2022.01.04
自らが置かれている客観的な「環境」は主体にとって重要ではなく、主体が意味づけを行って捉える環境=「環世界」こそ重要である。
すべての主体に共通した環境は存在しない。環世界が重なることで世界はできている。
たしかに、大学で建築を学んでいた時に、学年が進級するにつれて帰り道に見るいつもの街並みがより詳細に見えてくることがあった。建物構造や窓の種類、材料、斜線制限など、建築学生の環世界と言って過言ではないだろう。
同じ人間であっても、その人の人生の蓄積によって世界の見え方は違うのだろう。この共通認識を持ち得なければ、ダイバーシティは実現しないのではないか。
環境問題やSDGsを考えるにあたっては、環世界という共通認識の普及が必要不可欠のように思う。そうでなければ、自己満足の環境保全に終わってしまう可能性もあるのではないか。
落合陽一さんがTwitterで紹介していたので積読していたところ、年始に森田真生さんの『数学する身体』に引用があり、この度読むことができた。
とても面白い本でした。
読書状況:読み終わった
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- 感想投稿日 : 2022年5月21日
- 読了日 : 2022年1月4日
- 本棚登録日 : 2022年5月21日
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