11巻は野宮が主人公。
物語を経るにつれ徐々に作者に似てきた彼は、
この巻ではもはや井上雄彦その人である。
だから、
描き手の感情移入の度合いがものすごいことになっている。
思わず身震いしてしまうくらいに。
リアルは、
三人の主人公が、
それぞれの障害を乗り越える話だと思うのだけれど、
戸川は当然体の障害を、
高橋は傲慢な心の障害を乗り越える。
では野宮はどうだろう?
ぼくは最初「社会のルール」かなーと思った。
でも、この巻を読んでいて考えを改めた。
それは「運」だ。
「ツイてない」という障害をどう乗り越えていくか、
それが野宮の話である。
そして、
神のいたずらとも言える不運を乗り越えるには、
その不運をも楽しめる柔和な心が必要なのだ。
だから、
野宮は苦境にこそ幸せを見出す。
たぶんそれが「普通に生きる人間」にとっては、
一番大切な心の資質なのである。
そう、
野宮は作者自身であるが、
同時に読者自身でもあったのだ。
であればこそ、
野宮の姿に自分を投射し、
心震わせて涙するのである。
さて、
ひとつ想ったことを。
この巻の途中、
野宮が絶望を想う時、交通事故を思い出す場面がある。
でも、
交通事故を2度経験した身からすると、
あんな大きな事故だったら気絶するんじゃなかろうか、と想像する。
(ぼくは1度目は救急車で、2度目は病院で目覚めた)
つまり、
絶望の淵底ってのは、
それが絶望だとすら認識できないことなのではないか。
絶望には決して至れないことが絶望である、
という何だか少しくレトリカルな言い回しだけれど、
そんな風な感想を抱いた。
本書の意見とはちがうけれどね。
- 感想投稿日 : 2011年11月23日
- 読了日 : 2011年11月23日
- 本棚登録日 : 2011年11月23日
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