、社会を前進させる重要なキーワードになると考えている。

オードリーが台湾のテレビ局から子供たちのインタビュー受けたときのことが衝撃だった。オードリーはフランスにいたので、VRのスタジオで行われた。その際オードリーはVR内で3Dスキャンを受け、自分が小学生と同じ身長になるようなキャラクターを作った。こうすることで子供たちは身長が180cmあるオードリーを見上げて話す必要がなく、同じ目線で、またより身近な空間で話すことができた。そして何よりぐっと心理的な距離を近づけることができた。こういった細かな配慮ができること、そしてそれを実現する技量を持っていると言うところが、オードリーの特徴であろう。

子供たちの教育において最も重要なのは、必ずこうしなければいけないと言う考えではなく、特定の方向性を設定せずに学ぶこと。そして「いかに好奇心を持つか」ということ。

日本の小学校で2020年から始まったプログラミングの授業についても言及してあった。プログラミングのスキルよりも「作業」(平素の学習で身に付けた教養や技術) を重視。ほとんどの子供たちがメディアリテラシーの単なる受動的な読者では無いから。プログラミング言語ではなく、プログラミング思考を学ぶと言うことは大事。プログラミング思考とは、「1つの問題をいくつかの小さなステップに分解し、多くの人たちが共同で解決する「プロセスを学ぶこと」で、どの分野でも適用する「問題解決の方法」が身に付く。小学校の教師には、プログラミング思考、つまり「1つの問題を小さな問題に分け、複数が共同で解決する」と言う方式を、別の教科の授業にも取り入れてほしい。プログラミングの素養を育てる課程とは、それぞれの科目で先生たちが教えている内容を、プログラミングを使って教えるようなことを指す。
「Scratch」と言うプログラミングソフトで、メロディーを演奏したり、絵を描いたり。

オードリーが8歳の時に作ったプログラムは、分数の概念を教えるものだった。8歳って…。オードリーがプログラミングに夢中になった理由は、2つ。計算そのものには関心がなかったが数学に大変興味があったため、計算はパソコンが代わりに行って、自分は数学の部分に集中して取り組めたと言うこと。もう一つは、自分が作ったプログラムを使えば、多くの人が遊び感覚でそれを学ぶことができる、つまり他の人とシェアしたいと考えたから。

オードリーが考えているプログラミング思考とは、「デザイン思考」や「アート思考」と言い換えることができる。プログラマーがプログラムデザインをする際にツールを利用して、物事を見る方法や複雑な問題を分析する方法を訓練すること。それが複数の人と共同で問題を解決するための基礎となる。
プログラミング思考とは、解決すべき具体的な問題があるときに、まず問題を小さなステップに分解し、それぞれを既存のプログラムや機器を用いて解決できるようにするもの。これは問題の中にある共通点を見つけ出す方法でもあるので、ある場所で問題を解決できた場合、別の場所でも応用ができる。したがって、問題を再び作り直す。「他の人と一緒に様々なプログラムを用いて協力しあって問題を解決する」と言うのは、1種の解体と再構築の方法。

デジタル社会を生きるためには「自発性」「相互理解」「共好(お互いに交流し共通の価値を探し出すこと)」の3つの素養が必要になる。

デジタルの進展に従って、重要性が叫ばれている「STEAM」
Science(科学)
Technology(技術)
Engineering(工学)
Art(芸術)
Mathematics(数学)

Design(デザイン)
特に科学と技術に関する教育の重要性は、以前から指摘されていた。芸術とデザインとの違いと言うのは、何か目的を持って創造したものを「デザイン」という。

とにもかくにも、こんなに濃厚な本は読んだことない。
台湾と日本をオンラインで進んで、ディスカッションしながら作っていく過程を、非常に新鮮でエキサイティングと言えるオードリー。政務委員の仕事をこなす傍で、およそ3カ月間にわたる延べ20時間以上の取材を経て本書が書かれた。
間違いなく2021年に読んだ本の中で、最も素晴らしい本の1つであった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年2月13日
読了日 : 2021年2月13日
本棚登録日 : 2021年1月10日

みんなの感想をみる

コメント 2件

saito sasukeさんのコメント
2021/02/20

非常に濃厚な記載を読ませていただきました。
ありがとうございました。
時間をかけて、自分もこの本を読んでみようと思いました。

ゆきんこさんのコメント
2021/02/20

コメントありがとうございます!
この本を読んで、オードリーがどんなことを考え、どんな政策をとっているのかよくわかりました。
他の著書も読んでみようと思っています。

ツイートする