「17年の沈黙破ってトンデモ精神科医・伊良部が帰ってきた」…らしい。ということで、こちらも初読みの作家・奥田英朗さんです。5つのエピソードで構成された短編集で、第1章が表題にもなっているエピソードです。
シリーズ1作目の本作発刊当時の2000年代初頭、私は○○賞受賞作には目もくれず、北方謙三、京極夏彦両巨匠の続きものの固め打ちの日々。本作には、洋楽のジャケットみたいだなとの印象を持つに止まっていました。
そして、今年の猛暑。「硝子の塔の殺人」という傑作の余韻に浸りつつ積み上がった待機本を後目に見ながら、書店で琴線に触れる一冊を渉猟していると、プールに漂う赤ん坊の涼しげなブルーの表紙が目に止まりました。
太った色白の中年男の精神科医・伊良部は、基本的にここに来るような患者には悩みを聞いても解決しないから聞かない、という身も蓋もない発言をして憚りません。これは意外と本質を突いているのではとも思わせます。
毎日来院を促し、本末転倒とも言えるような問診と、症状も聞かずに始める注射を繰り返す伊良部。患者が水泳に目覚めたと言えば、無邪気に一緒にやりたいと、医師と患者の一線を軽く超えて私生活に入り込んできます。
患者は次第に現実と妄想が混濁し焦燥に駆られ、伊良部との課外活動への抵抗感も薄れていきます。伊良部の社会規範を逸脱する行為や不安を却って煽る発言を通じて、症状の原因となっている思考が飽和状態に達します。
これによる大きな挫折感が結果的に症状の寛解に繋がるという展開が、各エピソードに共通する「型」となっています。この型は癖になります。結果オーライか計算づくか、伊良部はさながら現代の憑き物落としのようです。
傍に控える看護師・マユミも良いコントラストになっています。伊良部の言動を諌めるどころか、まったく無反応で達観ぶりが凄い。「おーい、マユミちゃん」から始まる注射の描写も読者の中毒性を高める一因でしょう。
作品全体に漂う「緩さ」と、子どものように自分本位の言動を繰り返す伊良部の姿にカタルシスを感じることで、読者に癒やしを与える効果もあるような気がします。しばらくしたら、きっと続編が読みたくなるはずです。
- 感想投稿日 : 2023年8月12日
- 読了日 : 2023年8月12日
- 本棚登録日 : 2023年8月12日
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