- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784479392552
作品紹介・あらすじ
腐女子とリア充は両立できる!文学、コミック、音楽、ファッション、アート…気がつけば文化系女子ばかり!!!文化系・肉食系バイリンガルの湯山玲子が間違った文化系女子に喝ッ!!!世にはびこる文化系女子図鑑。
感想・レビュー・書評
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中盤から、「○○も知らないなんて」と他の何かを好きな人に対し優位性を誇示したがる感じや、「ただ好き」とか「詳しくないけど楽しい」を認めず知識の量や深さを正とする感じがひどかった。
他者の好きなものやその姿勢を認められず、なおかつ悪口まで言う方に「文化系」など名乗らないでいただきたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
文化系マウントという生き方
2014年冬、美大に入って1年目の頃に周りの同年代との文化レベルの差に打ちのめされたことと、美大という女子の比率の高さゆえ、文化系女子という生き物を知るのは大切だろうと期待して買った。
あらゆるジャンルに精通していて、きっと何を話しても10倍で打ち返してくるだろう教授のような筆者。恐れ入る経歴だ。
それから10年弱が経過して、当時よりさらに文化系コンテンツに溢れかえった今、守備範囲の広さよりも「自分の好きなものとその傾向をしっかり理解し、ただそれらが好きである」だけでも十分じゃないかと。だってSNSとアルゴリズムで、それすら難しくなってきているから -
2010年代を生きる青年女子は一読するべき。時代をかなり的確に捉えていて、その在り方でとうの昔から立ち回っていた人生の大先輩の姿をみて、自分も両方取りに行こう、と野心と自信が芽生える本。
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文化系一家に生まれ、カルチャー誌編集などに携わって来たという、文化系女子の大先輩ともいうべき著者が、
昨今、世に溢れかえりはじめた文化系女子の正しいあり方、生き方について説く一冊。
確かに、SNSの発達によって簡単に文化系アピールを出来るようになり、そのような安易なアピールに警鐘を鳴らしているのには納得した。また、ジェンダー・社会学的なアプローチで論じているのもよかった。
しかしながら、やや説教くさく感じられ、読み進めながら、しっくりこない感覚を覚えたまま読み終えてしまった。
著者のサバサバとした、迷いの無い口調はどうも空回りしているようにも思えた。
「腐女子とリア充が両立する」という著者の言い分には多少の違和感を感じた。しょせん著者のような勝ち組のスーパーリア充だけが言えることなのではないか、と白々しく思った。
まあ、そういうキャラの著者ってだけなんだろうけど。もっと若い人に寄り添ってほしかったデス。 -
人生
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文化とまともに向き合おうとするならば、生半可な気持ちではいけないのだ。常に思考し続けなくてはいけない。
「文化」にたいする自分の関わり方を考えさせてくれる良い本だった。
アート系を自称してきた自分にとっては、痛い箇所がいくつも…。
たとえば、ちょっと見聞きして好きだなと思ったものを、SNSの自己紹介文なんかでタグ付けして、自分を演出するアクセサリーとして使ってしまう人のことを「黒文化系女子」として挙げている。本当にその作品のことを深く知っているわけでもないのに、そんな浅はかな行為を知らず知らずにやってしまっている。
あとは自分の「文化」への接し方の傾向として、好き嫌いばかりで判断して、そのものを歴史のタイムラインの中に位置づけて考えてみるという視点が抜け落ちていたことに気づいたのも、目からウロコでした。
さらに、自分の考えをアウトプットする時に「紋切り型にならないように」という視点を持つことも大事。
などなど。 -
367.2
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状況もあいまって非常に救われた
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「文化系女子」の来し方行く末を紐解く一冊。
ド田舎で鬱屈としていた元・文化系女子。『向上心と知性を持った瞬間にマイルドヤンキーの楽園から追放され』るも、文化系で飯が食えるような覚悟も才覚もなく、東京に出てきてようやく少なからず同好の士に出会い、世の中には生まれ落ちた時から文化教養に理解ある家庭で育ち、ある程度レベルの偏差値と家庭環境の子女が集まる学校で、早いうちから文化度の高い同級生や先生との出会いに恵まれた、文化が当たり前のように身近にある「都会の文化系女子」という存在を知る。
著者の育った環境はまさしくそれで、地方の圧倒的少数派から見れば羨望の的。ハンデが違い過ぎる。
でも、確かに湯山氏が言うように、ハンデの多少はあれ、文化系の源流は『尋常じゃないハマり方をある時期にした』かどうか。
アクセサリーとして教養を振りかざし、男社会に切り込むため文化系を利用する「なんちゃって」知識浅薄黒文化系女子に喝を入れる。
文化系を標榜するならば、思考停止禁止。一生考え学び続けなければいけない十字架を自ら背負っていくのだ。
文化系としての生き方とは、プレイヤーでなくとも観客でいるためでも努力研鑽は必要なのである。が、好き好んで選んだ道。
まだまだ遠くはあるが『今の自分の内部にないものに出合っていく』道のりであるのだ。