上巻は手探りで読んでいたのだが後半からだんだんと物語が展開していき、続きが気になる!というタイミングで下巻につづく。
やおいには詳しくないので、「トップ」と「ボトム」が「攻め」と「受け」いう意味に気がつくのに時間がかかってしまった。あと、主人公の母親が行っていた「プロンプター」というのは舞台での立ち位置を決めたり役者が台詞を忘れたときに指南する役のことです。演出とはまた違う立ち位置。
両性愛者が、同性愛者とのコミュニティに受け入れられないという疎外感。かつての同級生で主人公と一緒に旅行に行き、その後はクリスマスカードだけのやりとりで会っていなかったアトキンスとの再会、そして病床のシーンは圧巻。あらためてアーヴィングは「きつい」シーンを描くのが凄い。感服である。
この本は60年台から現代に至るまでのアメリカの歴史を描いている。同級生がベトナム戦争にとられ、ケネディが撃たれ、俳優のレーガンが大統領となり、同性愛者が病魔に冒され、なつかしい人々は年を取り、別れを告げ、それでもわたしたちは生きていく。人生はシェイクスピアになぞられ、人間関係は『ボヴァリー夫人』に重ねられる。
エイズ患者とどう向き合うかというのは世界的に80年代における大きなテーマであったかと思うが、マイケル・カニンガムも『めぐりあう時間たち』や『この世の果ての家』でこのような80年代の空気を描いていたと思い出す。フランスでは、まさにエイズの当事者になりながらもその現状を書き続けたエルヴェ・ギベールの作品なども思い出される。
もはやアーヴィングはもはやこの後に新作がでるかどうかもあやぶまれる歳になってしまった。この作品ではディッケンズ、シェイクスピア、フローベールの著作を読んでいないと作者が小説に仕込んだ意味が分かりにくいところがあるだろう。逆に、ある程度の読書の経験を前提としているのであれば、そういった読者を満足させる作品、本好きの人々に向けた本である。同性婚は認められる社会になりつつある。そして何よりも、このような作品を受け止められるアメリカ社会に嫉妬する。
主人公が両性愛者であるがゆえにある種のコミュニティには受け入れられないという疎外感を持ちながらも、それゆえに愛情と性愛だけの関係ではく、同性も異性にも対して強い友情で結びつく関係もあり、特に幼なじみのエレインの存在には救いがある。
レッテルを貼らないで、自分を分類しないでという主張。こういった物語を必要としている人、興味深く読める人、日本に生きるセクシュアル・マイノリティの人々がこの本を手にとることがどのくらいあるのだろうか。願わくば、どうかこの作品がひとりでも多くの必要なひとの手に渡る機会がありますように。
- 感想投稿日 : 2014年1月31日
- 読了日 : 2014年1月31日
- 本棚登録日 : 2014年1月24日
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