饗宴を買いに行ったのになかったので、こっちを買う。結果的にはその順序で良かったか。これが最後というのもあまりよくなかっただろう。
対話篇としては、国家を先に読んでると、最後の方はダレてくるが、それでも、抜群に面白い。270ページを1日半で読み終えた。
哲学なんて子供のやるもんだ、大人は嗜む程度でいい、というようなことを、プラトン が書いているんだと思うとやはり驚く。
現実でそう言われたことがあってそれへの反論でもあるのかもしれないが、そのときに、もしかしたら本当にそうなのでは、と逡巡したということもあり得るだろう。
ソクラテスの弁明やクリトンを細かく吟味しなおす様子は、当時のソフィスト、弁論家からの反応への回答という部分があったのだろうし、そこから、国家へと続くような思想の萌芽をみせているのは、やはりソフィストや弁論術と戦うなかで、こいつらではなく、哲学こそが政治をすべき、統治すべきだ、でないと、また次のソクラテスが殺されるだけだ、という考えをプラトンが持ったのだろうと想像される。
ソクラテスの小乗から、プラトンの大乗へ、と言えるかもしれない。もちろん、ソクラテスも、自分だけ、と考えたわけではないが、あくまで、常に、対話の相手と自分、というなかで善を追求し、死後の自分をよくすることを考えていたのに対し、哲人統治によって国家を善のもとにおこうと考えたプラトンなのだろう。
また、死後に救われることを期待して善に励む、というのは、やはりそれは、より大きな快(死後の快)を目指して小さな快(現世の快)を我慢する、ということでは?ということへの疑問(を僕は感じるのだが)を少なくともプラトンはもったのではないか、と思う。
プラトンやソクラテスの語る言葉のなかに、どうしても後にキリストを待望する時代の精神を感じてしまうし、そこから、国家ではなく教会というシステムを築き上げる精神への相似なんかを、そのへんの事情はよくわからんのに感じてみたりする。
ちょっと勉強してみたいけども、どうするかなぁ、、、。
次こそ饗宴。
- 感想投稿日 : 2018年11月18日
- 読了日 : 2018年10月24日
- 本棚登録日 : 2018年11月18日
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