地元・横浜を流れる大岡川沿いの黄金町は、かつて「ちょんの間」と呼ばれる飲み屋が軒を連ねる一大歓楽街だった。「ちょんの間」とは、ちょっとの間で飲み屋の2階で、客と女性従業員がいわゆる男と女の交わりをすることからついた名称。実質的な売買春だ。でもこれがなぜか売買春に当らないことにずっとなっていた。客と従業員はお酒の席で恋愛感情を持ち、そのまま2階でいちゃついて、火がついた二人がコトに及んだだけ、店側は関知していない、という理屈。
なんだそれ? と誰でも思うが、よくわからないけど、法的には通用するらしい。
女の子を持つ親は、あの辺りには絶対行ってはダメ!とよく言い聞かせていたらしい。とはいえ、横浜では開港150年を前に、一斉浄化作戦が決行され、今じゃ一軒もない。現在は跡地を若手アーティストに安価で貸出し、アートの街へと変貌しつつある。
いまも、こんな売買春が上のような理屈で行われているのは「飛田新地」だけだ。この本は、さいごの色街の実態を丹念に取材したノンフィクションだ。
遊廓の名残をとどめる街という説明から、花魁文化みたいなのが今もあるのかと思ったが、さすがにそれはなかった。遊廓っぽいというのは「料亭」と呼ばれる建物と、女性が玄関で正座して手のひらを添えて、お辞儀して男性客を迎えるところ。玄関は開け放してあり、男性客は外から女性を選り好みして、気に入れば店に入る。料金などの交渉は、曳き子と呼ばれるおばさんがする。女性が着る服はいたって今風のもの。女性も特別な芸事ができるわけでもないので、風俗で働いている女性と変わらない。違いは本番をするかどうかだけで、現に他の風俗から転職して飛田に来る女性も多いようだ。
閉鎖的な街だが、著者は12年にわたり取材を続け、少しずつ糸口を見つけて飛田で働く人たちの本音を聞き出していく。
料亭の経営者と曳き子のおばさんの関係、暴力団との関連性(飛田に暴力団が絡んでいない理由)、地元警察との関係、飛田という街が歩んだ歴史など興味深いが、なにより飛田の街で春を売る女性の声が面白い。なぜかあまり悲壮感がない。借金で首が回らない、金の計算ができないのが共通点みたいだが、経営者と女性たちの関係は概ね良好で、搾取されているという気がない(そこが金の計算ができないということらしいが)肉親に冷たくされた女性たちは経営者に親子のような情も抱くらしい。風俗で働くより、飛田で働く方が肉体的に楽だ、というのもほぼ共通した意見だ。男にはわからないことで、意外だった。
どこの「料亭」は慢性的な人手不足らしい。だから長く勤めてくれる女性には待遇を良くしている。募集はどこでしているのかというと、男性が読むような週刊誌とか夕刊紙にコンパニオン募集と広告を打ち、電話を待つ。または、パチンコで負けた女性に高利で金を貸して、借金を返せなくなった女性を飛田に紹介する女衒みたいな人もいるらしい。
著者は地元警察にも取材を申し込んでいる。「売春なのになぜ摘発しないんですか」とストレートに聞いている。でも警察ははぐらかすだけで「一斉摘発は難しい」と言い、時々どこかの料亭を申し訳程度に摘発するだけだ。横浜でできたのだから(というか全国でやったから飛田だけになったのだから)警察が本腰を入れれば飛田も無くせるとは思う。でも完全になあなあの文化ができている。これが良いのか悪いのか… その前に飛田を遊廓の文化を残す街と言っていいのか悪いのか…
著者は長く取材を続けたから、もしかしたら好意的に見過ぎているんじゃないかと、穿ってみたくもなるくらい、肯定的な意見が多かった。果たしてこれが飛田の全貌なのか、それとも一部なのかは判断がつかない。でも、これを読んだ人は、たぶん「飛田を潰す必要はない」という意見に傾くと思う。
自分の意見は… 自然に衰退していくのにまかせる。
読んでいくうちに、おそらくそうなっていくんだろうなと思った。
- 感想投稿日 : 2012年12月14日
- 読了日 : 2012年12月14日
- 本棚登録日 : 2012年12月14日
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