けものみち(下) (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2005年12月19日発売)
3.55
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本棚登録 : 723
感想 : 63
4

注! 思いっきり内容に触れています



ラスト、鬼頭が死んでからが面白いのは面白いんだけど…。
ただ、いささか週刊漫画誌の連載漫画が急に終わる、あの感じみたいで、ちょっとなぁーw

……なんて思っていたら、最後は、かなりえげつない終わり方。
民子がああいう殺され方をすることで、ストーリーがぐっと締まったように思う。
変な話、民子がああいう風に殺されることで、次は「わるいやつら」を読もうかなーと思ったくらい(^^ゞ
(ていうか、それを読むまでは上巻と同じく★3つだったんだけど、4つに増えたw)
ただ、実際のガソリンを使った事件を踏まえて考えると、空間全体が爆発するように燃えるらしいから、小滝も怪我したんじゃないかなー。
ていうか、連れ込み旅館みたいな所に火をつけるわけで。
そんな大ごとにしちゃったら、事件をもみ消してもらうにしても大変なんじゃないだろうか?と、そこは疑問がないでもない。

とはいえ、民子が殺される場面は、まさに“獣の道(所業)”で。変な、スカッと感がある(爆)
民子は、決して嫌いな登場人物じゃなかったはずなのに、そこは面白い。
ていうか。
よくよく考えたら、この小説の登場人物って、な~んか、みんな嫌いじゃないなぁー(^^;
久垣なんて本当にイヤなヤツだけど、あんな風に欲に追いかけられるようにせこせこ動き回っている人生って、
実は、人は幸せなんじゃないだろうか?なんて、ちょっと考えてしまうw
♪幸せなんてなにを持っているかぁ~じゃない。なにを欲しがるかぁ~だぜ、と歌っていたはっぴいえんどの「はっぴいえんど」という曲を思い出した、
なんて書いたら、松本隆に怒られるのか?(^^ゞ

下巻は、最後の最期で「けものみち」というタイトルそのままの、ケモノ、ケモノした場面が出てきたんだけど。
とはいえ、そこまではそんな感じじゃないんだよね(上巻の最初で民子が夫を殺しちゃうのは、むしろ共感しちゃうw)。
というのは、主人公が民子で。
久垣のパートを除けば、民子に沿って物語が進むから、本来“ケモノ”であるはずの鬼頭や秦野、小滝にしてもケモノ臭があまりしない。
秦野なんて、民子には常に好意的(誠意をもってと言ってもいいかもしれない)に接するから、読者からすると嫌な人間にはならないのだ。
ケモノの総本山であるはずの鬼頭も、民子を通して物語れるから、たんなる色ボケジジイって感じで。
読んでいて、むしろ笑っちゃう、みたいな?(^^ゞ

まー、もしかしたら、これが書かれた当時だったら、「うっわー。ケモノぉぉー」みたいに読めたのかもしれないけど。
今だと、もっとエゲツないのがいくらでもあるからなぁー。
そういう意味じゃ、今のエンタメ小説って、“いかに先人よりエゲツなく描くか”で(^^;
先人よりエゲツなく描けば、読者にウケて。本が売れて、賞も貰えるってことなんだろう(爆)

ただ、個人的には、エゲツなさはこのくらいで充分で。
過剰なエゲツなさに注力する分、この小説くらいボリュームのある物語をつくってくれよ、と最近の作家に言いたい(^^ゞ
そういえば、解説に、松本清張が語っていたことが引用されていて。
「この時期に推理小説はその本来あるべき性格を失いつつあった。その理由の一つは題材主義に寄りかかりすぎたためであり、一つはジャーナリズムが多作品を要求したため不適格な作品が推理小説の名において横行したことであり、もう一つは、その結果、推理作家自体の衰弱をきたしたことである」と。
上記は、著者が本格推理物について語っているらしいんだけど、いつの頃のことについて語っているのかはよくわからない。
ただ、エゲツなさや露悪性を売りにしている小説がウケる今の状況にもそれは当てはまるような気がするかな?(^^ゞ
松本清張って、すごく好きな作家というわけではないんだけど、そういう推理小説に対する態度とかを聞くと、
作家の世界にこういう大御所が一人いるのといないのとでは、作家たちにも、出版業者たちにも、また、読者たちにもいろいろ違うんだろうなーなんて思ってしまう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年6月8日
読了日 : -
本棚登録日 : 2021年6月8日

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