アルファベット・ハウス (ハヤカワ・ミステリ)

  • 早川書房 (2015年10月7日発売)
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感想 : 27
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 戦争に赴く若き兵士たちと、戦地での悪夢のような体験。戦争を挟んで、30年後出会った幼な馴染みは、地獄のような体験により狂気という犠牲を払って待っていた。

 ひどく簡単に本書の概要を記すとこうなるが、こうしてみると1970年代に劇場で観た強烈なベトナム映画『ディア・ハンター』を思い出す。主役のロバート・デ・ニーロとその周りを固める同郷の戦友たちの物語であって、ベトナムという地獄がもたらした人間性破壊の悲劇でもあった故に、若かった魂を心底揺すぶられた作品である。

 本書は、あのディア・ハンターが持つ細密で長大な描写に近いディテール力を持つ。映画『ディア・ハンター』は、徴兵前夜の若者たちの一日を執拗なまでに描き、それに代わる唐突な戦場の描写は中盤にエピソードのように挟まり、しかし強いインパクトを観客に与える。映画は、戦争によって変わってしまった人間模様の戦後・後半部へと様相をがらりと変えてゆく。そこで友情や男女の愛を溶鉱炉のように変化させてしまった戦争の影響が陰影深く辿られ最大の悲劇に向かってゆく。

 本書は、戦前部分よりも戦時部分のある特殊な悪夢体験を執拗に描くことでスタートする。第二次大戦末期、出撃した爆撃機の墜落により、パラシュートで脱出した二人の英国軍兵士が、ドイツの奥深くに逃げ延びる。追い詰められた彼らは病院列車に飛び乗り、死んでゆく親衛隊将校らに成り代わって生き延びるが、彼らはそのまま精神を病んだ者として、<アルファベット・ハウス>と呼ばれる過酷な施設での日々を余儀なくされる。さらに命を狙う四人組、脱走、死闘、空爆による施設の壊滅……と、これだけで第一部は終了する。

 作者はしかし、「これは戦争小説ではない」と書いている。その通り、第二部は、生き別れた友のことを人生の十字架として感じている兵士が30年後のドイツへ赴くことで展開する新たなストーリーである。日々、死を意識させられて心まで病んでいたアルファベット・ハウスの記憶を軸に、あの四人組の残党と、置き去りにしてきた友との罪と贖いと許しの物語である。

 人間の心を弄ぶ病院施設というと映画『カッコーの巣の上で』を思い出す。何と、作者は父が精神科医だったため幼少の10年間を精神病院で育ったそうである。そこでは患者が本当に精神を病んでいるのではなく、ふりをしているかもしれないという疑惑を常に感じていたそうである。それゆえ仮病が可能な病気としての精神病院という施設、そこでしか起こりえない陰謀、恐怖などがスリラーのモチーフとしてこの物語を構成しているようである。

 精神への打撃を受けた友と、彼を救い出しに来た幼な馴染みは、少年時代の痛烈な思い出を共有しつつ、もう再生があり得ないような悲劇と犠牲を交感する。ナチというなんとも重たい歴史的題材に、人間を心身ともに支配するという最大の悪を表現してみせた力作である。これがデビュー作とは、そしてこの本の完成に8年を費やしたとは。作家としての活躍が光る『特捜部Q』シリーズ以前にこれほどの傑作をものにしていた作者、やはり只者ではなかったのである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 冒険小説
感想投稿日 : 2015年12月20日
読了日 : 2015年12月19日
本棚登録日 : 2015年12月20日

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